第三十二話 切り裂き男 中
――――来た。
誰の手か、なんて考えなくても分かる。
ホノカは上着の下に仕込んだホルスターから素早く自動拳銃を抜き、その手を撃ち抜いた。
手から血が飛ぶ。
そしてホノカが振り返るより早く、ヒビキが軍刀でもう片方の手を切りつけ、ウツギが相手の身体を蹴り飛ばした。
吹き飛んだ何者かは壁に、音が響くくらい強くぶつる。
「ご無事ですか、隊長」
「もちろんです。ありがとうございます、二人とも」
ホノカが礼を言いながら、何者かの方を振り返る。
両足を投げ出し、壁に背をつけ項垂れていたのは、燕尾服を着た仮面の男だ。
ホノカの瞼の裏に、六年前からずっと焼き付いている、切り裂き男の姿そのものである。
「ァア……痛いなァ……」
言葉の割にさして痛そうでもなく男は言った。
右手に銃弾を、左手に刀傷を負っているにも関わらず、余裕のある口ぶりだ。
「あなたの事ですから、挑発すれば出てくると思いました。――――お久しぶりですね、切り裂き男」
「……フフ」
ホノカが敢えてそう言うと、切り裂き男は口の端を上げる。
そして血が流れる右手を持ち上げると、顔の仮面に手を伸ばした。
「つれないですねぇ……久しぶり、だなんて。昨日ぶり、と言って頂いた方が相応しいのではありませんか? ホノカさん」
カランと放り投げられた仮面から現れたのは、やはり高畠ソウジだった。
高畠はゆらりと立ち上がると、ニタニタ笑ったままホノカを見つめてくる。
「アァ……でも、嬉しいな。私の事を覚えていて下さったのですね。考えて下さっていたのですね、アァ、幸せだなァ……」
伊能会った時の紳士然とした振る舞いはどこへ行ったのか。
高畠はやや蒸気した顔で、薄気味の悪い事を口にする。
感極まった、というように声を漏らすこの男に、ヒビキが嫌悪感を感じたようで顔を顰めた。
「私も同じ事を思っていましたよ。こうすれば、あなたの事だから必ず来てくれるって! アァ、心が伝わるとは、こういう事なのですね! 素晴らしい、素晴らしいですよ!」
高畠は自分を抱きしめながら、悶えるようにそう言う。
本当に、本当に気持ちが悪い。
だが、そんなおかしなことを言っている間に、ホノカは左耳につけた通信機を操作した。相手はミロクだ。
何か伝えるためじゃない。この会話を届かせるためである。
「妄言はそこまでにしていいただきたい、高畠ソウジ社長。改めて問いましょう、あなたが切り裂き男で間違いありませんか」
「フフ。分かっていて私のもとへ来て下さったんでしょう? ええ、ええ、そうですとも! まさに愛! 愛ですね!」
ついには愛とまで言い出した。
ついに堪えきれなくなったようで、ヒビキがキッと目を吊り上げる。
「言い方がいちいち気持ちが悪いんですよ、あなた! 隊長に変な事を言わないで下さい!」
「変な事だなんてとんでもない! 私はただ純粋に、愛しいと思っているだけですよ! 穢れていないホノカさんの事が!」
「隊長、あいつもう処していいですか? 聞くに堪えません」
ウツギまで目が据わって来た。
その気持ちはホノカにもよく分かる。むしろホノカの方がよく分かる。
だが、それは最終手段だ。こいつは出来れば生かして捕まえたい。
「今までの罪を明らかにするためにも、可能な限り生かして下さい。生きてさえいれば、手足を潰しても構いません」
「おや、それは実に乱暴」
「何を仰る。その乱暴な方法を、父に――御桜ミハヤに取ったのはあなたでしょう。忘れたとは言わせませんよ」
ホノカがそう言うと、ウツギとヒビキの顔色が変わった。
それから怒りの形相を浮かべ、射殺さんばかりの目で切り裂き男を睨む。
「お前……ッ!」
「アハハ、だってぇ、仕方ないでしょう? 彼は穢れていたんですから。私の神聖な審判の時間を、何度も何度も何度も……何度も何度も何度も何度も邪魔をして!」
何一つ悪い事などしていない。そんな様子で高畠は薄く笑う。
馬鹿にするような、それこそ挑発するような物言いだ。
彼の本音ではあるだろうが、ホノカ達を怒らせるのが目的でもあるだろう。
ミロクとシノブに諭されていなければ、きっとホノカは高畠に殴りかかっていた。
まだ、大丈夫だ。
ホノカは心の中で独り言ちながら、目の前の男を見据える。
「白椿館の人達と、ヒノカ達はどこです」
「ああ、まだ生きていますよ。無事かどうかは別ですけどねぇ」
そう言うと高畠は軽く手を挙げた。
するととたんに、彼の背後の壁が、まるで砂のように崩れ出した。
蒸気装備を使った様子はない。<怪異因子>の力の方だろう。
自身の蒸気装備を構え、警戒を強めている間に、壁の向こうにあった部屋が見える。
「――――!」
そこには、影のような漆黒の樹と、その幹に取り込まれたヒノカ達の姿があった。
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