ケイコの話
『頭の中がぐちゃぐちゃになると住空間に物が溢れます。家が片付かない人ほど、心の中も片付かない問題で溢れかえっているのです』
立ち読みをしている『人生薔薇色 取捨選択の心得』を読みながらケイコは溜息を吐いた。これはまさに今の自分そのモノだと思う、と。
地元で長らく愛されてきた大渕堂が閉店すると聞いた時は、悲しいと思うよりもまず先に「セール品を買いに行こう」だった。閉店セール。大渕堂は本だけでなく文房具や雑貨類も売っている。それを目当てに来たはずが、なぜか収納や整理整頓を紹介しているコーナーに足が向いた。理由は分かっている。要らない物が増えすぎて、家が片付かず汚いからだ。ケイコが思っている以上に潜在意識はそれに危険信号を出している。だから自然とこのコーナーに足が向いたのだ。
「頭の中がぐちゃぐちゃな人ほど、か……」
頭の中がぐちゃぐちゃ。自覚はある。山積する問題から目を背け、向き合ってこなかったのは自分だ。痴呆の入り始めた母親と二人暮らし。昨日も家から抜け出して大変だった。施設に入るまでではないと思っている。それに施設に母親を入れることにもどこか抵抗がある。でもこのままではいけないとも思ってはいる。思ってはいるのだけれど。
本にまた視線を戻す。
『まずはいるいらないで区分しましょう。分別がめんどくさいと思うならば、分別はしなくて大丈夫です。お金を払えば業者が一括で引き取ってくれますよ』
いる、いらない。いる、いらない。お母さんのことはそういうレベルの話じゃないと思う。お金を払えば業者が全部引き取ってくれるなんて、考えるだけで「ごめんなさい」と胸が痛むくらいには、娘として母親のことを大事に思っている。でも、そうも言っていられない時が来たら、私はどうしたらいいのだろうかとケイコは思う。
お父さんが五十五歳で他界してから、母ひとり子ひとりで今までやってきた。かれこれ三十年。結婚もせず、親子二人きりで今までやってきた。でも、自分の老後だってどうしたものかと考えてしまう。身体は年相応に衰えてきている。頭の中はいつもぐちゃぐちゃで、どうしようもないほど不安が胸に迫ってきて眠れない日も少なくない。寝不足の身体は重たくて家を片付ける気にはなれないし、そもそもあの散らかった家のどっから手をつけていいか分からない。
ケイコは本に視線を戻す。
『住空間がすっきり片付くと、心の中も頭の中もすっきりしてきます。そうすると不思議なことに自然と片付かない問題も解決に向かっていくのです』
この本を購入し実践すれば、家が片付き自分の頭の中もすっきりとするだろうか。そろそろ潮時。色々と向き合う時期が来ていることは自覚している。
『さぁ! まずは始めましょう! そして、あなたの人生を輝かせるのです!』
ケイコはパタンと本を閉じ値段を見る。
千五百円。
どうやら本は閉店セールの割引対象外のようだ。
ケイコは考える。こういう類の本は何冊か持っている。でも、この本は持ってはいない。閉店セールに来て、立ち読みしなければこの本には出会えなかったはず。これは、きっと、なにかの転機。これを読み、実践して問題を解決できるなら……。
「これ、買っていこっかな」と、ケイコは本を胸に抱きレジに向かう。また一冊余計なモノが増えたことにも気づかずに。
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