70五話『銀河が降り注ぐ天象儀の幻影空間』
「こりゃ涼しくて、ええわ」
外見から窺い知れる通り、半球形の不思議な天井、
「櫻子さん、明るいうちに撮影するなら眼の前の物だよ。その寫眞機と同じ
巨大な蟻ん子が天文舘の心臓部だという。臀と頭に当たる膨らみが
「本日は、当天文舘、星の劇場に御越し頂きまして、有り難う御座います」
物干し竿染みた長い指し棒を持った弁士が現れた。星座や何やらを色々と解説する
「これ、首が疲れるかもな」
「そうそう、椅子は傾けられるんだ。こうしてね。ほら、簡単」
座席の
「今月のプラネタリウムの話題は、夏の星座と天の河、そしてゾディアックこと
先ず、一番星が煌めき、
頭上に浮かび上がった満点の星空は、想像以上に荘厳で、
「この三つの輝ける星は、右上から時計回りに琴座、鷲座、白鳥座を示します」
活動弁士顔負けの名調子。それに蓄音機から流れる音楽が上手く重なる。静かな曲は、前に書肆の上映会で聴いたチャイコフスキヰか。星の劇場という口上に偽りはなく、見るもの全てが珍しい。
解説がひと段落済むと、不意に流星が端から端へと横断し、再び歓声が上がった。投影機の絡繰りは不明だが、演出も凝っていて観衆を飽きさせない。二流三流の喜劇映畫を観るより手応えがあり、人気を博すのも頷ける。
天文舘の宣伝事業に携わる耿之介は、星の運行に添って流す音樂も凝りに凝ったと自慢する。続いて奏でられたピアノ曲は、エリック・サティという
「あ、あれ知ってますか。南十字星ですよ」
隣の美少年が話し掛けて来た。天の河を辿って、投影機はくるりと翻って臀を頭に変え、南半球の星々を映し出す。壮麗で幻想的なれど館内の雰囲気は堅苦しくなく、私語も多かった。団体らしき學童が叫んだり笑ったり、
「南十字星の左下にある真っ黒の部分が、コールサックネブラ、暗黒星雲で御座います」
序盤は児童向けとも思えたが、途中から解説も難解になり、後半は最高學府で教わるような専門用語も飛び交った。忠嗣はうとうとし、照明が戻る直前になって目醒めた。一方、與重郎は釘付けだったようで、絶賛して止まない。
「お終いの辺りも面白かったですよ。勉強になりました」
上映時間は
「子供は眠たくなるだろうけど、最近は高度な知識も率先して披露するように変わりつつあるんだ」
耿之介によると毎月繰り返し訪れる愛好家も多いという。東日天文舘の観客同士が親睦会を結成し、中には義捐金を支払う金持ちも居て、今や存在感を逞しくしていると話す。常連を満足させる工夫も大切で、また最新式の投影機はその要求に応えることが可能だった。
「もう一度、否、繰り返し来たいなあ。銀河に浮かんで漂っているかのような不思議な気持ちになりました。館内の昏い感じも抜群です」
「おやおや、これは愛好家が
会話を弾ませつつ、驛舎の煉瓦前に着くと、少佐がここで
この後、一同で銀座のパーラーに繰り出す予定だったが、圓タクを止めて飛び乗る。
「仕事なのかな。こんな、お盆の時期に」
忠嗣は呆気に取られて見送った。民間の企業は押し並べて連休のはずである。掲示板は府内の赤痢患者増加等を伝えていた。少佐は衛生関連の業務に携わる公僕なのか。
「海の男じゃないにせよ、陸軍さんも月月火水木金金ですからね」
美少年はそう笑ってから、酷く決まりが悪そうな貌をした。今、車で走り去った中年男。驚くことに少佐は本物の少佐だった。軍隊の階級、肩書きがそのまま金曜會での愛称に横滑りしたという。
しかし海軍は別にして、陸軍の軍人は一兵卒から御歴々まで揃って角刈りのはずである。少佐はそこら辺の勤め人よりも襟足も長く、一見すると
「帝都の真ん中で真っ昼間に言う話じゃない。いや、これ内緒なんだけどね。少し変わった隠密の部署なんだよ」
少佐の正体は、陸軍参謀本部の情報将校。士官学校を優秀な成績で卒業した本格派だった。昨年は列島と大陸の間を忙しく往復していたが、最近は極秘任務から離れて
「それ、大きな声で言うたらあかんわ」
御河童頭も
<参考図書>
瀬名秀明『虹の天象儀』(祥伝社文庫)
織田作之助『わが町』(青空文庫)
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