シーン18 [???]人は物語でできている

 人は物語でできている。


 人は幼い頃から日常的に物語に触れる。


 あらゆる文化圏で、原初的な学びは必ず物語の形を取る。


 警告、教訓、あるいは指針。神話などの物語にこれらの要素が織り込まれているのは、それらを伝えるために最適な手段が物語だったことをしめしている。


 太古の昔から、私たち人類はそうしてきた。


 だから記憶に定着する強さは、数式や年表などよりも物語の方がずっと強い。法則を見つけることで暗記が格段に楽になるのも、それはつまり法則とは物語であるからだ。


 人は触れた物語を記憶とし、それは物の感じ方や好みとなる。それが積み重なって価値基準や思想信条となる。


 つまり、人はそれまで触れてきた無数の物語でできている。


 そして人は、物語を語ることで仲間を作る。


 私に言わせれば、コミュニケーションはすべて物語だ。


 我々の日常的な会話も小さな物語となっている。


 「ここにドーナッツがあるよ」と言えば、「好きに食べてよいよ」であったり「一緒に食べよう」であったりと関係性に応じた物語となる。


 一緒に酒を飲む友人が「昔の恋人がひどいやつだった」と話し始めた場合、友人の真意は元恋人の許せない点のリストを作ることではなく、二人で同じ物語を共有して絆を深めることにある。


 絶えず物語を摂取し、絶えず物語を出力する存在が人間。


 物語を語ることこそ、人と動物とが一線を画す行為だ。私はそう考えている。


 だからというわけではないが、教師として人に教えるコツは、自分を太古の部族の語り部だと思いながら語ることだと思っている。


 こどもたちの反応を見ながら様々な物語を語り、彼ら自身に考えさせることを繰り返す。これはずっと昔から続いてきたこと。私が繰り返し、そして私の生徒たちが繰り返していく営み。


 優れた教師は優れたストーリーテラーだ。

 ストーリーテラーは断片の情報を与え、聞き手はそれを想像力の翼で肉付けし、物語が聞き手の中で息づく。


 多くの生徒が私の語る物語の虜になった。


 しかしこの力は危険な力だ。


 チャールズ・チャップリンは映画『独裁者』を作ったあとでこんな言葉を残している。


「すべての映画はプロパガンダです。ボーイ・ミーツ・ガールは愛のプロパガンダ。『独裁者』は民主主義のプロパガンダなのです」


 チャップリンらしいアイロニカルな言葉だなと思う。チャップリンの『独裁者』がわたしたちの心に希望を灯したのと同じ力で、ヒトラーは多くの国民を戦争と差別へと駆り立てた。


 物語の「素晴らしさ」と「惨たらしさ」はまったく同じ力の発露を、異なる立ち位置から眺めた感想でしかない。


 物語は、物の感じ方を変える程度なら造作もなくやってのける。それどころか人の心の奥深くに楔を打って決定的な影響を与えることすら容易い。


 そして自分に打たれた楔への知覚が無ければ、人は物語に支配される存在へと、簡単に堕ちてしまう。


 例えば、二〇二〇年から続くCovid-19や二〇二一年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件など、多くの人が目撃したこれらの事件への眼差しは人によって異なる。それは時に、家族の中でさえ互いに相容れないものとなっている。


 このことは、人が物語に支配されていることを示している。人はその物語に都合の良い情報を選り分けさせられているのだ。「思想信条に一貫性がある」のではなく、「思想信条の一貫性のため、事実を選り分けてしまっている」と捉えた方が実態に近いと言えるだろう。


 すでに物語は人を支える存在ではなく、人を支配している存在となっている。


 人に埋め込まれた物語は、ものの見方をシンプルにわかりやすく加工している。この加工を表す適切な言葉は? そう、物語化だ。


 物語は人を支配し、ものの見方を物語化する。この繰り返されるループ。


 人が何かを理解するプロセスに組み込まれた、単純で強力な回路。


 ある人物の中で物語化が進むほどに、その物語にそぐわない事実はノイズとなり受け入れがたくなっていく。


 人が理解を早めるために編み出した物語化という手法が、却って理解を阻む要因となっているのだ。


 それは今や、人の相互理解を阻む分断となっている。分断は諦めを呼び、気候変動問題などの連帯が不可欠な困難の解決を遠ざける。


 物語では、立ち向かえない類の問題がある。


 私はそれを知っている。

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