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 計器に目を走らせながら、現況を母船に報告した。深海底にしては水温が高いのは、津軽暖流の影響だ。それでも、チタン製の密室からはどんどん熱が奪われ、やがては操縦室も雪景色に相応しい寒さになる。

「あ、光ってる」

 声に振り向くと、籐條が窓外を指さしていた。サーチライトの明かりの支配の外に、幽かな光が明滅している。

「ほら、あそこ」

「ハダカイワシかな。もしかしたら、メヒカリかもしれない」

 モニタをチェックしていた竹本が応じた。目だけは、しっかり窓のほうを向いている。窓をのぞき込む、籐條のほうを向いている。

「なんだか蛍みたい。やっぱり、寂しいのかしら」

「いや、深海魚は隠れるために光るんだ」言いながら、竹本はモニタの前に手をかざす。「カウンターイルミネーションって言ってね。光を遮ると影が出来るだろ。それを消すために彼らは光ってる。こんな深海でも太陽は届いているんだ。だから、見つけてほしくて光ってるわけじゃない」

 そっか、と籐條がつぶやくのが聞こえた。こんな場所でも、寂しくないんだ。そういう彼女の表情は、相島からは見えなかった。

『よこすか』から座標が返ってくる。相島は海底地形図をファイルから取り出した。汐首海釜しおくびかいふの西端、汐首海脚しおくびかいきゃく下北海隙しもきたかいげきに挟まれた三角地帯。予定地点へ無事着底したことを確認し、相島は竹本に目配せした。彼のレスポンスがわずかに遅れた理由には気づかないふりをする。分度器を地形図にあてがい、目的の方向をアナログに割り出して、再度通信機を手に取った。

「『よこすか』、『しんかい』。これより基準コース六〇度で航走開始する」

 補助タンクを排水する。わずかに軽くなった船体が浮き上がり、巻き上げられた泥が煙のように棚引く。もうもうと立ちこめるざらついた雲をかき分け、『しんかい』は視程五メーターの暗黒を進み始めた。七つあるサーチライトをすべて点け、慎重に海底を照らしていく。

「まずは海脚沿いに北上していきます。航走しながら目視で露頭ろとうを探しますので、モニタを注視していてください」

 声をかけると、籐條は身を捩って正面のモニタの前に陣取った。緊張しているのか、少し動きが固い。ふと、その手に何かが握られていて、擦れるような音を立てていることに気づいた。目を凝らす。それは百円玉だった。

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その青の向こうへ たけぞう @takezaux

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