第五話 塗り分けられた桜花寮 下


 ヒノカの言葉を聞いて、シノブは軽く目を見開いた。

 彼女はそれから僅かに視線を彷徨わせながら、


「そんな事は……」


 と言葉を濁す。

 シノブの表情と声からは、申し訳なさそうな気持ちが伝わって来た。

 実際に、ヒノカの言った事は正しいのだ。

 自分達はお偉いさんにとって目の上のたんこぶ、それは事実である。


 ホノカとヒノカは、これまでの帝国守護隊の歴史の中で、最年少で、かつ異例の速さで銀壱星という階級に上がった。

 それに対して上層部の――とりわけ中間くらいの年齢の人間からすると、面白くないらしい。

 双子の昇進を認めたのも上層部だから、面白くないだの言われても困るのだが、実際にそういう人間がいるのである。

 そういう人間達からよく言われるのが、


「若造のくせに生意気な」


「大した実力もないくせに」


「どうせ浅葱の贔屓だろう」


 そんなやっかみである。

 もちろん上層部のお偉いさん以外にも、そういう言葉を向けられる事は多々ある。

 さすがに何度も何度も似たような事を言われ過ぎて、そういう言葉自体は慣れてしまってしまったが、回りくどいやり方で嫌がらせをして来る者もいた。


 ホノカ達は何を言われても気にしないが、実害がある物に関しては迷惑だし、気分はよくない。

 それでも、銀壱星になった直後よりは、そういう事は減ったが、それでもまだまだ無くならない。


 そういう類の事をしてくる輩を見ると、暇だなと思うし、そんな時間があれば自己研鑽に励めば良いのにともホノカは思う。

 他者を羨み、嫉妬をしても、それは何一つ自分の糧にはならない。

 少なくともホノカとヒノカはそうして生きて来た。必死に努力をし、今の階級まで駆け上って来たのだ。


――まぁ、そんな事を件の輩に言ったところで反発を受けるだけだが。


 だからホノカもヒノカも向けられた心無い言葉は聞き流す。丁寧に相手をしてやる義理もない。ホノカとヒノカはそんなにお人好しでも、暇な人間でもないのだ。


(それにまぁ、どうでも良いんですよね、正直、そういう人達の事は)


 ホノカ達にはシノブやミロクのように、味方になってくれる人もいる。

 大事にするべきなのはその人達であって、自分達に悪意を向けて来る人達ではない。

 だからホノカ達は、こちらを悪し様に言う人間の言葉を、いちいち真に受けたりしないのだ。

 

 まぁ、それは置いておいて。

 そういう味方のシノブが、自分達の事を心配してくれているのが伝わったから、ヒノカは彼女のそれを和ませようと、ちょっと冗談めかして、先ほどの事を言ったというわけだ。

 ホノカの双子の弟は、そういう相手の機微に聡い。だから時々、空気を変えたり、和ませた理しようと、先ほどのような冗談まじりの言動を取る事がある。


 しかし、どうやら今回は失敗してしまったようだ。

 ちらり、とヒノカの方を見れば、彼は表情こそ崩していないものの、目が「しまった」と言っているのが分かった。

 それならば、今度はホノカの番である。


「こら、ヒノカ。シノブさんが困るような事を言わないの」


「えっ本当!? ごめんね、シノブさん!」


 ホノカがすかさずフォローを入れると、ヒノカもそれに乗った。両手を顔の前で合わせて、シノブに謝る。

 シノブは目をぱちぱちと瞬いた後、


「……ふふ。いえ。ありがとうございます。お二人はいつも優しいですね」


 そう言って微笑み返してくれた。

 彼女の言葉から察するに、どうやら一応はヒノカがやろうとしていた事の意図は伝わっていたようだ。それらば良かったとホノカも微笑む。


「それでは、ご案内しますね。……あ、先に書類をお預かりしても宜しいですか?」


「あ、はい。どうぞ」


「よろしくお願いします」


 シノブに言われ、ホノカは鞄から茶封筒を取り出した。就任に関連する書類が入ったものだ。司令じょうしから、到着したらこれをまずシノブに渡すように、と言われていたのである。

 封筒を渡すとシノブは、その場で封を開けて中の書類を確認する。

 預かった書類を渡すだけなので、双子はのんびりと構えていた。


 だが書類を確認していたシノブが、ある一点に目を止める。

 視線の動きで、その部分を何度か繰り返し読んでいる事が分かった。

 何かあったのだろうかとホノカが思っていると、ややあって、シノブがパチパチと目を瞬いた。それから彼女は渋い顔になる。


「…………あの。お二人は、事前に書類の内容を確認されました?」


 そしてそんな事を聞いてきた。

 ホノカとヒノカは目を瞬く。 


「ううん、特には。ミロクさんから『開封厳禁だから』って言われていたし。そうだよね、ホノカ」


「はい。中の書類については、ざっと説明は受けましたけれど……。何か不備でもありましたか?」


「いえ、不備と言いますか……ううん、これぜったいわざと……。まったく、もう。あの人ったら……」


 シノブは眼鏡を押えると、深くため息を吐いた。

 彼女がこういう反応をするという事は、何やら嫌な予感がする。 


「あの、シノブさん。何が……?」


 恐る恐る聞いてみると、シノブは手に持っていた書類を、二人に見せてくれた。

 そのまま言い辛そうに、


「その、この書類なんですけどね。事前に伺っていたお二人の配属先が……逆、なんですよ」


 なんて教えてくれた。

 逆、と聞いて二人は首を傾げる。


「逆?」


「……と言いますと?」


 双子が聞き返すと、シノブは「ここです」と、書類の一部を


 ここです、とシノブの指先が、書類の一部を指した。

 そこにはヒノカとホノカが配属される隊の名前が書かれていたのだが……。


「ええと、何なに……日向隊隊長に御桜ホノカ……」


「月花隊隊長に御桜ヒノカ……」


 それぞれに読み上げて、双子はしばし固まる。

 日向隊――荒事や戦闘専門の部隊に姉のホノカ。

 月花隊――情報収集、戦闘支援専門の後衛部隊に弟のヒノカ。

 あれ、と思った。

 

「…………ちょっ、えっ!? 僕が日向隊のはずだったよね!?」


「私は月花隊と伺っていたのですが……あれ? え? 逆……?」


 思わずあたふたとし始める双子に、シノブは「か、確認してきます!」と桜花寮に向かって走って行く。

 背中を見送りながら、その場に残されたヒノカとホノカは、呆然とした面持ちで桜花寮を見上げる。


 お互いを拒絶するように黒と白に塗り分けられたその建物。

 見た時から大変そうだなぁとは思ったが、同じくらい面倒な事になりそうな予感が感じられる。

 覚悟はしていた。だがそれに新たなフレーバーが加わるとは予想していなかった。

 脳裏に、浅葱ミロクの良い笑顔が浮かぶ。ついでに『がんばれよ!』なんて幻聴まで聞こえて来る。


「やられた」


 なんて、揃って双子は呟き。

 その声を聞いた黒猫が、どうしたの、とでも言うように「にゃあ?」と鳴いた。

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