第三十一話 異常事態 下
シノブはともかくミロクが来る予定はなかったはずだ。
何かあったのだろうかと思っていると、二人はホノカに近づいて、
「ウツギから連絡があった。ちょうど近くだったから寄った。詳しく話せ」
と言った。どうやらウツギが二人にも電話をしてくれていたようだ。
あ、とホノカはごくごく小さい言葉が出た。
恐らく、真っ先に報告しなければいけない所を、焦って飛ばしていた事に気づいたからだ。
「すみません、ミロクさん。――――失念していました」
「いい。気にするな。それより、ヒノカ達と連絡が取れないんだったな」
「はい。ヒノカと定時連絡を取ろうと通信を飛ばしたら、応答がありませんでした。」
「時間は」
「約二分」
ホノカがそう答えるとミロクは難しい顔をしながら、軽く頷く。
「アカシとユリカもか」
「はい。三人とも、十五時前に白椿館へ向かっています。白椿館へはウツギさんに連絡を取ってもらっている最中ですが……」
そう話していると「隊長!」とウツギの声が聞こえた。
良いタイミングだ。そう思って顔を向ければ、彼もまた強張った顔をしていた。
どうやらよくない報告のようだ。ホノカが「どうでした?」と聞くと彼は、
「白椿館に電話をしても、誰も出ません」
と返って来た。
どうやら最悪の事態になりつつあるようだ。
「高畠は白椿館へよく通っているんだったな」
「はい」
「そうか。――――ウツギ、手の空いている日向隊・月花隊に招集をかけろ。今すぐだ。だが通信機を使うなら念のため、全員一斉じゃなく、一人一人でな」
「承知しました!」
ミロクの指示に、ウツギは敬礼をし、耳につけた通信機に手を伸ばし、再びその場を離れた。
それからミロクはホノカに向かって、
「落ち着け、ホノカ。大丈夫だ。ヒノカ達が出て二時間なら、何かあったと考えても今から最低一時間以内だ。アカシもユリカも、ああ見えて腕は確かだ。もちろんヒノカだってな」
そう言ってホノカの肩に手を乗せる。
「…………はい」
「顔がすげぇ事になってるぞ。つけ入れられたくなきゃ、戻せ戻せ」
「私、そんなに酷い顔をしていますか?」
「ええ、そうね」
シノブはそう言うと、ホノカの頬を両手で包んだ。
その手の温もりがじわりと伝わってくる。そこで初めて血の気が引いていた事に気が付いた。
ああ。
ああ、そうか。
冷静ではなかったのか、自分は。
そう思っていると、足にもふわりとした温かさを感じた。見れば黒鋼丸が擦り寄っている。
どうやら黒鋼丸も「落ち着け」と伝えたかったようだ。
ホノカは大きく息を吸った。
それからシノブの手に自分のそれを重ねる。
「ありがとうございます。大丈夫です。――――行けます」
そしてそう言えば、シノブは小さく微笑んで手を放し、ミロクもまた頷いた。
「よし。前も言ったが、バックアップはするから安心しろ。ちょうど四万十が暇してたからな、あいつに応援に来させる」
「暇というかそれはもしや休みでは?」
「前に双子ちゃんのためならすっ飛んでくからねって言っていましたから、大丈夫ですよ」
それは本当に大丈夫なのだろうか。
ホノカは一瞬そう思ったが、もし万が一、白椿館全体に何かあったとしたら、腕の良い応援は有難い。後でお詫びとお礼をしよう。
「高畠の動向は?」
「高畠氏の屋敷をスギノさんが見張ってくれています。ですが、見える場所から外出した様子はないようです」
「ふむ、見えない場所があると」
「切り裂き男なら、地下が好きみたいですから」
好き、という言い方は語弊があるが、六年前の事を思い出すと、どうにも浮かんでくる。
あの時は広い下水道トンネルだった。そこに出来た作業場か何かの広い場所に、ホノカ達は連れてこられていたのだ。
下水道トンネル自体は帝都のあちこちに広がっている。高畠邸の下にあってもおかしくはない。
そこと繋がっているかは分からないが、高畠が犯人だと仮定すれば、移動手段として利用している可能性もある。
切り裂き男は神出鬼没。しかし、瞬間移動なんてものはありえない。
地下なら人目につかないし、下水で血の臭いも上書きされる。痕跡を消すにはちょうど良い場所だ。
実際に、六年前の事件の時は、帝都地下の調査が行われた。
その時は別の事件で使われたらしき、切り裂き男の物らしきナイフが一本見つかったくらいだったが。
ただ調査のおかげで、下水道トンネルはしばらく帝国守護隊が警戒していたため、切り裂き男も利用する事が出来なかったのか、地上での目撃証言が増えていた。
ホノカがそう話せば、ミロクは顎に手を当てる。
「シノブ、高畠邸付近の地下の地図を用意してくれ」
「承知しました」
それからミロクはホノカを見て、
「白椿館にお前は行くな――と言いてぇところだが。止めて聞く奴じゃねぇな、お前さんは」
「もちろんです。高畠邸はスギノさんに見張ってもらったまま、両隊の誰かに行ってもらいます。切り裂き男を確認でき次第、中へ踏み込みますが、構いませんか?」
「許可を取るのは俺の仕事だ。任せろ、直ぐ出させる。それと責任も俺が取る。確認できなくても、何か理由をこじつけてな。ミハヤの太刀があるならなおさらだ。俺が何とかしてやるよ」
そう言うミロクの言葉に、ホノカは少し目を見張った。
「ですが、それではミロクさんが」
「なぁホノカよ。ミハヤは俺達の友人でもあるんだ。あいつの仇は、俺達の仇でもある。だからよ」
そこでいったん言葉を区切り、
「一緒に取らせろ。抜け駆けは許さねぇぞ?」
ミロクはニッと笑って見せた。
シノブも「そうですよ、ホノカちゃん」と、プライベートでする呼び方でホノカに微笑みかける。
「それに仇を取りたいのも、助けたいのも、もっと大勢いるんですよ」
「ああ、そうだ。大丈夫だ。一人じゃねぇ。お前達だけじゃねぇんだ、ホノカ。もっと俺達を頼れ」
二人はそう力強く言ってくれた。
その時ホノカの頭の中に、以前ミロクから言われた言葉が蘇る。
――――お前さん達にはもう少し、外を見て欲しいよ俺は。
あれは、もしかしたら。
もしかしたら――――そういう意味も、あったのだろうか。
そう思ったとたん、ホノカの中に小さな変化が訪れる。花火が弾けるように、目の前の世界が色濃くなる。
気付けばホノカは「はい」と頷いていた。一度目は小さく、二度目は大きく。
ミロクは笑った。
「間に合わせるぞ」
そうだ、間に合わせる。何も出来なかったあの頃とは違う。
二人以外誰もいないと思い込んでいた今までとも違う。
自分達だけじゃない。だからこそ。
だからこそ、出来る事がたくさんある。
「今度こそ、必ず」
――――間に合わせてみせる。
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