シーン17 [アオシマ]降参、ということだろう

 録音された自分の声に違和感を覚える理由は、普段聴いている自分の声が空中を伝わる気導音と骨を伝わる骨導音を合わせたものなのに対し、録音された音声は気導音だけになるからだ。録音された自分の声は厚みがなく、軽薄にすら聞こえる。


 我那覇さんは向こうの弁護士と思われる初老の男性と共に現れ、挨拶もそこそこにスマートフォンで動画配信サイトを表示した。


 そこには盗作の事実を告げられた日のぼくと我那覇さんの音声が収められていた。ファミレスでの会話が録音されていたのだ。


「この会話、録音してませんよね?」


 動画からぼくの間抜けな声が流れる。尋ねただけでスマホや手荷物の確認をしていない。なんと愚かなのだろう。顔から火が出るような恥ずかしさがある。


 顔の横に編集長からの突き刺ささるような視線を感じる。黒木先輩は顔を手で覆って天を仰いでいる。


 涼しい顔で我那覇さんが言う。


「アオシマくんの訴えの根拠である『アオシマくんは盗作の事実を知らないまま、先生の捜索に付き合わされていた』という点がうそである証拠をお持ちしました。訴えを取り下げていただくのがよろしいと思います」

「いや、でも、しかし……」

 編集長が食い下がる。


「しかしも何もないですよ。オレ達の負けです。勝ち目がない」

 黒木先輩が編集長をなだめる。


「あ、ほら。この動画がいつ撮られたものか、怪しいもんじゃないか」

 編集長はなおも食い下がる。


「動画サイトにアップロードした日付が証拠になります。わたしはアオシマくんとお会いする時は必ず録音ではなく、配信をしていましたから」

 我那覇さんは間髪いれずに告げる。


 編集長はどっかりと椅子の背もたれにもたれかかると「ふしゅーーーーーっ」と長いため息をついた。


 降参、ということだろう。

 しかし、どうして。


 我那覇さんの行動原理からすれば、裁判を長引かせるようにすると思うのだが……ぼくはこれだけ完敗しておきながらも、自分の間違った予測に縋った。


「さて、本題はここからなのですが」


 我那覇さんは傍らの初老の男性をチラリと見ると言った。


「ご紹介致します。こちらがY先生になります。『ファントム・オーダー』の本当の作者です」


 紹介された男性ははじめまして、と言いながら頭を下げた。


「本日は作者変更の手続きを依頼しに参りました」

 我那覇さんはにこやかに言う。


「この人が? 見つかったんですか? それとも以前から?」

 ぼくは驚いて問いただす。


「『亡霊の注文』の発表後、すぐに情報を寄せて頂き、Y先生とお会いすることができました。先生にも状況をお話しして、静かな暮らしの邪魔をしてしまったことをお詫びしております」


 なるほど。Y先生が見つかったということか。たしかに、我那覇さんからもらった写真の人物に似ている。すぐに気づかなかったのはメガネや髪型が変わっているせいか……。ともあれぼくは一年以上探し求めた人物にようやくお目にかかることができたのだ。


「はじめまして。お噂はかねがね……」

 感慨深くはあるのだが、何を言えばいいものか咄嗟には思いつかない。


「あなたがアオシマくんですね。『亡霊の注文』は読ませていただきました。あなたも我那覇くんに振り回されてご苦労されましたね」

「ああ、いえいえ……とんでもございません……」


 彼にとってぼくは味方なのだろうか、敵なのだろうか。突然の事態に混乱した頭で考えた。


 自分の書いた作品が十八年以上も経ってから、教え子に盗作され、それが空前のヒットになる。そして教え子は本当の作者は自分ではないという告白本をだす。その告白本を虚偽だ、ということで訴えている原告がぼくだから……ん?


 つまり彼にとっての一番の敵がぼくなのではないか? Y先生の態度は柔和だが、であるがゆえに本心がわからない。気をつけて喋らなければならない。


 そんなことを考えていると、編集長が慌てた様子で会話に割って入ってきた。


「いやいやいやいや。これだけ今注目されて本が動いてるのに。作者名変えるために一旦全部引っ込めるなんて、もったいないですよ。こういうのはタイミングが重要で。このタイミングを作るために編集も販促も命を張ってるんです!」


 編集長がなんの説得にもならないことを言う。


 我那覇さんは少し呆れたように口を開く。


「その事情はわかりますが、作者の変更はお願いします。『ファントム・オーダー』はあくまでもY先生の作品ですから……」


「だから。やらないってわけじゃなくてですね。もうちょっと遅らせて……本が動かなくなってきたら『本当の作者が見つかりました!』なんて大々的に記者会見でも開いてね。それまでダラダラと長引かせた裁判もバシッと和解で終わらせてね。それから本当の作者による再構成を行って売り出し、と。そういうのが商売の王道なんですよ」


 王道なワケないだろう。


 かつて自分が提案した計画とは言え、この状況でそれを他人の口から聞くと、その計画の恥知らずさにいたたまれなくなった。


「わかりました」

「「え?」」


 その場にいた一名を除く全員が虚をつかれた。


 なんとY先生が、編集長の説得にもならない説得に合意したのだ。


「作者変更のタイミングはそちらにおまかせします。プロとして信頼いたします」


 Y先生は編集長を見ながら深く頭を下げた。


「いやいや、待ってください! 『ファントム・オーダー』は先生の作品なのですよ。この偉大な功績の名を騙っていることに、わたしはもう一日だって我慢したくありません。どうしてですか?」


 我那覇さんが食ってかかる。


「我那覇くん。ここはやはりプロにおまかせすべきです。彼らはより多くの人に作品を届けるプロなのです。私は名声よりも、より多くの人々に物語が届く方が嬉しい。たとえ、私の名前が読者に覚えてもらえなかったとしても、物語が伝えようとするメッセージが読者の中に残ればわたしは構いません」


 Y先生は優しく答える。教え子を諭す教師そのもののような表情だ。


「しかし……」


 なおも食い下がる我那覇さんの言葉を、編集長が遮った。


「ありがとうございます。我那覇センセイはY先生の今の生活のことや、我那覇センセイが受け取った印税報酬のことを気にしてらっしゃるのでしょう? 我那覇センセイからY先生に直で受け渡すと、贈与税の分、大損しちまう。ここはウマイやり方を税理士に相談するとして、当面のキャッシュだけなんとかしたいじゃないですか。そこは任せてください。当面三ヶ月の間、毎月……二百万円払います」


 編集長は二百万円の前で一瞬息を溜めて強調した。


「ダメです。原作料なり、監修なり、理由をつけたお金を受け取ったら、そのまま契約を結ばせて先生を作者にさせないつもりでしょう?」


 我那覇さんはにべもなく断る。


「まぁまぁ我那覇くん。今日の会話も録音していますし、お約束は守ってくれると思います。お金を受け取るかどうかはともかく、売り上げを最大化するために今は裁判を長引かせるというお話に、私は賛成です」


 編集長に反対する我那覇さんを、Y先生が抑えるとこれまでの話をまとめるように言った。


「これからの流れは、裁判を長引かせながら、注目を煽る。世間が飽きてきて本の売れ行きが鈍ったら作者変更の手続きを行い、大々的に発表する。再度売り出しのタイミングで最終巻を出版する、とそんな流れで良いですね?」

「最終巻はすでに書いてあるのですか?」


 編集長が身を乗り出して尋ねる。


「我那覇くんにも伝えましたが、すでに書き上げてあります。本にするためには校閲などの作業があることとは思いますが、最終巻の原稿受け渡しは作者の変更後とさせてください。信用しないわけではないですが、切り札は多い方が良いので。大丈夫、多くの読者の期待を裏切らない素晴らしい物語になっていると自負します。『作者が変わって面白くなくなった』なんて思われることはないと思います」


 Y先生は皆を見回すとさらに続けた。


「私が予想したよりも本の売れ行きが良く、メディアで取り扱われることも多いのは、編集長をはじめ、皆さんのおかげだと思っています。これまでありがとうございました。我那覇くんの起こした異例の事態により、作者変更などのお手間を取らせて申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いします」


 Y先生は頭を下げる。


 我那覇さんを含め、ぼくたちは予想外の展開に顔を見合わせた。


 編集長だけが、当面の危機が回避されたことを喜んでいる。編集長はY先生の手を取ると、よろしくお願いします、と叫んだ。Y先生の気が変わらないうちに話を進めてしまおうという意図が見え見えだったが、誰も、我那覇さんでさえ、異を唱えることはできなかった。


 編集長がこれまで売れた冊数や、これからどれだけ売れるかの見込みをツバを飛ばしながら説明し、それに対しY先生は何度も、みなさんが売ってくださるからです。ありがとうございます、と笑顔で答える。


「それにしても」とY先生は言う。「これだけ読まれたとしても、人々の意識や行動が変わるわけではないのですね。難しいことです」

「啓蒙ですな。それはもうヒットよりも難しい。わたしら凡人にはヒットでさえ奇跡なんですから。大事に大事にヒットを育てていくしかないのですわ」


 編集長がY先生に必死でごまをする。もう我那覇さんに気を使う必要もないと判断したのか、Y先生から視線を動かさず、我那覇さんをチラリと見ることもなかった。我那覇さんの方はというと、茫然とした様子で、何か考えごとをしているようだった。


 これではまるで部外者だ。唐突にそう思った。


 裁判は始まるし、表向きはぼくと我那覇さんの争いは続いていくが、ぼくも我那覇さんも、すでに部外者となってしまったのだ。編集長とY先生のやりとりを見ながら、そんなことをぼくは考えていた。

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