72七話『假死状態で微睡む安樂死の議論』

「安樂死、ユウサネイジアという言葉の創始者は英國の哲学者フランシス・ベエコンだね。同じ十六世紀の小説、有名な『ユウトピア』にも似た死の技術が描かれて推奨される。昔は安死術や慈悲死などと様々な呼び方をした」


 進行役の独壇場といった雰囲気に、前口上を終えた忠嗣は安堵する。通常なら冒頭で神話や伝承を絡めるのが、耿之介の話術だが、今宵は違った。


 在位三十年で自動的に殺される古代埃及王こだいエジプトおうの逸話や姥捨うばすて伝説を全くの無関係と切って捨てる。これは現代的で切実な命題を含むと言うのだ。


「老も若いも関係なく、不治の病いに冒された人の死期を早めるという意味でしょうか」


 難解な演題に違いなかったが、與重郎は関心があるらしく手帖に単語を書き込むさまも見られた。


「そうだね。施術するのは醫師であって、僧侶でも牧師でも首斬り役人でもない。だから、難しい」


 旧幕時代には安樂死とも表現できる処置が蔓延はびこったが、名醫と謳われた杉田成卿すぎた・せいけいが強硬に反対した。およそ醫師の責務は患者の生命を保持することで、重病人が幸か不幸か、心根は関知するところに非ず……


「どんな末期患者でも、死は未来のことで確定していない。それも科學的な考えだよね。けれど実際の醫療の現場で用いられるモルヒネ投与は、安樂死に近い。痛みを緩和させることは正しいとされる」


「患者に安らぎを与えるのも醫師の役割じゃないかな。毒薬を盛るのとは事情が違うし、善意に出発している。状況は蒲團ふとんの上と随分違うけど、戦場では常に選択肢としてあるな」


 小耳に挟んだ話だ、と少佐は慎重に付け加えた。と或る悲惨な戦場、木立の中に敵の落とし穴が複数設置されていたという。単なる穴ぼこではない。底には尖端の鋭い幾本もの竹の枝。墜落した兵士は串刺しになる。


 大量の出血。竹を抜こうとするとが肉に食い込み激痛が走る。兵士は絶叫し、観念して殺してくれと願う。痛い痛いと嗚咽する。僚友は慈悲心から心臓を撃ち抜き、合掌した……


 少佐は最後にもう一度、聞いた話だ、と呟いた。  


「根底に善意があるから、議論がややこしくなる。小冊子の『イグジツト』も徹底した善意で、悪意は欠片もない。立法措置を含め、吾々われわれは熟考し、突き詰めないといけない」


 そう言って耿之介はおもむろに一冊の古い圓本えんぼんを取り出した。森鴎外の短編集『高瀬舟』である。


 自殺を図った弟のくびから剃刀を抜き、救おうとした兄が下手人と間違われ、遠島えんとうに処せられる物語。読者に複雑な感情を抱かせる傑作だ。


「かの文豪は非常に珍しく解題を発表しているんだ。それが『高瀬舟縁起』。鴎外翁は、死に瀕して苦しむ者が居れば早く死なせてあげたいという情が必ず起こる、と記す。慎重な言い回しで決して薦めている訳じゃない」


 文豪はユウタナジイと訳し、楽に死なせる意味だと説く。肯定も否定もしない。一篇の小説をしたため、更に解説でも読者に問い掛けるのだ。そして銀髪紳士が着目したのは、同解題の中段にある一文だった。


──從來じゅうらいの道德は苦しませておけと命じてゐる。しかし醫學社會には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあつたら、樂に死なせて、其苦そのくを救つて遣るが好いと云ふのである*


「古い道徳は安樂死を容認しない。だけど、醫學界では旧弊をあらためて認める意見もあると言うんだよね。少佐、『高瀬舟』って何時頃の作品だっけ」


「晩年だね。我が軍の軍医総監から退く時分で、大正五年前後かな」

 

廾三にじゅうさん年前に当たるのか。この間、醫學界では如何なる議論の進捗があったのだろうか、寡聞にして存じ上げない。私には放置されたまま、全く前進していないように見えるんだ」


 耿之介が話に絡めて世相を批判することは実に稀だった。個人的な趣味の領域を越えた倫理的な問題である。宗教観や道徳観に捉われず、有識者はすべからく真摯に考察すべきと訴えるが、若輩者には遠い将来の事柄とあってか、會の討論も白熱せずに幕を降ろした。


 安樂死の議題を提起した当の忠嗣も結論が見当たらず、やや不満を残す一夜となった。


「おお、びっくりしたな」


 円卓を隅に運んで書肆の外に出ると、長躯の異邦人が立っていた。闇夜でも鮮やかな紅髪、そしてネオン管の如き碧眼。梅雨入りの頃に見掛けた人物で、どうやら金曜會が終わるのを通りで待ち侘びていた模様だ。


 肩から下げるは、満杯といった具合の布鞄。その異彩を放つ男は金満の顧客ではなく、稀覯品きこうひんを取り扱う行商人と聞いた。不夜城が色付き、宴が盛り上がる時刻、花柳街で粋に遊び、ふらりと立ち寄ったようには見えない。


 與重郎と耿之介が挨拶し、書肆に招き入れる。古参の常得意じょうとくいも知り合いだったらしく、驚きつつも軽く二言三言、日本語で言葉を交わす。鞄の中から珍品が飛び出して、何やら面白い余興が始まりそうな予感もあったが、忠嗣が介入するいとまもなく、黒檀こくたんの扉は閉められた。


「まあ、外国人のお客さんもいらっしゃるとは、存じ上げませんでしたわ」


 須磨子はそう言って閉ざされた扉を凝視する。今宵の會では発言の機会も少なかったが、存在感は際立っていた。真新しい偽眼は潤いも帯び、造り笑いさえも本物と見紛う。


 帰り際もにこやかで、忠嗣は自動車で送ってくれるものと直感し、なく村風號むらさめごうに近寄ったものの、臙脂えんじの扉は無慈悲にも閉められ、早々に走り去った。


 取り残されて、夜も更けて、排気瓦斯はいきガスに心も噎ぶ。



<注釈>

*『高瀬舟縁起』の一節。底本は新潮文庫『山椒大夫・高瀬舟』(昭和二十四年刊)


<参考図書>

山名正太郎『安樂死』(弘文堂アテネ文庫:昭和二十六年刊)

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