二十六

 雪雲が裂けて陽が差し込んで斜めに影ができて、闇の中に曙光が広がっていくような……あのあなからのぞく空の奥深くにいる神から救済が施されたような時間が、想像の範疇はんちゅうの裏側から突然に訪れてきた。白雪は照り輝いて、辺りを眩しく煌めかせ、眼を開くことが一瞬たりともできなかった。それは、たとえることもできないほどに、美しい一時だった。


 地上にできた天国を後ろに残して、電車は山中へと走りだしていった。枯木の枝を縫って伸びていく光が、次々に影の形を変えていき、電車に映じていく陰翳いんえいは、人生そのもののように、暗くなったり明るくなったりを絶え間なく繰り返していた。一直線に走り続けるということも、人生のように思えるが、レールが敷かれているわけではないという点においては、大きな相違がある。そしてふと、こういう考えが浮かんできた。


 わたしの人生は、転落の一途を辿たどっているけれど、いずれ、想像の範疇の外側から、もうひとつの選択肢が現れるかもしれない。曙光のように、或いは、救済として。


 強く生きようという心持ちが芽生えた。目前に屹立きつりつする不動の運命は、ある日突然、崩落するかもしれない。かもしれない、という可能性を持つか持たぬかが、ひとに死を与えるか生を享楽させるかを決定すると、いまなら言い切れる。不幸から逃れられないという意識は、不幸を快楽とするひとを除いて、絶望をもたらし自死の道を用意する。しかし幸福が訪れるかもしれないと信じるひとは、生を切り拓く力を失しない。


 どうしようもない境遇を覆すなにかがあると信じて、生きていこう。そういう風に割り切ってしまえばいいのだ。もう一つの極を求めて……求め続けて生きていけばいい。二つ目の極は、思いがけないときに訪れるだろう。もがき苦しんで、生きているかぎり、なんらかの可能性が残されている。想像の範疇を絶したところに、きっと。


     *     *     *


 五月上旬――わたしはいま、まだ霧の中にいる。晴れる兆しの見えない冷たい霧の中に。前後不覚のまま彷徨さまよい続けている。しかし、足がすくんで動けなくなっているわけではない。中旬には同人誌即売会がひかえている。青春漫才小説は同人誌としてまとめ上げることはできなかった。そのかわりに新刊を三冊作ることができた。一月から二月にかけて取り組んだ原稿用紙三十枚の短篇小説は、計三作完成し、それは一冊の短篇集と相成った。残り二冊は、再録本と書き下ろしの掌篇小説集だ。


 この回は――最終話は、六月中旬に発表されることになっている。しかしこれを書いているのは五月の上旬である。よって、同人誌即売会がどのような結果になったかというのは、記すことができない。だからといって、イベントの後に加筆修正しようとは思っていない。そうしてしまえば、この作品は、いつまでも終わらなくなるだろう。


 この一篇は、反省と再出発を繰り返す作品である。そしてこの物語は「反省」から始まっている。だから終わりを迎えるにあたり、「再出発」の情景を描きたいと考えた。わたしが生きているかぎり、本作を書き続けることは可能だ。だけれど、いつかは閉じるべきだろう。最後に〈了〉を打たなければならない。有限な小説でありたいから。


 現在、新しい長篇小説を執筆しているところである。それは、この長篇が完結した後に連載される。もしこのまま予定通りに進むのならば、この作とは違い、ポップでエンターテイメントに振りきった一作が、秋くらいまで続くことになるだろう。そして『もう一つの極を求めて』は、次々と発表されていく拙作の中に埋もれてしまうかもしれない。しかしこの一篇は、わたしにとって特別な作であるといっていい。


     *     *     *


 昨日、鹿野から連絡があった。彼女は、わたしの小説を読んでくれるだけでなく、厳しい批評を与えてくれる。そうしたところが、わたしが彼女と親交を結んでいる理由である。


《いつになったら、及第点をあげられる小説を書くのだろうね。努力が足りていないんじゃないかな。まあ、精々、がんばりたまえ。期待はしておく》


 この容赦のない批評家に、及第点をいただけるように、さっそく、新しい小説を書くつもりでいる。



 〈了〉

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もう一つの極を求めて 紫鳥コウ @Smilitary

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