シーン20 [アオシマ]訊きたいことがたくさんある
久しぶりに会った我那覇さんは憔悴しきっているように見えた。ぼくを部屋に迎え入れたあとの我那覇さんは、落ち着かない様子で視線を彷徨わせながらぼくをもてなした。言いたいことがあるがどう切り出すのか迷っているように見える。珍しいこともあるものだなと思う。いつもの我那覇さんは性急に要件を話すからだ。
ぼくの方からは訊きたいことがたくさんある。久しぶりにゆっくり話をすることができそうな機会だ。遠慮せず聞いてしまおうとぼくは思った。
「全部答えていただけるとは思っていませんが……」そう前置きしてぼくは口を開いた。
「どうしてY先生がすぐに名乗り出てくださらなかったかわかりましたか? Y先生は国内に居たようですし『ファントム・オーダー』のプロモーションが届いていなかったとは思えないんです」
ぼくの質問に、我那覇さんは沈黙して答えない。小さく頷いているので聞こえているのはわかる。
「それに、我那覇さんはY先生が見つかる前よりも今の方がずっと忙しそうにしてらっしゃることも疑問です。何をなさっているのですか? Y先生に印税を返そうとするのなら、なおさらエンジニアの仕事を休業されるのはおかしいです」
ぼくはなおも質問を並べた。
「そしてそんな状況であっても、Y先生の旧友との面会にまで同行しているのが疑問です。これが楽しんで行ってるならまだわかりますが、我那覇さんの様子を見る限りそうではなさそうなのです。わけがわかりません」
そう。違和感の本質はそこだ。あれほど探していたY先生が見つかったというのに、我那覇さんは嬉しそうではないのだ。何かがおかしい。何かが。
我那覇さんはため息と共に天井を見上げた。
しばらく時間を置いて、「さすがです。アオシマくん」と小さく呟く声が聞こえた。
我那覇さんがぼくを見る。
初めて見る表情だった。相変わらず、真意が読めないとぼくは思う。でも、これまでとは何かが違うことだけはわかった。
「今からわたしが語ることは、ほとんどがわたしの妄想です。調べたことについてうそは言いませんが、大筋はわたしの妄想だと思ってください」
我那覇さんは最初にそう断って話しはじめた。
「まず、わたしがこの妄想に取り憑かれたきっかけをお話しします。それは四年前のアフリカ出張での出来事がきっかけになっています。まだわたしたちが出会っていない頃ですね。
その時わたしはアフリカのナミビア、首都のウィントフークでシステム開発の仕事をしたのです。
一ヶ月半の滞在でしたので、わたしの運転手を雇う必要がありました。そこで求人広告を出す事務の方と談笑している時のことです。
どんな条件にしますか? と質問されたので、『HIV患者の家族を持ち、自分の故郷に病院を立てるためだったら自分の命はどうなったってよいというような人物』と冗談で答えました。
そう。『ファントム・オーダー』でロビンが自分の軍団を作るために出した求人です。アオシマくんの知っての通り、こんな風に誰にも通じないような冗談を言う癖がわたしにはあるのです」
確かに我那覇さんにはそんな癖がある。とは言え、冗談を言っていることが口調でわかるので、相手には「何かしら冗談を言っているのだな」ということは伝わる。
冗談は、それ自体が伝わることよりも、冗談を言える雰囲気なのだと伝わることが場を柔らかくする。我那覇さんは、むしろ初対面の時ほど、冗談を言うことが多かった。それが我那覇さんなりの気の遣い方なのだなとわかったのは、我那覇さんとY先生の捜索で様々な場所へと訪れた頃のことだ。
我那覇さんは話を続ける。
「大抵の場合、わたしの冗談は人に戸惑いを与えるだけで流されてしまうのですが、その時事務の女性は『あ、それって二年前にあったお騒がせの求人ね』と反応したのです。
詳しく話を聞くと、わたしが言ったような内容の求人が実際に病院や大学に貼られていたそうです。広告主はアジア系の人物で、面談の結果、全員が落とされたとのことでした。一種のイタズラだったのだろう、と地元で少しだけ話題になったようです。
わたしはそのアジア系の人物はY先生だろうと、直感しました。でも何かおかしい。わたしはY先生のファンですから、先生の作品にちなんだ冗談を言うことがあります。しかし、先生がそのような行動に出るとは思えない。それに、イタズラにしては費用もかかっています。
腑に落ちないまま、その時は出張の仕事をこなしました」
「その出張が四年前ということは、その頃にはすでにY先生と連絡が取れなくなっていたんですね?」
ぼくが改めて確認すると、我那覇さんは頷いた。
「そうです。それどころかその二年前の求人広告の頃にも、すでにわたしからは連絡が取れなくなっています。今回の再会までで最後にお会いしたのは、二〇〇九年だったと記憶しています」
「話の腰を折っちゃってすいません。出張のあとのことを聞かせてください」
ぼくが促すと我那覇さんは話を続けた。
「日本に戻ってしばらく過ぎると、突然一つの仮説が思いつきました。
そもそもなぜ『ファントム・オーダー』は出版されなかったのか。Y先生が出版を諦めた理由は何か。
たとえ本が売れたとしても、人々の行動は変わらないということに先生は思い至ったのではないか、わたしはそう思ったのです。
冷静に分析すると、『ファントム・オーダー』は少し奇妙なバランスの作品なのです。悪役である環境テロリストのロビンに非常に多くの描写が割かれています。
作中でロビンが問題提起を担うキャラクターだから、という理由を差し引いても、ロビンがあまりにも魅力的に描かれ過ぎている。作者が本来伝えたいメッセージがロビンの言葉に込められているのは明白です。ロビンの主張を読者に届けるために、物語の随所に工夫が凝らされているのです。
作中でナカムラ・ロビンは未来のこどもたちのためにテロを起こします。
『環境を守るために人々の意識を変えたいなら、テロを起こすのではなく本を書いてメッセージを届けるべきだ』と作中で他の人物に反論されたりもします。
ある意味では、その、本を書くべきだ、という意見に従って書かれた作品が『ファントム・オーダー』なのだと、わたしは思います。
未来世代の環境を守るために、自分は物語を書く。多くの人に伝わるように、面白い物語にする。
先生の執筆活動はそんな動機に支えられたものだったのではないかと思われます。
しかし、多くの人にメッセージが伝わったとしても、そのほとんどがメッセージを無視するであろうことが高い精度で予測できてしまったとしたら、作者はどう感じるでしょうか。
実際にわたしたちが出版した『ファントム・オーダー』は大ヒットし、多くの読者にメッセージが届きました。しかし、結果はそれだけでした。
メッセージは伝わったものの、人々の行動が大きく変わることはなかったのです。
この結末を先生はすでに予測し、確信していたのではないでしょうか。そしてそれこそが、先生が『ファントム・オーダー』を出版しなかった理由なのだと、わたしは考えたのです」
我那覇さんは口を閉じて、ぼくの反応を見ている。ここまでで何か質問はありますか、と尋ねられたが、ぼくの方からは、特に何も訊くことはなかった。
『ファントム・オーダー』を出版する前、ぼくは「この本で既存の価値観がアップデートされる」とよく色々な人に話した。
その気持ちに偽りはない。実際、読んだ読者に影響がある作品だと思う。しかし、読者がみな、未来のこども達のために活動する人になり、その人たちが多数派になるか? と言われれば、確かにノーだ。
では、どんな物語なら人々にそんな影響を与えられるだろうか? と考えても、まったく想像がつかない。なので、これは作品や作家という手法の限界なのだろうと思う。
マルクスの『資本論』は、ある意味で膨大な数の人間を殺したが、マルクス自身がその結果を意図して書いていたかと言われれば、違うだろう。
同じような規模で影響を与えようとする時、それはどのような形になるのだろう。物語の形を取るだろうか?
前回、Y先生が編集部を訪れた時のことを思い出す。啓蒙について話題が移ったあとで、Y先生はなんと応えていたか。ダメだ、思い出せない……。
我那覇さんはぼくの目を見ながら言う。
「整理しましょう。執筆の動機が、未来世代のためという人物がいたとします。そして執筆活動ではその目的を達成できないと予測できてしまったとします。この時、その人物はどう行動するでしょうか。
普通に考えると、目的を達成する別の方法を模索するのではないでしょうか。
つまり、テロを描くのではなく、テロを行うことを検討し始めたのではないかと。アフリカでわたしが見たのはその痕跡だったのではないか。わたしはそう考えました」
「ちょっと待ってください! つまり、我那覇さんはこう言いたいのですか? Y先生は今テロを計画していると?」
「あくまでわたしの妄想ですし、実際にどこまでテロの検討を進めているかわかりませんが、わたしはそう仮定することにしたのです」
我那覇さんはペットボトルから水をコップに注ぐと、一息に飲み干した。
ぼくは部屋の様子を見回す。生活用品がある程度出しっぱなしになっているが、さほど散らかっているとも思えない。飲み終わった空のペットボトルが一箇所にまとめて置いてあったりと、身の回りのことはできているように見える。
ひとまず、そうした外面的な要素で、我那覇さんが正気を失っていると断言することはできそうにない。だからぼくは判断しなければならない。我那覇さんの言葉を聞いて、この人が正気なのかどうか。話す言葉が真実かどうかを。
Y先生は、『ファントム・オーダー』を出版しても未来世代に貢献できないと予測し、出版しなかった。これは……ありえるとは思う。でも、本当のところはわからない。『ファントム・オーダー』で伝えるメッセージと矛盾しないことは確かだ。でも、そんなことはなんの証拠にもならない。
次、Y先生がテロを計画しているという我那覇さんの主張については……これは保留しよう。
計画の程度にもよるし、そもそもぼくはY先生について詳しく知らない。編集部に来た時のやりとりから、柔和で穏やかな性格であること、あの複雑な状況をすぐに把握して対処したところから、頭の良い人物だということはわかったものの、やはりぼくはY先生について何も知らないのだ。
そして、ここまでの話を聞くと、我那覇さんが『ファントム・オーダー』を盗作してまでY先生を探し出そうとした意味が変わってくる。
この人は恩師のテロを止めるために、あれだけのことをした?
いずれにしても、Y先生のテロ計画の信憑性を聞いてからでも判断するのは遅くはない。
今は我那覇さんの主張を聞くことに決めたぼくは、我那覇さんが話し出すのを待った。
「アフリカで見えたことはいくつかあります。
アフリカの痕跡が、単なるテストだったのだとしても、先生は軍団を作ることに失敗しています。
自分の命を顧みないような強い動機を持つ人に会うのは、高い報酬を提示しても難しいということです。仮面ライダーのショッカーなど、悪の組織の一番不自然な点は、末端の戦闘員の動機です。
作戦の実行には、末端であっても高度な判断力が求められる。しかし高度な判断力があると、作戦の目的について考えてしまう。
世界を滅ぼすような計画に、その世界に住んでいる人は参加しようと思いません。先生が合法的な範囲で活動をする限り、テロリストになり得る人々と接触するのは難しそうだなと思っていました。
どうにかして先生を探し出しさえすれば、事態は解決できると思っていたのです」
我那覇さんが言葉を切る。
「……だから、あらゆる手段を使ってでもY先生を探し出そうとした、とそういうわけですか?」
「そうです。様々な方にご迷惑をかけることはわかっていましたが、そこは謝って償えば良いかと思いました。
とにかく先生を探しだしさえすれば、あとはなんとかなると思っていたのです。『ファントム・オーダー』の印税もお渡しできるので、テロなんて考えなくてよくなるのではないかなという読みもありました」
我那覇さんの口ぶりから、その目論みがうまくいかなかったことが察せられた。
「何か、うまくいかないことがあったんですね?」
ぼくは先を促すと、我那覇さんは語り出した。
「ここからは先生と再会した後のことです。
先生の現在の職業は、家庭教師とボランティア団体の事務員です。ボランティア団体について調べたところ、福島県の甲状腺がん患者の支援団体でした。家庭教師というのも、その支援を受けている児童に対する教育を行っているようです」
ぼくはメモを取る。……甲状腺がん患者?
「簡単に背景を説明します」ぼくのメモを見て、我那覇さんが少しだけ話の方向転換をしてくれた。
「福島第一原発事故後、福島のこどもたちは甲状腺がんの検診を継続して受けています。これはチェルノブイリ原発事故の後、こどもの甲状腺がんが増加した教訓から取り入れられた制度です。
甲状腺がんの患者は一般的には十万人に八人とのことですが、福島県ではおよそ三十万人検査して、二百七十人以上のこどもに甲状腺がんが見つかり、そのうち二百人以上が手術を受けています。
手術で甲状腺を切除した影響は、疲れやすい、免疫力が低下して風邪などの軽い感染症でも重症化しやすい、妊娠時に赤ん坊の成長のため甲状腺ホルモンの代替治療が必須である、など様々な影響があります。
先生が所属している団体は、この患者のサポートを行う団体です。
患者の中には国と東電を提訴する方もいますが、ほとんどはただ静かに日常生活を営む人たちです。
さて、原発事故から十年以上経過した今、甲状腺がん検査について否定的な意見がたくさん出ています。曰く、『甲状腺がんは放置しても自然治癒するものも多い。さらに検査機器の精度があがったため、治療の必要ないがんを見つけて手術することになりかねない』というものです。
実際、韓国で健康診断時に甲状腺がん検査を割安で行えるようにしたところ、がん患者のみが急増し、その一方で甲状腺がんによる死亡者は増加しなかったというデータもあります。WHOも『こどもの甲状腺がんの検査はするべきではない』、と声明を出しています。
こうした状況下で、甲状腺がん患者達には『科学的知識の無さから、本来不要な手術をしてしまった人たち』というような目が向けられることさえあります。この傾向は、患者たちが国と東電に訴訟を起こした時から強まりました」
「ひどいですね」
ぼくの言葉に、我那覇さんは頷く。
「わたしもひどいと思います。ここでは疫学的判断の正誤について詳しくは語りません。
しかし、これは想像することしかできないのですが……住んでいた場所で突然の事故が起き、仕方なくすることになった検査でがんが見つかる。
その後の経過観察でがんの拡大が認められて手術をする。甲状腺の切除に伴う後遺症は、事前に説明されていたこととは言え、実際に毎日体験するとなるとつらい。
そんな苦しみと日々向き合っておられる方にとって、『検査し過ぎて不要な手術しちゃったね』という目を向けられることが、どれほどの苦痛であるか……」
聞いているだけでつらい話だ。胸がギュッと押しつぶされる。もし自分の身に起きたらと想像するのも苦しい。
「しかも、患者の多くはまだ幼いこどもだったのです。それを思うと本当につらい。
政府の見解を見るたび、こどもたちの抱えている苦しみを思うと、わたしは胸が苦しくなります。
Y先生はボランティア団体の施設で、訴訟についての翻訳などの事務作業と、患者となったこどもたちの家庭教師をしているそうです。
こどもたちは簡単に心の内を語ってはくれないでしょうが、先生は普通のカウンセラーの何倍もの時間を教師と生徒として過ごしています。
先生が彼らを自分の軍団にしようと思えば、それは不可能ではないだろう。わたしはそう思いました」
「Y先生のことをぼくはよく知らないのですが、そんなことをするような方でしょうか? こどもをそそのかすなんて……」
「わたしも何度も、この自分の妄想が妄想であって欲しいと思いました。
ボランティア団体の活動はホームページ上ではよくわからなかったので、直接施設を伺って見学させていただきました。病気で孤独になりがちな患者を励ますため、バスツアーなどの企画もあったようです。
そのバスツアーの写真の一枚にわたしは衝撃を受けました。これがその写真です」
我那覇さんが自分のスマートフォンを机に置く。画面には、写真をスマートフォンで撮影したものが写っている。特に何の変哲もない集合写真のように見える。もう青年期を迎えたこどもたちを中心に、端の方にY先生の姿が写っている。
「……ただの集合写真に見えます。教え子達とバスツアーに行っているだけに見えますが……」
「そう。一見そう見えます。笑顔がないのが気になりますが、一見ただの集合写真です。
ポイントはここ。看板見えますか?
六ヶ所村原燃PRセンターと書いてあります。スタッフの方にお話を聞いてみると、どうも複数のこどもたちから是非行きたいとリクエストがあったそうです。……六ヶ所村についての解説が必要ですね。」
「……お願いします」
ぼくは自分の無知を恥じた。
「今日お話ししていることが突飛すぎるというのも自覚があります。情報量が多く、さらに一方的であるという指摘も受け入れます。わたしが語る内容は、あくまでもわたしの調査結果と推論です。真偽が疑わしいと思ったら、ご自身で裏取りをお願いします」
我那覇さんは淡々と語る。
先生がボランティア施設の事務員であることはすでに聞いていた。しかしそれがどこのボランティア施設かは聞いていなかった。これはあとで裏取りをしよう。
甲状腺がんを取り巻く状況についても、あとで調べてみることにする。
次に……その施設の人たちがバスツアーで行った六ヶ所村だって?
たしか、原子力関連の何かがあったように思うが、詳しくは知らない。
今は我那覇さんのお話を聞いて、あとで自分でも調べてみよう。
ぼくは大急ぎでメモを取り、先を促した。
「六ヶ所村には日本原燃株式会社の施設があります。
そこには再処理工場、MOX燃料工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、低レベル放射性廃棄物埋設センターがあります。
この内、施設の中心を担う再処理工場、MOX燃料工場はまだ稼働していません。一九九三年に工事が始まって、まだ稼働時期は未定なままです。
この一連の施設は、全国の原子力発電所から使用済みの核燃料を集め、細かく細断して溶かし、分離や濃縮を行いプルトニウムとMOX燃料を作り出すための施設です。核のゴミを集めて、もう一度燃料を作り出すこのことは、核燃料サイクルと呼ばれています。
あまり知られていませんが、使用済み核燃料は使用前の核燃料と比べても段違いの危険性があります。それは超ウラン物質を多く含むためですが、今は簡単に、放射線の毒が強くなっている、くらいで考えていただければ大丈夫です。
これらの一連の施設の意義や安全性をPRするのが、六ヶ所村原燃PRセンターです。PR内容を簡単に言うと、核のゴミを集めて再利用し、さらに核のゴミ自体を減らすことができるぞ、日本の核燃料サイクルの中核を担うすごい施設だ、それに安全への配慮も万全だぞ。というものです。
原子力関連施設は、周辺住民との折り合いが難しいものですが、意外なことに六ヶ所村では住民による反対運動はほぼありません」
「それは意外ですね。何があったのですか?」
ぼくが尋ねると、我那覇さんは少し迷ってから言った。
「それではさらに少しだけ脱線します。わたしの推論を説明するにはこの場所のことを深く知る必要がありますから。ただ、あくまでもわたしの説明を鵜呑みにすることなく、あとでアオシマくん自身も裏取りをすることをおすすめします」
ぼくが頷くと、我那覇さんは話しはじめた。
「簡単に歴史を振り返ると、産業がなく過疎化の進む六ヶ所村に、石油化学コンビナートの計画がありました。当時、国の平均の四割の収入しかなかった六ヶ所村では三人に一人が出稼ぎに行っていました。コンビナートさえ来れば地元が栄える。開発の話が村を二分しました。
一九七三年の選挙では、七九票差で推進派の村長が勝ちました。多くの農家が土地を手放し、港湾の整備のため漁師は漁業権を手放しました。しかし、土地買収が終わった頃、コンビナートの話は立ち消えになります。オイルショックの影響とも言われますが、真相はわかりません。
そして十年以上経った一九八四年に来たのが、この核燃料サイクル施設の立地要請です。当時のアンケート結果からは『怖くて嫌だけれど、働く場が欲しい』という村人の切実な気持ちが読み取れます。
村は施設を受け入れ、一九九二年にウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センターが操業し始め、その後の施設も作られていきます。
一九九一年以来、村議員に反対派はいない状態が続いています。
『一人でも反対派の議員が居れば議論になる』と立候補した人は落選しました。十九人の候補者の内、十八人が当選する村議会選挙でした。
住民の意思は固い。働く場を求めて、村人は核燃料サイクル施設と共存を望んでいます。福島原発事故後の二〇一二年に、当時与党であった民主党が『三〇年代原発ゼロ案』に核燃料サイクルの見直しを盛り込もうとしましたが、それに猛反発したのも六ヶ所村村議会です。
六ヶ所村原燃PRセンターでは村の人も多く働いています。村人もまったく心配していないわけではありません。心配だし不安もあるけれど、これに頼るしか他にどうしようもないじゃない、と胸の内を語る村人の方もいます。その気持ちはわたしはある程度理解できます。
しかし、先生と共にそこを訪れたこどもたちは、まさにその論理の結果を背負わされたこどもたちでした。
六ヶ所村の核燃料サイクル施設が、本当に必要な施設であったのならば、また、本当に安全性への配慮が十分ならば、村人の言葉はこどもに受け入れられた可能性はあります。
ここでは、PRセンターの主張を確認していきましょう。
日本原燃のPRする通り、高レベル放射性廃棄物は、再処理を行うことで減らすことができます。しかし、低レベル放射性廃棄物は、同じメーカーの機械を使っているフランスでさえ十五倍に増えることがわかっています。日本原燃では『七倍に増える』と控えめな試算を国に提出していますが。
つまり、放射性物質を減らすためにこの核燃料サイクル施設があるというのは、うそになります。
では次、採算性について考えましょう。日本原燃からの発表では、これまでの建設費で二兆円、今後の運用を含めると十一兆円がかかると発表されており、採算が取れる見込みは全くありません。
新しく燃料を買った方が安全で安い。なので、採算性の観点でも、この施設の意義はありません。
次に安全性への配慮。国に提出する安全審査の書類では、環境に放出する放射性物質の見込みを発表しています。
気体で放出される放射性物質の濃度に関しては、敷地の外に出るまでの希釈効果を加えてよいことになっており、要するに土地を買って敷地を広げて下駄を履くことができるルールなのです。
安全審査基準には穴があって、その穴を突くのもお手のものという状況なのですね。
他にも食物連鎖に伴う生物濃縮についての計算では、例えば牛肉では一日平均六グラムしか近隣住民は食べない、という過小な計算(県の平均値は一日二十グラム)を行い、そうした積み重ねで、近隣住民の被曝量は年間二十二マイクロシーベルトだ、と言い張っています。
付近の住民は一ヶ月に一八〇グラムのステーキを一枚しか食べず、それ以外は牛肉を一切口にしない想定のようです。
審査基準をクリアする、という結論が先にあり、それに合わせて仮定の計算に使う変数を変えていった実態が、ここから読み取れるようにわたしは思います。
最後に、情報公開の面ですが、稼働を目前に控えた再処理工場で雨漏りがあり、それを異常なしと報告していた事実がありました。それが表に出て問題となり、二〇二二年の再処理工場の稼働は延期となっています。情報公開の面でも信用できそうにないのですね。
これらの情報についてはわたしよりよっぽど詳しい専門家がいるので、アオシマくんも裏取りしていただければと思います。
さて、これだけ問題があって採算性もない核燃料サイクルがどうして維持されているのか? それは核燃料サイクルが維持されることで、使用済核燃料を電力会社は資産として計上することができるためだ、と聞いたことがあります。
核燃料サイクルを諦めた瞬間に、使用済核燃料は電力会社内で廃棄物として負債に計上されるため、原発推進の謳い文句である『低コスト』という看板を下ろさなければならなくなるからだ、と。
わたしが聞いた中では一番腑に落ちる説明でした。
なるほど。会計上の都合で仕方ない。そして現地では雇用のために仕方ない。空気を読めよ。みんな金が入って嬉しいじゃないか、金のためにまじめに働いてる皆さんの邪魔をするなよ、というわけですね」
ぼくはこどもたちの集合写真をもう一度見る。
笑っている子はいない。彼らは緊張しているようにも見える。背景を知るとまったく印象が変わって見えてくる。
「ボランティア団体では、大学進学のサポート以外にも就労支援として重機や大型車両の免許取得のサポートもしているそうです。……これは本当にただの妄想なのですが、例えばガソリンを満載した大型車両が再処理工場に突っ込もうとした時、それを止めるための対策は限られてくるとわたしは思います」
我那覇さんは口を閉じた。
ぼくは六ヶ所村についてのメモを確認した。事実関係の裏取りが必要だろう。ボランティア施設のサポート内容についても、確認が必要だ。
しかし、仮にすべてが我那覇さんの妄想でなく、本当にテロの準備が行われていたのだとして……どうすれば止められるのだろう。
「あの人たちに大型免許交付するのやめてもらってください」などと言うのか。
できるはずもない。
テロが実行されるまでは、彼らは真面目に生活する市民に過ぎないのだ。
テロ実行の日もいつになるかわからない。もし仮に実行の日、大型車両に燃料を積む瞬間を押さえれば、何かしらの軽微な違反に引っかかるかも知れないが……それだけだ。
そのことをぼくが話すと、我那覇さんは口調を明るくして言った。
「さてアオシマくん。最初にわたしが言った通り、ここで今日お話しした内容のほとんどはわたしの妄想に過ぎません。しかしこの社会には特殊な職業があります。妄想を物語として書き、多くの方に届ける作家という職業が。ここに先程お話しした妄想に着想を得て書き連ねた文章があります」
我那覇さんは机の引き出しから紙束を取り出す。
原稿用紙にして五百枚程度の文章が、紐で閉じられている。タイトルは『新世界へ』。
我那覇さんの説明によると、それはこんな物語だった。
ひとりの青年が原発事故に巻き込まれ、集団甲状腺検査でがんが見つかり、手術を受ける。
治療のハンデを負いながら成長していき、同じ境遇の女性と出会い、恋をして結婚する。妊娠した妻はおなかの中の赤ちゃんの成長のために甲状腺ホルモンの代替治療を受け、ささやかな幸せを掴もうとする。
そんな折、青森県で核燃料再処理工場が稼働をはじめる。青年はたまたまその工場に運送の仕事で訪れ、工場に勤める人から工場の本音と建前の両方を聞く。
自分を苦しめた原発事故と、その原発よりもはるかに危険な再処理工場のこと。青年は、日々の生活において必要不可欠な電気ということを思えば、被災の苦しみや手術後のハンデなどへの飲み込みきれない想いを飲み込んで受け入れてきた。
しかしそれはただの建前であることを知ってしまう。一度はじめてしまった商売をただただ続けたいという、惰性だけが巨大に膨れ上がり、誰の利益のためかもわからないまま稼働しているシステムだけが、そこにはあった。青年は真っ暗な帰り道、ひとり大型車両を走らせて家路に就く。
それからしばらくして、不幸なことに、こどもは妻のおなかの中で亡くなってしまう。原因はわからない。
さらに、悲嘆する妻に「甲状腺の手術を受けたのが間違いだった」などの心ない言葉がかけられる瞬間を目撃してしまう。結婚前、手術を怖がる妻を支えた思い出と、妊娠中の代替ホルモン治療のことが思い出され、青年と妻は二人泣きながら抱き合って眠る。
目が覚めると妻の姿はなく、「ごめんね」と書かれた手紙だけが見つかる。青年は半狂乱になって妻を探した末に、自ら命を絶った妻の亡骸を見つける。
政府やWHOの今の見解は、たとえ原発事故のあとだとしても甲状腺がんの検査はするべきではなく、がんが増加したのは、実害の出ない範囲のがんを発見したのに過ぎない、というものである。
妻とこどもの葬式を終えた後、政府の見解を書き連ねた文章を見ながら彼はどうしても考えてしまう。
「そう言うお前らが俺と同じ状況だったら耐えられるか?」と。
再処理工場の男が言っていた「ここが爆発してしまったら日本どころか北半球が汚染されてしまう」という言葉が、青年にとって違う意味を帯びて頭に響く……。
そしてある台風の日、青年は再処理工場までの道を大量のガソリンを積んだ大型車を走らせながらこれからの世界に想いを馳せる。
台風によって、回収不可能な広範囲に汚染がばら撒かれた世界。
自分だけが特別に奪われた世界ではない、平等な新世界。
「一応言っておきますが、こんな青年もその奥さんもいません。すべてわたしの妄想です。文章もわたしの手によるものですから、あまり見られたものではありません。が、それでも渦中のベストセラー作家、我那覇キヨの新作ですから、多くの方に読んでもらえるのではないかと思います」
我那覇さんはそう言ってぼくの手をとった。
「この物語の目的は一つ。
先生が本気でテロを考えていて、合法の範囲で準備を進めていたとした場合、その意思を挫くことです。
この物語が広く読まれることの影響は、登場人物の感情の動きを体験すること以外に、『誰にでも可能な世界を滅ぼす方法』が公開されることでもあります。
このテロは、誰にでも実行できてしまいますが、普通はできません。自分が住むプラットフォームを根本から破壊し、元に戻せなくなることが明白だからです。被害の範囲が日本だけで収まらないことも、逆説的ですが、できない理由の一つになります。日本と敵対している国があったとしても、同じ星に住んでいるのですから。
ただしこれは、あくまで、普通なら、ですが。
普通でない人、例えば、数百年後の地球のために人間の活動範囲を強制的に狭めたい人や、世界に対する巨大な絶望を抱えた人にとっては、そのできない理由が当てはまりません。
だから唯一の根本的な対策は、それを実行してしまう人が現れないようにすることだけです。
この本が出版されることで、近視眼的な対策として、再処理工場の警備が厳重になるかも知れないし、なんなら工場の稼働がさらに延期になるかも知れない。
長期的な対策として、甲状腺がん患者のことが知られることで、同情が集まり手術後の保障などが手厚くなれば、それは望外の喜びです。
アオシマくん、お願いです。この文章を本にしていただけませんか」
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