ミチルの話

「あ、またや」と、ミチルは言った。窓の外。四角い建物には所々剥げた文字で、『大渕堂書店』と書いてある。地元の人に長らく愛されてきた大渕堂書店は、明日閉店する。だからなのかいつもよりも人が多い。でもミチルはそんな難しいことは分からない。


「なんできょうはたくさんおきゃくさんくるんやろな。ポンタはどうおもう? ニンゲンがいっぱいや」


 ミチルのお母さんは家に帰ってこない。お父さんも仕事で家にいないことが多い。ひとりぼっちのミチルの友達は狸のぬいぐるみ、ポンタだけだ。


「あ、あのこどもはなんかかってもらったんかな。うれしそうにわらっとるわ。いいなぁ。あたしもなんかかってもらいたいなぁ。ポンタもかってもらいたいやろ?」


 ミチルはポンタを窓ガラスにギュッと押し付ける。「ほら、あのこもやでー」ミチルの吐く息で窓ガラスが白くなった。きゅきゅっ。ミチルは手でガラスを擦り額をつけた。冬の窓ガラスはひんやりしていて気持ちいい。ミチルは眉毛をぴょこんと持ち上げて、ポンタの顔を自分に向けた。


「ミチルもなんかかってきたら?」ポンタの顔が左右に動く。


「そうやな、なんかかいにいこかな。そうやそうや、そうしよう」


 ミチルはポンタのお腹に手を突っ込んだ。ポンタのお腹には折り畳まれた千円札が一枚入っている。お父さんが入れてくれた千円札は、大渕堂書店の近くにあるスーパーでお昼ご飯や夕ご飯を買う為のお金だ。ミチルは硬くて小さな塊があることを確認すると、ポンタを抱え家を出た。


 家から大渕堂までは徒歩三分。顔馴染みの店員さんの横を「こんにちはー」と通り過ぎ、ミチルは店内をあちこち見てまわる。「やっぱりいつもよりニンゲンがおおいなぁ」と、ポンタに話しかけながら歩き、大好きな絵本コーナーの前で立ち止まる。閉店セールと書かれたポップの下。しわくちゃなビニール袋に入った狸のぬいぐるみには、赤い割引シールが貼ってある。


「これ、ポンタそっくりやー」


 ミチルはビニールに入った狸のぬいぐるみを手にとると、「1、2、3」と値段の数字を数えた。ミチルは数字が三つまでなら千円で買えると知っている。ご飯を買いに行くスーパーのおばちゃんがそう教えてくれたからだ。


 ミチルのお腹がぎゅるりと鳴いた。お腹に手を当てて、ミチルは考える。


 おひるごはんはたべたっけ? 

 これをかったらごはんがかえへん? 


 ミチルはビニールに入った狸のぬいぐるみを握ってさらに考える。


 たべものはたべたらなくなる。

 でもともだちは?


「たべてもなくならへんよね。そうやそうや、そのとおりや」


 ミチルは狸のぬいぐるみを胸に抱えてにこにこレジに向かう。ミチルは今日、大渕堂でポンタの新しい友達を買った。

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