第二十話 高畠邸 下
黒鋼丸が出て行った扉を見てから、ホノカは一度、高畠に声をかけた。
彼は引っかかれた手の方の、手首を空いた手で握っている。傷口を見ると、うっすらと血が滲んている程度だった。
「すみません。先ほどまで、大人しくしていたんですが……傷は大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと引っかかれただけですから。慣れない私が急に近づいたから、驚かせてしまったのでしょうね」
ホノカが高畠に謝ると、彼はそう言ってにこりと微笑んだ。
その後で扉の方へ目をやる。
「でも、逃げちゃいましたねぇ。外には出ていないと思いますが……」
「そうですね……。大変申し訳ないのですが、探させて頂いても良いでしょうか?」
ホノカが聞くと、高畠は「ええ、構いませんよ。私も手伝いましょう」と快諾してくれた。
こういう屋敷だ。断られるかもしれないとは思ったが、思ったよりも簡単に許可が出た事にホノカは少し驚く。
見られて困るものはない、という事だろうか。それとも――――。
そう思ったら、思考にふけりそうになったため、ホノカは軽く首を横に振る。
ひとまず家主の許可が得られたのだ。ウツギと協力して、黒鋼丸を探そう。
「隊長、少し調べますか?」
そうして歩き出すと、ウツギが小さい声でそう聞いてきた。
アクシデントとは言え、これはこれで探りを入れる良いチャンスだ。
なのでホノカは頷く。
「お願いします。怪しまれない程度に、こっそりとで」
「了解です。得意ですとも」
ウツギはニッと笑って胸を叩いてくれた。
それは得意だと胸を張っても良いのだろうか。そうホノカは思ったが、とりあえず聞くのはやめておいた。
桜花寮の中では平凡――と言うと言葉が悪いが、トウノと並んで落ち着いていて真っ当そうな彼だったが、何かしらはあるようだ。
人間、色々である。
そんな感想を抱きながら、ホノカもホノカで屋敷を探し始めた。
応接間へ案内された際は、あまり周囲を観察する時間はなかったが、こうしてじっくり見ていると綺麗な建物だなとホノカは思った。
和と洋の混ざる帝都の中で、高畠邸は『洋』を担う側だ。
ドアや柱、階段の柵などには花などの彫刻が施され、建物自体が一つの芸術作品のように見える。
そんな屋敷の中を、ホノカは黒鋼丸に呼びかけながら歩く。
すると廊下の突き当りにある部屋のドアが、少し開いている事に気が付いた。
ホノカが見た他の部屋は、すべて閉じている辺り、少々違和感を感じつつ。
そっと部屋を覗いてみれば、そこはコレクションルームのような部屋だった。色や形が様々な海外の雑貨が、いくつもガラスケースに入っている。
素人目だが高価そうな物も置いてある辺り、ドアに鍵一つかけていないのは不用心だ。
やはり、少し妙だ。
そんな事を考えていると、部屋の中で「にゃあん」と猫の声が聞こえた。
おや、と思って中へ入ると、部屋の隅に黒鋼丸がお行儀よく座っていた。
ホノカはほっとして黒鋼丸に近寄って、その前でしゃがむ。
「良かった、見つけました。急に飛び出したから心配しましたよ、黒鋼丸」
話しかけながら、黒鋼丸を抱き上げる。黒猫はホノカの腕の中に入ると、すり、と頬を摺り寄せた。
先ほどの興奮した様子は収まったようだ。
そう思って立ち上がった時、ホノカはあるものを見つけた。
ちょうど、黒鋼丸がいた場所の後ろの辺り。
荷物に隠れて見えづらい位置に、そこにあるはずのないものが置かれていた。
桜の花の意匠が施された白い鞘に入った、一振の、機械仕掛けの太刀だ。
蒸気装備である。蒸気装備しては珍しく真っ白なそれを見て、ホノカは目を見開く。
――――これは。
心臓がドクリと鳴る。
その時、入り口の方から「ホノカ隊長」と声がかけられた。
ハッとして振り返ると、高畠とウツギの姿がある。
「ああ、こちらでしたか。猫ちゃん、見つかったんです?」
「あ、はい。お騒がせしました。勝手に入ってすみません」
動揺を隠して、ホノカは軽く頭を下げる。
高畠は気にした風ではなく、
「いえいえ。この部屋は趣味で集めているものばかりでしてね。綺麗でしょう?」
と自慢するように言った。ホノカは「そうですね……」と、やや言葉を濁す。
その言葉通りならば、やはり鍵でもかけているはずだろう。鍵どころか、ドアまで開いていたとなると、どういう事だろうか。
ただの閉め忘れか、それとも。
笑顔こそ浮かべてはいるものの、ホノカの様子にウツギはやや首を傾げていた。
高畠はと言えば、特に気付いた様子も見せず、ホノカにゆっくり近づいて「でも」と言葉を続け、
「……どんな品物よりも、あなたの方がずっとお美しいですが」
と言って手を伸ばしホノカの髪に触れた。
その一瞬、その手が、顔が、あの夢で見た『仇敵』と重なる。
気が付けばホノカは高畠の手を、音が出るくらい思い切り払っていた。
これには高畠も驚いた様子で、目を丸くしている。
一瞬遅れて、ホノカは自分が高畠の手を叩いた事を理解して、
「……すみません、反射的に。少々強く叩き過ぎました」
「ああ、いえ。私こそ失礼を。女性に対して、みだりに触れるものではありませんでした。申し訳ありません」
高畠も申し訳なさそうにそう言った。
そんな高畠を見上げて、ホノカに抱えられた黒鋼丸が、毛を逆立てて威嚇している。
今にも飛び掛かりそうな黒鋼丸を見て、ウツギがサッとその間に入った。
「隊長。黒鋼丸も興奮しいているようですし、今日は一度戻った方が良いかと思います」
ホノカを振り返り、ね、とウツギは微笑む。
その笑顔にざわざわしていた心が少し落ち着いた。
ホノカは「そうですね」と頷き、
「高畠さん、今日はありがとうございました。それからすみません。その、お怪我の方は」
「大丈夫です。御心配、ありがとうございます。また何かありましたら、いつでもどうぞ。お仕事でも、プライベートでも。ホノカさんなら歓迎しますよ」
懲りない調子で高畠は笑ってそう言った。
ホノカは曖昧に笑って頭を下げると、ウツギと共に高畠邸を後にした。
出た時にちょうど、正午を報せる鐘が鳴った。
その音を聞きながらホノカとウツギは高畠邸を離れる。
そうしている内に黒鋼丸も落ち着きを取り戻したようで、ホノカの腕の中で大人しくしている。
「いや、思った以上にキザでしたねぇ。ヒビキがいたら破廉恥ですよって言っている所です」
「ええ……」
「……隊長、大丈夫ですか? 先ほどから、あまり顔色が良くないですよ」
話しながら、ウツギが心配そうにそう言った。
大丈夫かどうかと言われれば、心情的には大丈夫ではない。
見てはいけないものを見た。あるはずのないものを見た。
その事が今もホノカを動揺させている。
「……ウツギさんは、父の、御桜ミハヤが使っていた蒸気装備を覚えていますか?」
「ええ、はい。白い太刀ですよね。特別製だと聞きました。綺麗で格好良かったですよねぇ」
ウツギは思い出すように話ながら、腰に下げた自身の太刀に触れる。
そう、綺麗で格好良い。特別製で二本と存在しない蒸気装備。それがあの白い太刀――<
それを何故、高畠が所有していたのか。
あれはミハヤが殺害された現場で起きた爆発で、紛失していたものなのに。
「隊長?」
「ウツギさん。気になる事があります。至急、桜花寮へ戻りましょう」
ホノカはそう言って歩みを早めた。
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