シーン15 [アオシマ]たったそれだけのために
ぼくは編集長にすべてを打ち明けた。
我那覇さんからの手紙、メールの文面、そして我那覇さんの『亡霊の注文』が掲載された雑誌を携えて、黒木先輩と共に編集長室を訪れたのだ。
編集長は内容を聞くなりあらゆる言葉でぼくを罵倒し机を叩き、あらん限りの方法で我那覇さんを罵ると、床に仰向けに倒れて大人しくなった。
静かになった編集長室で、編集長のしゅーしゅーという荒い呼吸音だけが響いている。その姿を見て、ぼくも抑えていた不安が込み上げてくるのを感じた。
……これからぼくはどうなるのだろう。
どうすればよかった?
どうやって責任を取ればいい?
……どうするのが正解だったのだろう。
我那覇さんの手紙を受け取った時点で、編集長に相談していればよかったのか?
デニーズでの話し合いのあと、保留を選んだことがまちがいだった?
考えても仕方のないことが次々浮かんで来る。
あの時、誰かがぼくに「あなたはまちがえています」と言ってくれれば……。
突然、ぼくに一つのアイディアが浮かぶ。
それは徐々に頭の中で大きくなり、確固たる意志を含んで形となった。
ぼくは言う。
「裁判しましょう」
二人が顔を上げる。ぼくは繰り返した。
「裁判しましょう。『亡霊の注文』に書かれていることはまったくのデタラメだって」
「無茶だ」
黒木先輩が即座に否定する。
「作者本人が盗作を認めてるんだ。どうにもならない。俺たちは『ファントム・オーダー』を回収しなけりゃならない」
投げやりに言う黒木先輩に、ぼくは身を乗り出しながら言った。
「『ぼくは『亡霊の注文』を読むまで盗作の事実を知らなかった』そう言って名誉毀損で訴えます。イチャモンをつけれる部分があればなんだっていい! とにかく『亡霊の注文』は信用できないって裁判を起こしてしまえばいいんです。そうすれば……」
「なるほどな。そうすりゃ、判決が出るまでの間は『ファントム・オーダー』の販売を差し止める建前がなくなるってことか」
いつのまにか起き上がった編集長が、ぼくの言葉を引き継いだ。
「そしていっそのこと、裁判をプロモーションに使っちまうってことだな」
編集長が言う。ぼくは強く頷いた。黒木先輩も得心したように頷く。
「どちらか向こうの編集部に、お知り合いはいますか?」
「……ああ、俺の元同期が一人いるよ」
ぼくの質問に黒木先輩が答える。その目は既に、次を見据えた冷静な目だった。
「話のワカるやつだ。編集長に似てる」
「良さそうなヤツじゃねぇか」
黒木先輩の言葉に、編集長が嬉しそうに笑う。同じ穴のむじなということなのだろう。この場面では心強い。
「裁判では俺たちもあちらさんも、自分たちの真実を信じて行動する。何もやましいことはないので、俺たちは裁判が終わるまでの間、本を売りまくれる。向こうの会社も同様だ。裁判はたまたま人々の注目を集め、その結果として本が売れる。ウィンウィンの関係だな」
そう。我那覇さんだって本が売れれば、それだけY先生が見つかる可能性が高まるのだ。
「俺はアオシマの言うことを信じるぜ。『亡霊の注文』はひでぇ作品じゃねえか。かわいい部下についての悪質なデマが書かれている。一つデマがあると、作品全体の信憑性を疑わざるを得ない。盗作の告白だって、突拍子もなくて信じがたい。俺たちは会社をあげてお前の裁判をサポートするよ」
編集長がつい先ほどまでの罵倒を根っこからひっくり返して、ぼくの肩に腕を回す。
編集長の汗にまみれて光った肌、血走ってギラギラと輝く目が間近にある。獣みたいだとぼくは思う。ハイエナと呼ばれて一人前、という編集長の言葉を思い出す。きっと今のぼくも同じような目をしているのだろう。
「だが、大丈夫か? 盗作を知ってた証拠をニギられてないだろうな?」
黒木先輩が尋ねてくる。その言葉に、ぼくは頷いた。
「大丈夫です」
「どうしてそう言える?」
「信じられるからです。証拠を握ってても使いませんよ。我那覇さんは」
「これだけ裏切られてもか? お前、あいつに散々利用されて捨てられたんだぞ?」
「はい。だから信じられます。あの人にとってはY先生に繋がるもの以外はどうだっていいんです。騒ぎが大きくなることは我那覇さんにとって得しかない。だからY先生が見つからない限りは、裁判は長引きます」
「もしY先生が見つかったら?」
「『改めてみんなで本を作りましょう』って我那覇さんは言うでしょうね」
「狂ってる」
「ええ。だから信じられます」
これはまちがった道だと、冷静な声が頭で鳴り響く。ここから先は人が踏み入れてはいけない道。獣道なのだ。
思えば、我那覇さんはこの獣道をずっと前から一人で進んでいるのだ。その先にY先生がいることを信じて。Y先生の存在が我那覇さんの妄想かどうかに関わらず……。
ぼくは……?
ぼくはこの道の先に何を見ている?
……我那覇さんへの復讐?
……それは違う。
……この騒動の結末を一番近くで見たい?
……これは近い気がする。でも、たったそれだけのために?
ぼくは自分の思考に苦笑する。
ぼくはその「たったそれだけのため」に行動している人物をよく知っているではないか。
いずれにしても、引き返す道はもうないのだ。
その日ぼくたちは獣の群れとなった。
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