週刊少年ジャンプを卒業したら彼氏からも卒業してしまったんだが。

燈 歩(alum)

1

 また月曜日がきた。


 あるべき場所に、週刊少年ジャンプがなかった。


 ドキッとして、雑誌コーナーを丹念に調べる。と言っても大したスペースじゃないからすぐ確認し終えた。……ない。どうして。


 カバンに入れていたスマホを取り出し、「ジャンプ 発売日」で検索をしてみる。読み込みの時間さえもどかしい。


 検索結果は「土曜日発売」。三連休じゃなかったのに。気がつかなかった。


 このコンビニは冊数が少ないから売り切れちゃったのかな。一縷の希望を持って、別のコンビニに行ってみた。でも、なかった。


 諦めきれずにもう一軒回ったけど、やっぱりなかった。


 またスマホで「ジャンプ 最新号」で調べてみる。どうやら人気の漫画が最終回だったみたいだ。ファンがこぞって買ったのかもしれない。普段買わない人が突然買い出すのは、定期的に買っている人の迷惑になる。いつもあるのが当たり前の顔をしてるくせに、いつもは水曜日くらいまで居座ってるくせに、なんで今日に限って売り切れなの。


 イライラする気持ちにため息をついた。どうしよう。本屋ならあるだろうか。


 何も買わずに、絶望に打ちひしがれながら店をあとにした。



―――――



 人は月曜日を憂鬱の代名詞だなんて言うけれど、私にとってはウキウキする曜日だ。


 口紅もチークも抜かりなく丁寧にのせて、きちんと洋服に着替えて家を出る。


 家から一番近いコンビニは避けて、歩いて15分くらいのところにあるコンビニを目指して歩く。道の途中には路地から出てきた野良猫や、玄関の掃き掃除をしているおばあさんなんかが朝の時間を感じさせてくれる。おはようございます、と声をかけるとにっこり微笑んで「おはよう」と返してくれるところなんて、すごく朝らしい感じがする。


 のんびり朝の空気を身体で感じつつ歩いていると見えてくる。ここに来るのは月曜日だけだけど、朝の店員さんの顔を覚えてしまうくらい通っている馴染みのコンビニだ。そこで、いつも決まって週刊少年ジャンプとエビアンを買って店を出る。


 辺りを漂う焼き立てのパンの匂いが誘惑してくるけど、ジャンプを買ったらできるだけ早く家に帰るようにしている。だって健司がお昼に来るだろうから用意してあげないと。


 健司とは付き合って1年ちょっとくらい。大学1年生の夏に、サークルの合宿で仲良くなったのがきっかけだった。普段は眠そうな顔なのに、時々見せるキラキラ輝く少年みたいな瞳が好きだった。「お前と居ると安心するなぁ」って言ってくれるところも好き。


 そんな健司が「これだけはやめられない」と言葉にしたのが、ジャンプを買って読むことだった。お酒も煙草もパチンコも、時々他の女の子にちょっかいを出すことも、全部やめられないくせにジャンプだけは「やめられない、やめられない」って口に出して言う。


「じゃあ、私が買ってあげる」


 付き合ってどれくらいの時だったろう。私は読まないのに、そう健司に宣言をした。


「え、いいの?」


 にへらっと笑う健司の顔をよく覚えてる。週末に私の家に来て過ごしたり、丸一日遊び惚けたデートの余韻だったり、2人の時間が濃いと離れるのが嫌になる。どうせすぐ、学校で顔を会わせるのに。だから、もっと健司を引き留める理由が欲しかった。



―――――



 月曜日は午後からの授業だ。いつも健司と向かい合って私の作ったお昼を食べて、健司に見送られながら私は学校に行き、健司は私の家でジャンプを読む。


 そういう変わらない月曜日を今日も過ごすはずだったのに。


 ジャンプが買えなかったことで動揺した私は、手に持っていたスマホを落としたり、見慣れた道を何度も間違えたりした。本屋を訪ねて店員に問い合わせたり手を尽くしたけど、全部空振りに終わっていた。慣れないことをした疲れと、健司に対する言い訳が渦巻いてへとへとだった。重たい頭を抱えながらアパートの階段を上ったら、健司が玄関前に居た。


「おなかすいた。今日の昼飯、何?」


 煙草の煙を吐きながら、そう聞いてきた。私の顔にはしっかりと疲れが出ているはずなんだけどな。


「ごめん、今帰ってきたところだから。今日は簡単なものでいい?」


 答えながら、玄関の鍵を開けて部屋に入る。健司とお揃いで買った、可愛くないご当地キャラクターのついた鍵を、靴箱の上の小物入れに放り込む。


 学生らしいワンルームのアパート。いつもなら、部屋に入って正面に見える白いテーブルに、堂々たる様子でジャンプが乗っているはずなのに。朝そのままにしていたメイク道具が、どっかりと居座っていた。


 カバンを下ろし、鍋に水を入れたら火にかける。レトルトのパスタソースをお皿に移してレンジに入れていると、カチカチッというライターの音が聞こえた。


「ねぇ、煙草はベランダで吸ってよね。せめて窓ぐらい開けてっていつも言ってるじゃん」


「はいはい」


「新しいラグにしたばっかりなんだから、また灰とか落とさないでよ」


「わかってるって。そんなことより、ジャンプどこ」


 ドキッとした。二人分のパスタを鍋に入れようとして固まった。


「えっと……」


「いつも分かる場所に置いてあるのに、今日はないけど」


「あの、ごめん。買えなくて」


「え?出かけてたよね?いつも買ってくれるのになんで?」


 顔にカッと血が上る。これは湯気のせい。鍋から出る水蒸気が熱いせい。呪文のように言い聞かせる。


「ご飯だっていつもはちゃんと作ってくれるのに、今日はレトルトっぽいしさ。なんか変じゃない?」


「だから、ごめんってば」


「俺には色々うるさく言うくせに、綾子ってなんか抜けてるっつーか、そういうとこあるよな」


「なかったの!」


 責めるような口調ではなかったのに、健司の言葉に傷つけられた私は大きい声を出していた。


「いつも私が買ってあげてるじゃん。一回くらい買えなかったからってなんでそんなに言われなくちゃならないの」


「え、なに。怒ってんの?」


 きょとん、と理解できないと言った顔の健司がこっちを見ていた。本当に、鈍い。よくそんなので、私以外の女の子に手を出せたものだ。


「……とにかくジャンプは買えなかったの。三連休じゃなかったのに土曜日発売だったし、人気漫画の最終回でファンが買うからすぐ売り切れたんだって。本屋も行ったけどどこにもなかったよ」


「えー!あの漫画やっぱ最終回だったんだ!」


 冷静さを装ったけど、私の苦労をいたわるより先にジャンプの内容に触れられたことが気に入らなかった。


「漫喫とか行けばあるかなー。あーでも今すぐ読みたい。まじかー」


 茹で上がったパスタを温めたソースに雑に絡めて出した。


「なぁ、今から漫喫行こうよ。俺、ジャンプ読みたいし。綾子が気に入りそうな漫画紹介するし」


 健司の言葉は無視して、自分のパスタをむしゃむしゃと食べた。いかにもレトルトっぽいトマトのぐじゅっとした食感が気持ち悪かった。



―――――



「で、ご機嫌ななめってわけ?」


 美香はどうでもよさそうに話をまとめた。授業が終わって、大学近くのカフェで一気にまくしたてた後だった。


「よく付き合ってんね」


「ちょっとそれどういう意味」


「そのまんまの意味」


 そう言って美香はコーヒーに口をつけた。いつもブラックで、こんな苦いのよく飲めるよと思う。


 美香は高校からの友人だ。保護者みたいなポジションで、私の愚痴をいつも聞いてくれる。キリっとした美人系で、メイクもファッションも大人びていて、綺麗とカッコいいが共存している自慢の友達だ。


「ジャンプが売ってなかったのが悪いんだもん。それが買えれば、今までと変わらない月曜日を過ごせたのに、全部台無し」


 また愚痴って溶けかかったパフェのアイスクリームをすくった。


 美香は黙って私を見つめていた。しばらく沈黙のまま店内のBGMに耳を傾ける。落ち着いてはいるが華やかなジャズだ。他の客の話し声が良いアクセントになっている。


「いつ別れるの」


 私がパフェを食べ終わるのを待っていたようだ。


「アヤ、あたしは別れた方が良いと思ってるよ。アヤの話聞いてるとさ、なんで付き合ってるの?って思う」


「なんで?なんでそう思うの。詳しく言ってよ」


「あんた気づいてないの?自分でよく考えてみなよ」


 なんでそう煙に巻こうとするかなぁ。ハッキリ言ってくれた方がスッキリするのに。


「今日はあたしが奢るよ。迷える子羊に道を指し示すのも苦労するわ~」


 そう言ってさっさと席を立ってしまった。慌てて追いかける。


「ごちそうさま。でも全然スッキリしないんですけど」


 むくれて文句を言うと美香は笑った。


「今の彼氏と付き合ってる限り、アヤの口からは無限に愚痴が出るよ」


「そんなことないし!いつもは惚気だし!」


「はいはい。自分の気持ちを大事にね」


 じゃあねと軽く手を振って美香は行ってしまった。私は通りにぽつんと取り残されて、急に居心地が悪くなった。



―――――



 帰宅したら流しに、食器が水にもつけられず置いてあった。カピカピに乾いたパスタソースがお皿にこびりついている。


 特大のため息をついて、お湯で丁寧に洗った。ゴシゴシと汚れを落としながら、美香の言ったことを考える。美香は何が言いたいんだろう。


 健司が好きなのは本当だし、この食器だって前は机に置きっぱなしだったのに、流しに運ばれているだけでも随分成長したなと思う。


 美香の言葉がモヤモヤと引っかかって落ち着かない。悩んだ挙句、健司の好きなところと嫌なところを書き出してみることにした。


 優しいところが好き、デートに連れて行ってくれるところが好き、子供っぽいところが好き、無邪気なところが好き、作ったご飯を完食してくれるところが好き…。


 他の女の子にも優しいところが嫌、自分のことは察してほしいって言うくせに私のことは察してくれないのが嫌、空気が読めないのはまだいいとして読み違えたままその勘違いを認めないのが嫌、私のことより自分のことを優先するのが嫌…。


 あれ。嫌なとこは具体的にどんどん出てくる。自分で書きなぐった言葉を見つめて、はたと気がついた。


 私、なんでこんなに我慢してるんだろう。


 最初は純粋に好きだった。でも嫌われたくない気持ちが強すぎて、あれこれ世話を焼くようになって。それがエスカレートして、自分さえ我慢すればいいになって。


 いつの間にか、自分で自分と健司を縛り付けていたんだ。


 私が健司の時間や考えることを奪ってしまった。


 だから窮屈で、美香に愚痴ばっかり言って、スッキリした気になって、また繰り返して。


 自分はなんて酷い人間なんだろう。もう健司が好きなんじゃない。「彼氏」という名前の私が安心したい存在を、つなぎ止めておきたかっただけだ。


 そう思い当たったら苦しくなった。声を出して泣いた。


「なんで泣いてるのよ」


 電話口の美香は優しく聞いてくれた。しゃくり上げながら理由を説明した。


「よく気がついた、えらいえらい」


「でも、悲劇のヒロイン気取りはやめよう。気が済むまで泣いたら、それでおしまいね。今度旅行でも行こう」


「どこがいいかな。2人で遊び倒そうよ」


 私が泣き止むまで、美香は話していてくれた。


「ありがとう。もう大丈夫」


「……ふふふ。きっかけがジャンプってのは笑い話になるね」


「笑わないでよ。こっちは真剣なんだから」


「来年あたりにはきっとアヤの鉄板ネタになるよ、これは」



―――――



 また月曜日がやってきた。


 くせで早起きしてしまう。もう起きる必要もないのに。喉がちょっとイガイガする。昨日は美香とカラオケで散々歌ったんだっけ。


 ベッドから起き出して顔を洗い、ラフな格好に着替えた。どうせ目が覚めたなら、今までは立ち寄れなかったパン屋さんやカフェに行ってみようかな。


 外に出て新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。気持ちがいい。


 ゆっくりと通い慣れた道を進んでいく。顔馴染みになった野良猫に、玄関先を掃除するおばあさん。見慣れていたと思ったけど、なんだか違って見える。見ているようで、見えてなかったのかな。


 物珍しい気持ちで歩いていたら、例のコンビニに着いてしまった。ここで買い物をすることも、もうないかもしれない。そう思って店内に入り、エビアンを手に取った。


 この店員さんの顔を見るのも最後かぁ、なんて考えながらぼんやりしていた。背が高いキツネみたいだけど、優しそうな感じ。同級生くらいかな。


「あれ、買わないんすか?ジャンプ。今週はありますよ」


「ジャンプは卒業しました。もう、私に必要ないから」


 にっこり笑って答えた。つられたように、店員さんも目を細めた。

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週刊少年ジャンプを卒業したら彼氏からも卒業してしまったんだが。 燈 歩(alum) @kakutounorenkinjutushiR

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