第三十話 異常事態 上

 窓の外から見える帝都の空の端が、夜の色に染まり始めた頃。

 そろそろ夕食の準備に取り掛かろうかと思いながら、ホノカは壁の時計を見上げた。

 時計の針は十七時を指している。

 ホノカとヒノカは、毎日この時間と、朝の十二時に、定時連絡を取り合っていた。


 これは六年前、双子が帝国守護隊に入隊を決めた時からずっと続けている事だ。

 離れている時も、傍にいる時も、必ずこの時間にお互いの報告をする。

 これを言い出したのはヒノカだった。


『ほらさ、情報共有って大事でしょ。練習がてらやろうよ、ホノカ』


 ヒノカはそう言ってホノカを誘った。

 これが練習とか、そういうものでないのはホノカにも分かった。

 切り裂き男に攫われて、父ミハヤの命が奪われた時から、二度とあんなことが起きないようにとヒノカは考えたのだろう。

 その日から、ホノカとヒノカはどんな小さな出来事でもお互いに話をする事が習慣づいていた。


 あの日から、ホノカと同じくらい――もしかしたらそれ以上に――ヒノカはあの時の事を悔やんでいる。


『僕が強かったら、父さんだって生きていた。ホノカだってこんな大怪我をしなかった……! ごめん、ごめんホノカ、父さん、ごめん、ごめんなさい……!』


 助け出された後、傷を負って霊力もほぼ失ったホノカに、ヒノカは泣きながらそう謝った。

 あの日からヒノカは過保護なくらいにホノカの事を気にかけてくれている。


 自分が悪いとヒノカは言った。

 だけれど、それは違うのだ。そうではないのだ。

 力が足りなくて、叫ぶだけで守れなかったのはホノカだって同じなのだ。

 むしろ、ミハヤが生きている間に、目を覚ましていたのはホノカの方なのだ。


(何も出来なかったのは私の方)


 今も夢に見て魘されるくらいに、自分は弱い。

 昨日だって、高畠の手が顔に近づいた瞬間、あの時の事がフラッシュバックして動揺してしまった。


「……偉そうなことをいったって、まだまだ全然」


 出来てない。六年前から腕だけ磨いて、中身がまだ全然追いついていない。

 もっともっと強くならなければ。

 小さく息を吐きながら、ホノカは耳につけたままの通信機に手を伸ばした。

 軽く操作してヒノカへ通信を飛ばす。

 ホノカの双子の弟は、いつもすぐ出てくれる。

 なので今回もそうだろうと、ホノカが待った。


――――だが。


 だが、どんなに待っても、応答がない。

 呼び出す音が聞こえるだけで、ヒノカの朗らかな声は返ってこない。


 応答がない。何かあった。

 それを理解したとたん背筋がぞっとした。


 ホノカは顔色を変え、今度はヒノカと行動を共にしているはずのアカシとユリカに通信を飛ばした。

 だが、そちらも同じだ。呼び出す音が聞こえるだけで、応答はない。

 

――――やられた。やられた、やられた!


 頭の中に警鐘が鳴り響く。

 ホノカは宛がわれた執務室を飛び出すと、走りながら通信機でウツギを呼ぶ。


『はい、ウツギです。どうしました、隊長』


「ウツギさん。至急、白椿館に連絡を取って下さい。ヒノカ達がそちらを訪れていないかと」


『隊長達が?』


「ヒノカ、アカシさん、ユリカさん。三人に通信を飛ばしましたが、応答がありません」


『!』


 通信機の向こうから、息を呑む声が聞こえた。


『承知しました、直ぐに!』


 そう言って、通信はいったん切れる。

 続いてヒノカは今度は高畠邸を監視しているスギノへ通信する。


「スギノさん、高畠氏の動きはどうですか?」


『朝、屋敷の中へ入ってから、外出した様子はない。何かあったのか?』


 スギノにも聞かれ、同じ言葉を返すと、彼もまた驚いた様子だった。


『……何かあった、という事か』


「まだ確証はありませんが。また連絡を入れますので、そのまま監視をお願いします」


『分かった』


 真剣さを帯びた声と共に、通信が切れる。

 そうしている間に自室へ到着した。ホノカは蒸気装備の長銃を背負い、少し考えて机の引き出しから一丁の自動拳銃を取り出した。

 蒸気装備ではないものだ。ホノカは弾倉を確かめた後。上着を脱いでホルスターを装着し、自動拳銃を脇にヘ吊るす。


 通常の弾丸などは<怪異因子>にはほとんど効果はない。だが、生身の人間ならば別だ。

 頭に一発でも撃ち込めば、動きを止める。捕まえるのが最上だが、もしもの時は撃ってでも。

 大丈夫だ。何度も練習してきたじゃないか。

 ホノカは自分にそう言い聞かせながら、上着を羽織り直していると、足元から「にゃあん」と声が聞こえた。

 黒鋼丸だ。その金色の目は、どこか心配そうにホノカを見上げている。

 ホノカはしゃがんで黒鋼丸を撫でた。


「大丈夫ですよ、黒鋼丸。あなたの仇であったなら、それも一緒に」


 そう言うと、黒鋼丸はホノカの目を見つめた後「にゃあ」と鳴き、ドアの前に座る。

 まるでついて来いとでも言っているかのようだ。

 何だろうか、そう思いながらホノカはドアを開ける。

 すると黒鋼丸はトトト、と軽やかな足取りで歩き出した。時折、ホノカを振り返る。

 ……やはりついて来いと言っている様だ。


 時間はないが、何か意味がある事なのだろう。

 ホノカは焦る気持ちを抑えながら、黒鋼丸の後に続く。

 すると、


「おう、ホノカ」


 玄関にミロクとシノブの姿があった。

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