第20話 エピローグ


午後のカフェ。屋内の窓辺に近い席にシヴァとゼロが二人で座っている。テーブルには湯気の上がるカップが二つ、ゼロの前にはカフェで人気のケーキが一つ並んでいる。

『本当にいいの?』

ゼロはそう言いながらケーキにフォークを刺し口に運ぶと顔を綻ばせた。

シヴァは頬杖をつきフフと笑う。

『カイルが以前来た時に美味しいと言っていたからな。』

『ああ、そういうこと?』

文句を言いつつケーキの皿を綺麗にするとカップに手を伸ばした。

『それで…どこまで話たっけ?』

『ああ…ディアの治療のところまでだ。』

『うん、傷は治るのが早かったんだけど、どうしても精神的に不安定になってたから…爪がね…なかなか戻らなくて。』

『そうか。精神的な治療は行っていたのか?』

『少しね。それからちょっとして完治ってとこかな。ねえ、シヴァ。』

『なんだ?』

『ディアは最後まで僕に話をしなかったんだ、どうしてそうなったのかとか。けど君は知っているわけじゃない?以前、話してくれた御伽噺もメイリルたちは信じなかったけど僕は君が嘘をつく人間じゃないってことを知ってるから。』

シヴァはカップに口をつけると足を組んだ。

『知らないほうがいいこともある…ということだ。』

『僕は…頼りにならない?』

ゼロが膨れるとシヴァは視線を逸らした。

『いや、そうでもないが…私はティルまで泣かせたくない。』

『…そんな風に言われると聞けないじゃない、もう、まったく。』

『で、何か聞きたいんだろ?なんだ?』

『それについては話してはくれないんだよね?』

『ああ。』

『昔の君の目を思い出せば少しは想像もできるけどさ。そういうことでいいんだよね?』

視線を落とすとシヴァは微笑んだ。


『さあな。』

『で、一つ疑問だったんだけど、シヴァの記憶は戻ったじゃない?ディアと二人で帰るための条件だったって聞いたけど、実際にはこうして戻ったわけでさ。問題ないの?』

シヴァは優しく笑う。

『ああ、問題ない。簡単に言えば、ディアが記憶を消すということが条件であってそれが満たされればその後どうなろうとも関係ない。もしディアが記憶を消さなかったのであれば二人ともここにいない。』

ゼロは腕を体に巻きつけると肩をすくめた。

『うわあ、嫌だなあ。でも良かった…君の記憶が戻って…カイルが可哀相だったから。』

『ああ…そうだな。』

『でもどうやって記憶がもどったわけ?それは教えてくれるの?』

ゼロは苦笑するとカップのお茶を飲み干した。

『そうだな…その前に何か飲み物を注文しよう。冷めてしまった。』

シヴァはウェイターに注文するとすぐに二つカップがテーブルに置かれた。

『本当に君は優しくなったなあ…。』

カップの一つに手を伸ばすとゼロが笑う。シヴァも暖かなカップに手を伸ばすと指を暖めた。

『記憶が消えている感覚はあった。説明が難しいが映画のフィルムがあるとすると途中が切り取られてそこが空白になっている。カイルに関してはそれが多かった。

でも彼女は何も言わないし、ふとしたことで表情が変わっておかしいとは思っていた。』

『ふうん。じゃあ、カイルを愛しているって気持ちはあったわけ?』

『ああ…でもそれは何かやっぱり抜き取られている感じだった。』

『不思議だな、それは。』

『もう経験したくないがな。覚えていなくて泣かれるのは辛い。』

『そうか…でも今の話は僕らにとっては治療にも役に立つから、助かるよ。』

『ああ、それは良かった。』

『で、あの二人はどこまで買い物に行ってるわけ?買い物にしては長くない?』

ゼロが訝しがるとシヴァは笑った。

『女性の買い物は長いものだ。お前も時々はティルに付き添ってやれ。』

『そんなもんなの?でもさあ、ティルって黒いレースしか着ないんだよ?僕が選んでも駄目だもの。』

『ならば上等な黒いレースを選んでやればいい。美しいものを選ぶのはお前も得意だろうが。』

『そうねえ…今度試してみる。そういうシヴァはカイルに付き合うわけ?』

『うん?そうだな。けど、彼女は欲しがらないからな…。』

『へえ。もう少し甘やかしてみたらどう?僕が言うのもなんだけど。』

『甘やかす…か。』

シヴァは眉を下げると苦笑する。

『どうだろうな…。』

ゼロはシヴァの優しい顔に微笑むと頬杖をついた。


『ヴァンパイアってのは綺麗だけど、シヴァとカイルは極上だね。いつかお相手お願いしたいよ。』

『断る。』

ぴしゃりとシヴァが言うとゼロは唇を尖らせる。

『意地悪だなあ…でもさあ、ヴァンパイアって僕も仕事柄ちょくちょく会うけど君たちみたいに美しい人ばかりではないんだよね。』

『多分それは血だ。』

『え?』

『混血が進めば顔形も変わってくる。そのように昔聞いた。迷信かも知れんが。』

『ああ、それで君は飲む方が好きなわけか。』

『かもな。』

シヴァの言葉と同時にゼロの電話が鳴った。どうやら買い物は終了したらしくここへやってくるらしい。シヴァはウェイターを呼んで会計を済ませると土産用にケーキを購入する。しばらくして二人が合流し帰り支度を済ませると店を出た。

『またな。カイル…今日は楽しかった。』

ティルが微笑むとカイルは頷く。

『はい、是非また。』

ティルの隣で笑うゼロはシヴァを見て言った。

『じゃあまたね。シヴァ。』

『ああ。言い忘れたが御伽噺のヴァンパイアは約束を守ることが好きだ。』

片手を上げて背中を向ける。二人が帰るのを見送ってティルがゼロを見上げた。

『で、何の話だ?』

『うん、僕が考えたとおりなら、これからはもう心配はないってことみたいだ。』

ゼロは嬉しそうに笑うとティルの手を握った。

『なんだ、急に。』

『なんでもないよ。僕の可愛いお嫁さん。』

ティルは少し不服そうに笑うと俯いた。




シヴァとカイルは家に戻ると荷物を運び、暖炉に火を入れる。暖かくなるのを待ってカイルは買ってきたものを解いた。

『ああ、コートか。今着ているものは少しくたびれていたか。』

『ええ。ティルさんが選んでくれて…でも袖を通したら素敵だったから。』

『いいんじゃないか?』

カイルはフフと笑うと小さな包みを取り出してシヴァに差し出した。

『うん?』

『シヴァに。これは私が少しアルバイトをして貯めたお金で買いました。』

『ああ…そういえば少し離れた家に花のリースを作っていたな。』

『はい。開けてください。』

シヴァは言われるとおりに封を開けると中から品の良いネクタイが現れた。

『フフ、カイルが選んだのか?』

『はい。シヴァは時々スーツを着ますから、その時にでもって。』

『ありがとう。大切に使おう。さて、カイルは買ったものを直しておいで。』

『はい。』

買ってきたものを纏めてカイルが部屋へ行くと、シヴァは台所でお茶を入れてお土産もそこに添えた。テーブルにそれを置くと戻ってきたカイルがぱっと笑顔になる。

『あ、あのカフェの。』

『ああ、君が好きだから買った。』

カイルがソファに座るとケーキをフォークですくって口に放り込む。

『美味しい。』

そしてもう一口フォークですくうとシヴァに差し出した。たっぷりのクリームをフルーツとスポンジで巻いたロールケーキだ。

『美味しいですよ?』

シヴァが笑い、それをぱくっと食べると頷いた。

『うん、確かに。』

『ね?』

カイルはゆっくりとケーキを平らげる。そしてお茶を飲むとふうと息をついた。

『やっぱり美味しい。ねえ、シヴァ、お家でも作れるでしょうか?』

『どうだろうか…やってみないことには。』

『作れたら素敵だなあ。今度作ってみたいです。』

『じゃあ、頑張ってみるか?』

シヴァの言葉に頷くとカイルはとろけそうに微笑んだ。

『なんだか今日はすごくすごく優しいですね。』

それにシヴァは破顔すると頷いた。

『ゼロに言われてね。甘やかしてみたら…と。』

『私をですか?』

『ああ、そうだ。』

カイルはフフと笑うと立ち上がりシヴァの膝に座った。

『甘えてもいいんですか?』

『ああ、いいとも。』

シヴァは彼女の足をすくうと膝の上でお姫様のように抱いた。距離が一気に近づいてカイルは顔を赤くするとシヴァに抱きつく。

『うん?』

『甘えてます…でも甘えるってよくわかりません。』

『フフ、そうだな。したいことやして欲しいことを言えばいいんじゃないか?』

『うーん。ウフフ。』

カイルはシヴァの顔を見ると笑った。

『胸がいっぱいになります。あなたが好きで。』

シヴァは笑うとカイルにキスをする。

『私も君が好きだ。何かして欲しいことは?』

長い睫毛を伏せてカイルは唇を重ねると息を吐いた。

『あなたが欲しい。』

『その甘え方はとても特別だ、おいで。』

シヴァはカイルを下ろすと椅子から立ち上がり彼女の手を取る。その手を引いて自室のドアを開いた。



深夜、まだ暖かな空気の中でカイルは目を覚ました。毛布にもぐりこんでシヴァの胸に飛び込むと彼の腕がそっと抱きしめる。暖かな腕に抱かれてゆっくりと船をこぐとシヴァの声が聞こえた。

『眠ったか?』

『うん、少し眠いです。』

『そうか…いつも寝てしまうからな。』

『そうですね。』

シヴァは後ろを向いたカイルを抱き寄せると彼女の手を取り指を絡めた。

『私がどうやって記憶を戻したのか…知りたいか?』

『うん、知りたいです。』

カイルの声は眠たげでうとうとしている。

『フフ、私はずっと君に触れたかった。君の心を手に入れたかった。想い出が消えてしまっていたから随分と長く感じられた。』

『うん。』

『でも君に愛を告白して、君がキスをくれた時にぽっかりと開いていたものが埋まったんだ。とても不思議なことだよ。』

『フフフ、じゃあちゃんと忘れずに覚えていたんですね?』

『きっとそうだろう。それにカイル、君もそうだったんだ。君は忘れていても覚えていた。だから私はここに。』

腕の中ですうっと寝息を立てカイルは眠ってしまった。

『私は…君を失わなくて本当に良かった。』

絡めた指先は細く簡単に包んでしまえる。華奢な肩も柔らかな体も今は腕の中にある。

『あの日、君に出会えてよかった。』

シヴァは眠るカイルにキスをして同じように眠りにつく。これからも季節はめぐり、時間は過ぎていっても変わることはない。二人は永遠で同じ時間を歩き共に生きるのだから。



遠くない未来の秋の頃、家の庭では二人の友人たちがグラスを傾けている。身内だけのパーティでカイルはウェディングドレスを着てタキシードのシヴァに手を引かれていた。

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