第三十二話 切り裂き男 上
帝都の空に月が見える頃。
ホノカはウツギとヒビキの二人を連れて、白椿館へとやって来ていた。
白椿館の建物は、臙脂色の壁に、白色のツバキの花の彫刻が飾られている。
どこか品のある雰囲気だ。娼館であると知らなければ、高級そうな服飾の店にも見えなくはない。
そんな白椿館だが、暗くなっても店内に灯りの一つもついていない。
中から人の声もしない。
これからが営業開始という時間であるにも関わらず、不気味なくらいに静かだった。
「ホノカ隊長。やはり霊力測定器の数値が高いです」
白椿館の前で、ヒビキが手に持った道具を見ながらそう報告してくれる。少し緊張したような声色だ。
霊力測定器の数値が高いという事は、この場の霊力が高いという事。すなわち<怪異因子>が出現している可能性があるという事を示している。
ただ、それにしてもやはり音は聞こえない。
暴れる音も、人の声も、何もない。無だ。
あまりに静かすぎる。
そう考えていると、左耳につけた通信機が鳴った。月花隊のトウノからの通信だ。
月花隊は今、少し離れた位置から情報収集に当たって貰っている。
『隊長、トウノです。白椿館内部に<怪異因子>らしき霊力の塊を三つ、発見しました。位置情報を送ります』
その言葉のあと、ピピ、と情報が届く音が聞こえた。
通信機を操作すると目の前に、白椿館を中心とした半透明の地図が投影される。
地図の白椿館を拡大すると、建物の内部構造が見えるようになる。
その中に、トウノの言う通り反応が三つあった。
小さいものが二つと、大きいものが一つだ。
<怪異因子>の霊力の強さは、見た目の大きさに反映される。つまり強力なものが一体、この中に潜んでいるという事だ。
だがやはり、それにしては静かすぎる。
<怪異因子>が暴れている音も、人の声も聞こえてこないのは、やはり異常だ。
隊長、とウツギが呼ぶ声が聞こえた。どうしますか、と目が問いかけている。
ホノカは一度目を閉じ深呼吸をしたあと、
「突入します。何が起こるか分かりませんので、十分に気をつけて。四万十隊長の応援も来ます。無理だと思ったら直ぐ撤退を」
そう指示を出すと、二人は「ハッ!」と敬礼を返してくれた。
二人の返事を聞いてから、ホノカは白椿館のドアノブを自身の蒸気装備で軽く触れる。
罠がないか確認するためだ。触れてみて、特に変化はない。
ホノカはウツギ達に目で合図をすると、ドアを引いた。
キイ、と軽い音を立ててドアが開く。
カーテンも閉め切っているからか、中は暗い。
ヒビキが軍刀型の<蒸気装備>を抜いて、ダイヤルを回す。そして軽く振るうと、周囲にふわりとした光の玉が浮かび上がった。
光源を作り出す技能効果の<灯>だ。そのおかげで周囲がよく見えるようになった。
内装は、高畠の屋敷と少し似ている。もっともあちらは洋一色ではあるが。白椿館は和と洋を上手く取り入れていた。
月花隊から貰った<怪異因子>の位置情報を頼りに、ホノカ達は建物を進み、二階へ上がる。
「……静かですね。気配もない」
ウツギが言う。確かにとホノカも思う。
<怪異因子>どころか、人間の気配もない。
ヒビキが小さく「もしかしたら」と呟いた。その言葉が意味するものはホノカにも伝わったが「いいえ、大丈夫です」と返した。
希望に縋る気持ちから出た言葉ではない。
ホノカはヒノカの努力と研鑽を知っている。アカシとユリカはまだ分からないが、この隊に配属された以上、腕は良い。
三人共、白椿館の人間を守りながらでも、戦う術を知っている。
それに、何より。
「切り裂き男であれば、ただ意味もなく皆殺しにはしません」
「と言うと?」
「あんな奴でもね、ルールがあるんですよ」
切り裂き男が狙うのは、奴が『穢れている』と判断した相手だ。
今までにその対象になったのは娼婦と、彼を捜査し続けた者。その点から考えても、白椿館の人間もヒノカ達も該当する。
けれど該当したからと言って、直ぐに殺すのは切り裂き男のやり方ではない。
「切り裂き男は自分の行動を、神聖な審判の時間と称しています」
「審判?」
「どの程度『穢れているか』を見極める時間、とでも言うでしょうか。調べて、調べて、その穢れの数を数えて。――――その数分をナイフで突き刺す」
ホノカがそう言うと、ヒビキが息を呑んだ。
推測だとか、そういうのではない。遺体の解剖をしていた担当者が、刺し傷があまりに
衝動的であったのなら、それぞれの力加減が違ってくる。
だが切り裂き男によって殺害された被害者の遺体の傷は、どれも同じ力加減で刺されていた。
そして出来るだけ長く生かすような。まるで、相手にその数を自覚させるかの非道なやり方だった。
「クソ野郎……」
ウツギが言葉に怒りを滲ませて呟く。その通りだ。
だが、だからこそ、ヒノカ達は
人間一人の生き方を調べるなんて、楽なものではない。それがこれだけの大人数だ。
冷静になった頭で考えれば分かる。奴は直ぐ殺さない。そして。
「恐らく、待っていると思いますからね」
「待つ?」
「ええ。六年前からずっと。――――私達を」
ホノカがそう言葉にした時だ。
背後から――誰もいなかったはずのホノカの背後から突然、何者かの両腕が伸びて来た。
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