コンプレックスを拗らせた俺は幼馴染から逃げ出した

のざわあらし

コンプレックスを拗らせた俺は幼馴染から逃げ出した



 二年前の春。恥辱に耐えかねた俺は、幼馴染を無視して逃げ出した。



 これより本稿で述べるのは、俺が日々テキストを書くようになったきっかけ──いわば自己紹介、所信表明に等しいエピソードとなる。明るくも楽しくもない出来事の回想だが、どうかお付き合い頂けたら幸いだ。




 二〇二一年の五月末、夜の散歩が習慣化していた。それは味わったばかりの失恋からの現実逃避。無心で脚を動かし、温くなり始めた風が時折吹く街を目的もなく彷徨っていると、ネガティブな感情を抱かなくて済むからだ。

 決まって部屋着のまま、街灯が照らす夜へと繰り出す。色褪せた安物のTシャツと七分丈のズボンは、どちらも量販店のセールで買った安物だ。履き古した白スニーカーは、今や皺だらけで灰色がかっている。昼間の表通りを歩ける格好ではないが、誰も俺など見ていないのだから構いやしない。そう思って疑わなかった。




 ある日の夜八時頃、俺はかつて在籍していた幼稚園の側を通り過ぎようとしていた。何の気なく園舎を眺めながら足を動かしていると、門の勝手口を施錠する女性と視線が合った。

 門灯に照らされた顔に目が留まる。

 一瞬、時が止まった気がした。その女性は紛れもなく、幼稚園と小学校時代を共に過ごした幼馴染だった。




 彼女と最後に顔を合わせたのは、前年正月頃に開催された同窓会だった。

 俺たちは幼稚園と小学校を共にした数名で、一〜二年おきに同窓会を行っている。「幼稚園時代の友人と未だに会うなんて珍しい」とよく言われるが、小学校生活も併せれば九年間──人生の約三分の一を共に過ごした仲だ。年月ゆえの絆、というものだろうか。

 宴席の場で、彼女は約二十年振りに学び舎へ帰っていたことを告げた。確かに彼女はずっと幼稚園に勤務していたが、まさか母校に転任するとは。思いもよらぬ宣言に、皆で驚嘆した覚えがある。

 



 通っていた当時は知る由もなかったが、母校はそれなりに優秀だったらしい。

 振り返ってみると、一学年約五十人いる同級生の内、少なくとも四人は医者として活躍している。大企業の勤め人も官僚もいる。研究者の道を歩む者もいる。それぞれが別の道へ進めども、皆華々しい道を歩んでいるようだ。

 木と絵本の香りが漂っていた素朴な園舎には、未来のエリートが集っていた。そして、そんな園内の児童達を育てる担任──いわば「もう1人の親」を勤められるのは、幼児教育のエリートだけだと聞いたことがある。晴れて彼女もその一員に仲間入りしたというわけだ。




 彼女曰く、「エリートを育てるエリート」の在り方は、決して甘くないらしい。幼少期に漠然と享受していたお遊戯のプラン一つとっても、綿密な計画と厳しい批評の上で成立しているそうだ。二十年前は微笑みを絶やさず接してくれた先生達が持つ、社会人としてのもう一つの側面──厳しい上司というギャップは受け入れ難くとも、彼女は日々責務を全うしているようだった。

 人を育てること、それは即ち未来を育てること。彼女は多くの未来を育てている。俺が不意に鉢合わせたのは、それ程までに立派な人物だった。




 児童が帰った後も会議や様々な準備を重ねた末、町が静まり返ってからようやく退勤できたのだろう。幼稚園を後にしようとする彼女は、いかにも幼稚園の先生らしいエプロン姿ではなく、さながら会社員にも見紛うフォーマルな衣服に身を包んでいた。

 そんな彼女の眼前には、見すぼらしい部屋着姿に猫背を組み合わせた俺。さぞかし社会の歯車から逸脱し、停滞している人生を全身で体現した姿だったことだろう。流行り出した病の影響で着けていたマスクにより俺の口元は隠れていたが、四半世紀以上もの付き合いだ。他人の空似では誤魔化せない。

 俺は一瞬合わせた目をすぐに逸らし、全く気付かなかったふりをして足早に歩き去った。彼女は追ってこなかった。




 当時、俺は三十歳を迎えようとしていた。

 同世代の間で飛び交う話題といえば、出世・目標の実現・結婚・出産。俺はその輪に混ざれずにいた。ライフステージが全く上がっていなかったためである。

 とにかく足踏みをしていた。いや、足踏みどころか後退だ。二ヶ月前の破局により、三十歳までに結婚するという目標の達成が叶わないことが確定していた。幼稚園どころか結婚も育児も、俺にとってまだまだ縁遠い場所だった。

 また、流行り病に端を発した世界的な騒動で、プライベート・仕事上共に人との関わりが激減した。その結果、俺は自営業のルーチンワークを繰り返しながらゲームや映画等の娯楽を享受する……という、社会から隔絶された引き篭もり一歩寸前の生活を送っていた。

 焦燥感に襲われながらも無為に過ごす毎日。子どもから大人へ成長し、理想と現実のギャップに折り合いをつけ、努力と苦労を重ねて働いている彼女のような人達に顔向けできない。そんな自分が惨めで、恥ずかしさばかりが募った。

 勿論、彼女はそんな俺の近況を知る由もない。だが、俺のみすぼらしい風体から全てを見透かされたように思えた。非合理的な考えだとは承知している。しかし、確かに俺の心は確かに恥辱にまみれていた。




 彼女から逃げ出した直後、あらゆる恥が無数の針となって俺を突き刺した。腕や胸が蕁麻疹で赤く腫れる。肌をつねっても誤魔化しが効かず、増幅された痛みと共に数多のコンプレックスが呼び起こされる。

 例えば、演劇に精を出していた大学時代、ほんの少しだけ行っていた文筆活動が数年間全く捗っていなかった。やる気さえ起こらなかった。かつての創作仲間達は沢山の作品を産み落としている一方で、俺はさっぱり何も生み出せていない。

 また、憧れていた研究者のコースを修士課程でドロップアウトした。稚拙で不甲斐ない出来の修士論文を恥じ、博士課程に進む自信を失くしたためだ。同期や後輩は着実に研究を重ねて定期的に論文を投稿しているのに、俺の研究成果は何一つ世に出ていない。

 そして、長期的な異性関係を維持できず、元彼女ばかりが増えていく日々が続いていた。誰かと破局して疎遠になるたびに、俺の人生がリセットされる気がしてならない。「経験を次に活かせばいい」とよく慰められるが、人間の性格・性質は十人十色。よりを戻さない限り、過去の恋愛の失敗はフィードバックできない。残るのは少しばかりの記憶と、無意味に歳をとった男だけだ。



 

 意識を過去に潜らせる度、自分の人生が恥と失敗と無駄ばかりと意識させられる。かつては俺もエリート候補生の一員だったかもしれない。だが今はどうだ。旧友への劣等感を隠せず逃げ出すようなエリートが何処にいる……?

 過去最低の自己嫌悪に陥ると同時に、俺はふと思い立った。ここまでの強烈なコンプレックスを味わった経験は、過去に類を見ない。普段滅多に心動かない俺が、単なる認知の歪みも関わらず強烈な感情を抱いた。これには何らかの意味があって然るべきではないか。

 もしも原因となる恥と無駄を無視したら、俺が抱いた確かな感情まで否定しなくてはならない。それはきっと、「人生そのものが空虚である」と、生涯を全否定されることと同義だ。

 ならばいっそ積み重ねた恥と無駄、そして湧き上がったコンプレックスを言語化して明確にしてしまおう。醜く情けない人生でも、それが決して空虚ではないことを俺は証明したい。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンプレックスを拗らせた俺は幼馴染から逃げ出した のざわあらし @nozawa_arashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画