ヒロイン俺かよ!?

羽川明

孤高のクイーン

 教室のドアを走り抜ける。

 時計を見ると今日もHRホームルームぎりぎりの時間だ。


「ちーっす」


 つぶやいても返事はない。

 どいつもこいつもしらけた顔で、まじめぶって前を向いている。


 つまんねぇクラスのつまんねぇHRが始まった。


「──あーい、ってことで、来週までに社交ダンスの相手を探しておくように。しゅーりょー」

「はぁ!?」


 催眠術師顔負けの眠すぎるトーンで、さらりと告げられる死刑宣告。

 つっぷしていた顔を上げると、めちゃくちゃデカい声が出た。

 クラス中がお通夜状態の中、隣の席の孤高のクイーンが氷点下の視線を浴びせてきた。

 担任がどうでも良さそうに教室を出ていくと、氷の女王様はわざとらしく深いため息をついてから、


「私と組む?」


 爆弾発言をかました。


「……」


 頭の中が真っ白になる。

 とりあえずクラス連中の反応を確認。

 HRを終えた教室はお通夜から持ち直しいて、各々固まって駄弁っていた。

 幸いなことに誰も気づいていないようだ。


「何言ってんだお前」


 孤高のクイーンこと美里みさと夏枝なつえは、茶髪を肩で切りそろえた美少女だ。


 肌は白く、足は細く、校則通りの膝丈スカートで足を組んでいる。

 クールビューティーとはこいつのためにあるのだろうが、表情筋が死んでいるのでクールどころかコールド、寒すぎて凍えてしまう。

 整いすぎてる顔も相まって、服屋のマネキンみたいな女だ。


 そんな優等生様からの誘いがジョークなはずはない。

 はずはないので、意味がわからない。


「組む相手、いないんでしょ?」


 さっきのHRでの件で俺をあわれんでいるのだろうか。

 だとしたら、


「余計なお世話だ」


 そっぽを向き、俺は廊下へ飛び出す。


 相手なんて作ればいい。

 残暑がクソ暑い異常気象の秋に冬服を着ているような真面目ちゃんにはわからないだろうが、男にはナンパという手段がある。


 一限目が始まるのを教室で座って待ってるようなつまんない女はタイプじゃない。

 よって美里みさと夏枝なつえは論外だ。

 俺のように廊下を当てもなくふらついてるやつがいい。

 このクソつまんない真面目ぶった高校に、居場所がない俺の同類が欲しい。


「お」


 さっそく見つけた。

 階段へと続く廊下の角っこで黒髪の女がダルそうに壁にもたれている。

 プリクラやらアクセサリーやらでゴテゴテに飾り付けたスマホを退屈そうに眺めていた。

 これはいける。


「おーい」

 手をふりながら声をかけると、女はなぜか階段の方へ顔を上げた。


「あん?」


 シカトするつもりならうつむいたままスマホをいじるはず。

 階段に誰かいるのか?

 孤高の女王の件でいらだっていた俺は、後先考えずに走り出す。

 社交ダンスの相手を逃すわけにはいかなかった。


「んだよ、俺が先に──」


 階段のある曲がり角から、金髪の男が顔を出した。

 小柄だが、数え切れないピアスの穴と落ちくぼんだ鋭い目の威圧感がすごい。

 それはこの学校一の問題児、山崎やまざきだった。


「あぁ? 誰だお前」 

「あ、いや……」


 後ずさる俺。

 山崎は顔を突き出してぐいぐい迫ってくる。

 タバコ臭い。


「俺の女なんだけど。何?」


 身長の割に存在感がハンパない。

 押し黙る俺の腹に山崎の蹴りが入った。


「うっ、いって」


 背中がくの字に曲がるほどの衝撃。

 一瞬、息ができなくなるほどだった。


「あんま調子こいてんなよ?」


 胸ぐらをつかまれ、臭い息を吹きかけられる。

 最悪だ。

 高一のうちに目をつけられるとは思わなかった。

 残りの二年間、耐え忍べるだろうか。


「どーしたよヤマぁ」


 山崎の取り巻きたちが階段を上ってきた。

 いかにもな不良どもだ。

 拳にメリケンサックをはめてるやつまでいた。

 終わった。

 さらば、俺の青春──


「──ひがしくん、どうかした?」


 その場の全員の視線が廊下に向く。

 現れたのは、孤高のクイーン美里みさと夏枝なつえだった。


「おまっ、なんで……?」

「おー? 彼女ちゃん登場かぁ?」


 山崎の手下が口笛を吹いてはやしたてる。

 美里はまつ毛の長いつり目を細めて、無言で圧を飛ばした。

 山崎といい勝負だ。


「おめぇーの男が俺の女に手ぇ出しやがったんだよ。なぁ、ボコっていいだろ?」

「ひゅー、ヤマさんカッケェ!」

「ダメ」


 あおる取り巻きを黙らせるように、ばっさりと言い放つクイーン。


「なめてんのか?」


 山崎がゆっくりとした足取りで美里の方へ歩み寄っていく。

 まずい。


「美里……うわっ」


 駆け出そうとする俺の足を取り巻きの一人が引っかける。

 勢いよく床が迫り、顔面に直撃した。

 取り巻きたちが猿みたいに笑い、山崎も肩を震わせる。

 震わせながら、美里の元へ向かう足を止めない。


 孤高のクイーンがどうなろうが知ったことじゃない。

 けど、さすがに巻き込むのはしゃくだ。


 手をついて起き上がると、鼻の穴からぼたぼたと生ぬるいものが流れ出る。


 鼻血だった。

 くらくらする。


 それでもなんとか体を起こして、ようやっと立ち上がる。

 そのころには、山崎はすでに間合いに入っていた。

 俺の腹に蹴りを決めた、あの間合いだ。

 案の定山崎の右足が浮く。

 蹴るつもりだ。


「美里ぉっ!」


 叫ぶことしかできなかった。

 見ていられなくて目をつむる。

 にぶい音と、どさりと倒れ込む音がする。


 目を開きたくない。

 どうしてこんなことになったんだろう。

 俺があのとき美里の誘いに乗っていたら、未来は違ったのか?


「東くん」

「へぁ?」


 声が裏返った。

 俺は今宇宙一間抜けな顔をしているに違いない。

 孤高のクイーン美里夏枝が、涼しい顔で立っていたのだから。

 そして、その足元では山崎がもんどり打っている。


「え、どゆこと?」

「説明はあと」

「ちょ、え、おい!」


 俺の手を取り、美里は駆け出す。

 振り返ると、山崎の愉快な仲間たちがあんぐりと口を開けたまま固まっていた。

 そりゃあそうだ。

 美里は俺の腕をがっちりつかんだまま廊下の反対側までを走り抜ける。

 ものすごいスピードだった。

 ついていくのがやっとな俺は、たどり着くころには息を切らしてぶっ倒れた。


「おまえ、こんなに、足速かったっけか?」


 ぜぇぜぇしながらあおむけになっていると、美里が身を乗り出して顔をのぞきこんできた。


「普段はおさえてるの」


 言いながら、真っ白な手で俺の腕を引っ張り上げる。


「はぁ? なんで?」

「その方が可愛いから」


 何言ってんだコイツ。

 誰ともつるまない孤高の女王は相変わらずの無表情。

 何考えてるのかてんででわからない。


「何急に可愛こぶってんだよ。いつもは女王気取りのくせに」

「私、男」

「…………は?」


 冗談だと気づくのに数秒かかった。


「おもしれぇ冗談だな」


 引きつった苦笑いでにごすと、


「本当なんだけど」


 真顔で返された。


「…………え、マジ?」

「というか、展開的に東くんの方が女の子みたいだよ? ありがちな少女漫画の」

「……」


 無い頭を必死に回して、ようやくその意味に気づく。



 口を開こうとした瞬間、一限目の鐘が鳴る。


 つまんねぇと思っていたクラスの、

 つまんねぇと思っていたやつとの、

 わけわかんねぇ高校生活が、



 幕を開けた。



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