第二話 黒猫と殺人現場 上


 港に通じる路地に、切り裂き男が出たんだってよ――――。


 そんな噂話が帝都中を駆け抜けている頃。

 その殺人事件の現場に、鶴と桜の紋章が飾られたい時代の馬車が到着した。

 この国の紋章を掲げたこの馬車に乗っているのは、白色の軍服を纏ったホノカとヒノカだ。

 二人の軍服の襟には、馬車の紋章と同じ鶴と桜、それから一つ星の意匠が施された銀の襟章がついている。襟章は、馬車の車窓から差し込む日差しを受けて、それこそ星のようにキラキラと輝いていた。


「あ、結構な野次馬がいるね」


 車窓から外を見て、ヒノカがそう言った。

 おや、と思ってホノカもそちらを見れば、なるほど確かに。

 帝国守護隊が事件現場には近付けないようにはしてあるものの、事件現場を見ようと集まった帝都市民の姿が確認できた。

 好奇心は猫を殺すと言う外国のことわざがあるし、殺人事件の現場を見ようなど悪趣味にもほどがあるが、やはりあの名前が出れば、気になってしまうのは仕方がないかもしれない。


(まぁ何せ、あのですからね)


 『切り裂き男』というのは、六年前に帝都中を震撼させた猟奇殺人鬼の事だ。

 特定の女性ばかりを狙い、刃物で滅多刺しにし殺害する残忍な手口から、切り裂き男と呼ばれるようになった。


(ですが、切り裂き男は――――)


 ホノカがそんな事を考えていると、ヒノカがハァとため息を吐く声が聞こえた。


「ホント、帝都で堂々と殺人だなんて、良くやってくれるよ」


 そして呆れたようにそう言うと、くしゃり、と前髪をかきあげる。

 大体の時は人好きのする笑みを浮かべている顔が、少々不快そうに歪んでいた。

 双子の弟の機嫌があまり良くない理由は、ホノカも理解できる。

 今、帝都に流れている噂だ。帝都の切り裂き男、この名前がヒノカに不快感を与えているのだ。


「しかも切り裂き男・・・・・ですからね。仮に模倣犯だったとしたら趣味が悪いですよ」


「だよねぇ。そもそも今、切り裂き男なんて在り得ない――と言いたいところなんだけど。ホント、そこも含めて妙な話だよね。どうして今になって、また、あいつ・・・の名前が出て来るんだろう」


「ええ、本当に」


 そんな話をしながら、ホノカとヒノカが馬車を降りる。

 すると現場にいた年若い軍人が二人に気付き、こちらへ駆け寄って来た。

 歳は双子と同じくらいだろうか。

 見るからに真面目そうな雰囲気の彼は、ホノカ達の前まで来ると、教本通りの綺麗な敬礼をした。


「お疲れ様です、御桜隊長と……ええと、御桜隊長殿ッ!」


 初めて顔を合わせるが、どうやら彼はこちらの事を知っているようだ。

 少し言葉が詰まったのは、ホノカとヒノカが同じ苗字な上に、階級も一緒だったからだろう。少し混乱した様子だったが、ハキハキと挨拶する彼に好印象を受けたホノカは、くすり、と小さく微笑んだ。


「二人一緒の時は一度で大丈夫ですよ。もしくは名前で呼んで頂いて結構です。同じ階級で同じ名字の人間が、二人いるとややこしいですよね」


「あ、いえ、その…………はい」


 図星をつかれて少々バツが悪かったのか、軍人の少年がやや顔を赤くする。こういう素直な反応が久しぶりで、何だか和むなぁとホノカは思った。

 

「ええと、ではお言葉に甘えて……ヒノカ隊長、ホノカ隊長。着任早々に御足労頂き、ありがとうございます」


「いいよいいよ、ついでだからね。気にしないで気にしないで。現場を整えてくれていてありがとうね。ええと、君の名前を聞いても良いかい?」


「ハイッ! 阿良々木あららぎセイジ銅壱星どういちせいでありますッ!」


 その軍人は元気な声でそう名乗ってくれた。

 <銅壱星>と言えば、有事の際には小隊長を任される階級だ。恐らくホノカ達と同じような年齢だと仮定すると、その歳の割には階級が高い。


 ……なんて、同年代で、それより三つ上の階級である<銀壱星>の双子が褒めれば、例え本心であっても嫌味として受け取られかねないので、黙っておくが。


 とは言え、ホノカ達だって、その階級の高さは異例中の異例である。

 あくまで特殊なものだ。 

 もちろん贔屓等で得たわけでもはなく、単純に能力が高い事も理由の一つである。

 だがそれ以上に、今まで双子に振られていた仕事――<怪異因子>絡みの件がその階級に大きく関わっている。


 基本的に<怪異因子>は、そのほとんどが何故か帝都に現れるが、それ以外でも大なり小なり被害が起きている。

 帝都は件の日向隊と月花隊が守っているが、他所はそうはいかない。

 そのために討伐班を各地で編成しているのだ。ホノカとヒノカは、その一つに所属していた。


 その班が担当している地区と、要請があり出動した地区で発生したここ数年の<怪異因子>。そのほぼすべては、ホノカ達が討伐している。


『まるで執念の塊のようだ』


 その時の事を知る軍人は、双子の事をそう評する。

 そんな事があって、双子は異例の速さで<銀壱星>まで上り詰める事が出来たのだ。


 さて<銀壱星>と言えば、連隊長を任じられるくらいの階級だ。

 つまり指揮系統の能力が必要になってくる。

 しかし双子はまだ経験が浅い。指揮系統のあれこれは、双子のミロクから叩き込まれているものの、実際の現場で連隊の指揮を執るのは難しい。


 ―――とまぁ、そんな状況であった。


 話は戻るが、年齢によるあれこれはとてもデリケートで面倒な問題なのだ。異様な速さで昇進した事で、双子はこれまでにやっかみや嫌がらせもそこそこ受けた。

 だから学んだ。必要がなければ、触れて面倒が起こる話題は、触れないでおくのが吉である、と。

 なのでホノカもヒノカはにこりと笑って「よろしくね」とだけに留めておいた。


「阿良々木君。それじゃ、今回の事件について聞いても良いかな」


「到着前にざっと報告を聞きましたが、目撃者はいないそうですね」


 双子が受けた報告はこうだ。

 今朝早く、帝都港に通じる路地裏に、女性の惨殺死体が発見された。

 死因は刃物による、おびただしい数の刺し傷での失血死。

 目撃者はおらず、現場には凶器らしきものは残されていなかった。


 連絡を受けた時の事を思い出しながらホノカが言うと、阿良々木は「実は……」と、ある方向を指さした。


「いるには、いるんですが……目撃者というか、目撃猫というか。その、猫が一匹です」


「うん? 猫?」


「猫です」


「猫……?」


 彼が指している場所を追っていくと、シートがかぶせられた――恐らく遺体だろう――場所の近くに、一匹の黒猫が座っていた。首には青いリボンを結んでいる。

 飼い猫だろうか。そんな事をホノカが考えていると、ふと黒猫がこちらを見て「にゃあ」と鳴いた。

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