第七話 日向隊と月花隊 下
ホノカがウツギに案内して貰ったのは、桜花寮に向かって左側の、黒色に塗られた方だった。
この黒色側の隊舎を日向隊は利用しているそうだ。
ちなみに桜花寮は左右対称であるため、中の造りや部屋の配置はほとんど同じになっているらしい。
そしてホノカに宛がわれた個室――隊長用の部屋ではなく――は、月花隊が利用している側の隊舎になっていた。風呂場も同様だ。
これはまぁ、当然の配慮だろう。
さて、そんな桜花寮だが、幾つか共同で使用する部屋が存在する。
一つは先ほどの会議室。他に、訓練室と資料室、救護室、それから食堂がそれに当たる。どれも二つある必要がない部屋なので妥当な判断だろう。
この辺りはごねなかったのだなとホノカは違う意味で感心していた。まぁ、そもそもごねる方がおかしい事ではあるのだが。
(人生、色々ですねぇ。……ですがまだ、理性が働いているだけマシでしょうか)
ウツギと並んで歩きながら、ホノカはそんな感想を抱いた。
人間関係というものは一度拗れると、想定外の事件を起こす可能性がある。こじれにこじれて殺傷沙汰になった、なんて話は、ごくたまに新聞記事にも載っていた。
だから、幾らお互いに上手くいっていなくても、そこまでに至らない彼らはまだ
少なくとも新しい隊長が来た時に、黙って隣に並んでいられるくらいには。
さて、そうしてそれらの案内が一通り終わろうとしていた頃。
ちょうど桜花寮の二階、日向隊の隊長室まで到着した時に、ウツギがくるりと振り返った。
「ええと、御桜……ホノカ隊長」
途中で止めようとした様子はあったが、ウツギは下の名前まで呼んでくれた。
同じ苗字の隊長が二人だから、少し迷ったのだろう。この場にはホノカしかいないものの、とりあえずウツギはそう呼ぶ事にしたようだ。
しかし微妙に言い辛そうだ。それはそうだろう。相手に声をかけようとする度にフルネームで呼ぶのは大変だ。
そんなウツギの様子を見て、ホノカは先ほど事件現場で会った軍人の阿良々木を思い浮かべた。
そう言えば、彼も自分達の名前の呼び方で困惑していたなと、ホノカは小さく笑う。
なので。
「名前の方で呼んで頂いて構いませんよ。二人いるとややこしいでしょうから」
阿良々木の時と同じようにそう言うと、ウツギは目を瞬いた。
それから指で頬をかいて「それではお言葉に甘えて」と続ける。
「ホノカ隊長、ここで桜花寮内の、日向隊が利用している分は全部です。月花隊はトウノさん辺りに聞けば教えてくれると思います」
「分かりました。案内をありがとうございました、嵐山さん。助かりました。分からなくなった時はまた教えてくださいね」
お礼を言うと、ウツギも柔らかい表情で「はい!」と首を縦に振った。
「ああ、良かったら、俺も名前の方のウツギで良いですよ。うちは名前で呼び合う事が多いので、その方が咄嗟の時に反応がしやすいですし」
「そうですか? ではウツギさんと呼ばせて頂きますね」
「はい。……それにしても、隊長はあまり動じられていないのですね」
「と言いますと?」
「逆の隊に配属された事とか」
ああ、その事かとホノカは呟く。
ホノカだって、最初に逆の隊に配属されていると聞いた時は驚いた。
けれどそれがミロクの仕業ならば、それはきっと何かしらの意図があってやった事だ。
ミロクが何の意味もなく、こういう事をするとはホノカは思わない。ヒノカだってそうだろう。
だから驚きはしたがそれだけだ。やられた、とは思ったが、それ以上の事は特に何とも思っていなかった。
「そうですね。驚きはしましたけれど、別に担当する隊が逆になっても、そもそものやる事は一緒ですから」
「一緒……ですか?」
「ええ。隊自体や役割分担の把握は必要ですが、隊長職で配属されるというのは分かっていたことですから。なので隊長としてここでやる事は、仕事内容に違いがあっても一緒です」
ホノカがそう答えると、ウツギは軽く目を見張って、それから「なるほど」と小さく頷いた。
満足のいく答えだっただろうか。
ホノカがそう思っていると、彼は少し真面目な顔になって、
「……でも、俺達の話はご存じでしょう?」
と、今度はそう聞いてきた。
おや、とホノカは思った。先ほどよりも聞き辛そうな感じを醸し出している。
雰囲気から察するに、ウツギの本題はこちらのようだ。
「それは両隊の仲が悪いお話ですか? それとも、やる気のなさや命令無視などの行動を問題視されている事ですか?」
「ええと、はい……全部です」
つらつらと隊の悪い点を挙げるホノカに、ウツギは正直に頷いた。
噛みついてきたり、変に誤魔化さない辺り、その点がどう思われているかを自覚しているのだろう。
まだよくは知らないが、彼は真面目な人間なのかもしれない。
そんな事を思いつつ、ホノカは自分の考えをウツギに話す。
「……そうですね。後者はともかくとして、前者は、仕事の時に足を引っ張り合わなければ、ひとまずは結構ですよ。趣味嗜好や好き嫌いは、人それぞれですからね」
「結構……ですか?」
するとウツギは目を丸くする。
まさか仲が悪い事を「まぁいいですよ」と言われるとは思わなかったのだろう。
事実、彼女達より前に来た隊長達は、その事を厳しく指摘していたようだ。ホノカが目を通した前任者は生真面目だったようで、隊員達に関する資料には、受け答えが事細かに記載されていた。注意を受けた一部の隊員は、強く反発していたようである。
まぁ、命令無視などの諸々に関しては、ホノカだって「結構」とは言わないが。
それでも仲の悪さに関しては、仕事に支障が出なければ、今のところは放っておいて構わないだろう。
挨拶の場でも仲の悪さは伺えたが、あの場でも、また資料でも、暴力沙汰になったという記録は一度もなかった。
言い争いはあったとして、手を出さないという最低限のマナーさえ守れているならば、とりあえずは良いとホノカは思っている。ちなみこれは事前にヒノカとも相談済みだ。
「ええ、結構です。無理に仲良くさせようとしても、どこかで爆発しますからね。こういうのは氷塊するのを待つのが一番です」
「……隊長はお若いのに、その」
「老けていますか?」
「あ、いえ。しっかりなさっているのだなぁと。意外でした」
「ふふ。つまり、舐めていましたと言う事ですかね」
「いや、えっと……」
「構いませんよ。そういう目には慣れていますから」
言葉を詰まらせるウツギに、ホノカはにこりと笑った。
そう、実際に慣れている。目だけではなく、そういう態度は今まで何度だって取られてきた。ああまたか、と思うほどに。まあ、慣れても気持ちの良いものではない。
ただホノカもヒノカも、忍耐強くはあっても、黙ってそれを受け入れるような大人しい人間ではなかった。
双子はそういう手合いに対してはずっと、己の実力で自分達の事を認めさせてきたのだ。
まぁ、そこが「生意気だ」という言葉にも繋がっているのだが、それはそれ、これはこれである。
「その辺りは、追々認めて貰えるように務めますので。よろしくお願い致しますね」
要は「認めさせますのでお覚悟を」という言葉を、丁寧に丁寧に包んでホノカは言う。
するとウツギはぱちぱちと目を瞬いた後、
「……はい。試すような物言いをして、すみません」
ややバツが悪そうにそう言った。
「いえいえ。こちらも少々、意地悪な返し方をしてすみません」
「いえ、そんな。……あの、ところで。ホノカ隊長は――――」
そして、ウツギが何か聞きかけた時。
桜花寮に設置された各スピーカーから、けたたましい警報が鳴り響いた。
<怪異因子>の出現を報せる音だ。
『日向隊、月花隊へ出動要請。場所は帝都駅、複数体の<怪異因子>の出現が確認されました』
スピーカーを見上げ、ホノカは目を細くする。
「着任早々にとは、<怪異因子>にもずいぶん、歓迎されているようですね」
「隊長」
「出動準備を。現場に向かいます」
ホノカがそう言うと、ウツギは「了解です!」と敬礼で答えた。
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