71六話『湘南の海に見ゆサザンクロスの蜃気楼』

 滿洲國まんしゅうこく大連の飛行場で、男は搭乗の手続きを終え、出発の時刻を待っていた。ところが掛員かかりいんがやって来て、座席が満員になった為、当該の便に乗れなくなったと説明する。無茶な話である。男が不満を露わにすると、その脇を三人の男たちが颯爽と過ぎて行った。肩章から陸軍の大尉らだと判った。


 大連と帝都羽田を結ぶダグラスは席数が十四と少なく、三人が追加されると忽ち満杯となる。優先されるのは軍人や外交官、大物の政治家。民間人は押し出される恰好で搭乗拒否を喰らい、問答無用、後日の便に振り替えられてしまう。


「それで少佐は文句を言わなかったのですか」


 與重郎よじゅうろうは怪訝なかおで問い掛けた。尋ねられた男は、過日、正体が明らかになった陸軍参謀本部の情報将校、椎名眞臣しいな・さねおみ少佐。金曜會の古参にして、絵描きのような風貌の中年男である。


「我慢の為処しどころだな。座席をぶんとった連中は階級も下で、こっちが軍服を着てりゃ一喝いっかつするが、そうもいかない。しがない綿布商めんぷしょうに化けていて、相手が誰だろうと絶対に正体を明かせないんだ。何かの試練だと心得て、ぐっとこらえたよ」


 耳朶を蔽う長い髪も、気障な金釦きんボタンの背広も変装の一部。街で擦れ違っても、この親爺が将校だとは何人なんぴとも気付くまい。忠嗣は徹底ぶりに感心した。けれども、會では大っぴらに本職の肩書きである少佐と呼ばれ、本人も嫌がる風ではない。 


「こん中に英國のスパイが紛れ込んでいることはないだろう。誰も額面通り受け取るはずもないし、本名で呼ばれるより、都合が良いのさ。進級したら、今度は中佐な。まあ、当面ないけどな」


 詳しくは語らないし、職業上の守秘義務もあって話せないようだ。しかし不始末を仕出しでかしたのか、言葉の端々から干されて閑職に追い遣られていることが判った。特務もなく、田舎の役場勤めと変わらぬ緩やかな仕事を与えられているらしい。


 禁書庫の閑人は急に親近感が湧いた。似通った境遇の者同士である。


 金曜會への参加もたまさかで、富士見花柳街で羽根を伸ばしている際、書肆の変わった屋号に惹かれ、常連になったのが切掛きっかけだという。この色里は靖國神社に近いこともあって、現役退役を問わず軍人の客が多いことで知られる。

 

「少佐は露西亞ロシア語が得意で、言わば北面担当なのだけど、欧州ばかりか南洋にも詳しくて、度々出向いているんだ。見世に陳列している三角形の固い枕は、御土産の余分だったかな」


 勿論、耿之介こうのすけは少佐の素性を良く知っている。それでも職業柄知り得た情報を交換することはなく、専ら趣味の話しかしないと嘯く。所謂いわゆる、同好の士。即ち少佐もまた屍体や猟奇犯罪を好む変質者なのか、と忠嗣は怪しむ。 


「南洋と聞いて思い出したのですが、僕は昔、南十字星を観たことあるんです」


「吾輩は何回も観たけど、え、與重郎君、沖縄に行ったことあるのかい」


「いいえ。家族で大磯に泊まり掛けで行った時です。相模湾の彼方に南十字星を見付けました。この前、天象儀てんしょうぎで観て、懐かしく思って」


 少佐は考え込んだ。本邦では臺灣たいわんや沖縄、小笠原諸島まで南下しないと、水平線近くに浮かぶ四つの星を観測できないという。大磯から観えることは天地が引っ繰り返っても有り得ない。


 別の綺羅星を見間違えたと少佐は指摘するが、美少年は納得しないようで、幾度もくびを傾げる。


「それは別の機会に譲って、本題に参りましょうか。今宵は少し変わった趣向で、こちら忠嗣さんが偶然入手した本から敷衍ふえんして掘り下げると言うか、命の問題に光を当ててみたいと思うんだよね」


 遂に秘蔵の演題が檜舞台に躍り出た。進行役が手に持つ英語の小冊子が懐かしくも思え、忠嗣は感慨を深くした。すっかり忘れていたが、禁書庫にあったとは言え、帝國圖書館の蔵書だ。永らく外部に貸し出して良いものではない。


 発行元は倫敦ロンドンに拠点を置くイグジットなる集団。執筆者の独りであるアーサア・ケストラア*については、図書館目録室の下請けも調べが附かず、謎のまま。醫學や倫理學の専門書ではなく、政治的な主張も散見されるところが、若干気に懸かる。


「折角だから、発掘者の忠嗣さん、ここはひとつ前口上を頼むよ」


 唐突に依頼された。翻訳作業の折に概要を纏め、屁理屈も突飛な理論も案じたが、だいぶ日数が経ち、八割方失念している。演説の経験はなく、學生の時分も成果の発表で緊張の余り粗相した苦い記憶しかない。


 それでも忠嗣は、ここが見せ場と意気込み、己が興味を抱いた小冊子の序文の一節を引用し、説き始めた。


「人間は動物と違って二つの死を与えられていると彼らは主張します。本能的な死の恐怖とは別に、人は臨終の際に強い不安にさいなまれる。ほかの生き物にはない死への絶え間い恐怖心。予期される最期。終局がひたひたと迫り来る往生際、それこそが二つ目の死です」


 手際良く説明できる自信はなかったが、二つの死は忠嗣にとっては印象的な部分だった。継続する死への不安は、動物が持ち得ない感情で、執筆者はそれを生物学的ハンディキャップと言い表す。


「死に対する強い不安は、絶命した瞬間に自分の存在が失われるという恐怖に直結して、これも動物にはない。自らの死後も世界が引き続く。その確信は孤独感、絶望感にも繋がり、臨終の際に色濃くなり、藻掻き苦しむ。自分だけが無になるのです」


「何となく解るけど、そんな恐怖心を和らげるのが宗教とちゃいますのん」


 櫻子さくらこの指摘は想定の範囲内だった。執筆者も信仰心がもたらす効果、死の恐怖からの解放を心得ている。しかし、説法や天国の概念で解決しない程に臨終の際の不安感は強く、期間を短くする手助けが必要だと主張する。その具体的な方策が安樂死だ。


「宗教的な考え方から離れたほうが良いね。観念ではなく、技術なんだよ」


 耿之介は一家言いっかげんあるようだった。何時いつにもして思わせ振りな口調である。



<注釈>

*アーサア・ケストラア=思想家・批評家アーサー・ケストラーは、病床にあった一九八三年、妻と心中する。睡眠薬の過剰摂取による事実上の安楽死だった。

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