67二話『新参の女は苛立ち、語気を荒げて迫った』

 奇妙な砂時計が発掘された蔵には、墨西哥メキシコマヤ文明の遺物も含まれていたという。装身具などの遺物は大學で検品され、晴れて博物館入となった。本物の貴重な文化財だが、時計との関連は不明だ。


 抑々そもそも、マヤ文明の終焉は十七世紀で、硝子細工とは無縁。二つを結び付けるのは牽強付会も甚だしいが、特に気に留める必要はない。本流から支流に大きく飛躍させ、一同を煙に巻くのが金曜會の流儀である。

 

「日曜に休んで、月曜日に学校に行くのが時折、辛い。身体がだるい訳でもないのに、別の何かの調子が狂うような感覚。皆さんもお勤め等で感じたことはありませんか」


 帝國圖書館は日曜も出勤日で、月曜日に特別な思いはないが、学生時代を回顧すると、忠嗣にもその感覚は多少理解できた。しかし、それがマヤ文明、いては砂時計と何の関連があるのやら。


「分かるわ。女學校の時、毎度月曜が少し憂鬱になったもんや。それと日曜日だけ時間の進み方が速くって、あっと言う前に過ぎてしまう」  


 寫眞家の御河童頭おかっぱあたまは基本、自由人で今や曜日の感覚は薄いと自己紹介する。會の面々の中で、美少年に同調したのは彼女だけだった。


「んん、何の話だ。退屈な時間は長く、夢中になっている際は束の間に感じるってのは、まあ、当たり前というか、ベルグソン*哲学の持続だな。内的時間。感覚の中では伸縮自在で少しも絶対的じゃない」


 似非藝術家は眉根を寄せた。少佐の渡世に関しては未だに謎だが、勤め人風ではない。会話の流れが哲學方面に傾き掛けたが、美少年は斟酌せず、持論を述べる。やや進行が強引だが、話し振りは愉快そうだ。


「マヤ文明では天文学が異様に発達し、古代に独自の暦を生み出しました。太陽暦に近く、精度が高い。これをマヤンカレンダアと言います。曜日の概念は特殊なんですが、マヤ文明の研究者が面白い指摘をしているんです。本邦を含め、各国が採用する一週間に問題がある、と」


「どういうことかな」


 忠嗣も少佐も首を捻った。話はマヤ文明から大幅に逸れ、一週間を七日と決めたことに大きな支障があると説く。七日に一度の休日は、創世記の世界創造で、六日間の仕事の後、七日目に休んだという故事に由来する。

 

「時間の区切りは太古メソポタミアの時代から、六を区切りにして来ました。六で分割され、六の倍数で構成されます。一秒が六十連なって一分、それが六十で一時間。一日の二十四時間も六の倍数です」


 一年は十二箇月。干支は十二年で一周し、その六回で人は還暦を迎える。生活習慣のみならず、人間は六に支配され、一生を過ごす。砂時計の小さな粒から話が急に壮大になった。


「ですが、一週間だけが七なのです。六刻みで暮らす中、実に突拍子で、身体の感覚が付いて行けません。だから、月曜日に違和感を覚えてしまうんです」  


 一週間を六日にすれば諸問題は解決する、と與重郎は大見得を切った。歌舞伎座の千両役者、妖艶な女形のように小粋だが、それは幕切れの合図でもある。会話は滞り、議論が進まぬ。


 忠嗣は暗算に苦慮し、少佐は手帖てちょうを引っ張り出して計算式を書き出す。週を六日、ひと月を六週間にすると今度は一年が十箇月相当になる。


「全部が六の倍数って具合には行かないな。ひと月の四週間も六とは関係ないし」


「割り切らなきゃ駄目な部分もあります。曜日の削減も現実的ではない。そこで僕は、櫻子さんが指摘した休日の時間が速く進む現象に注目し、週休を二日に増やし、擬似的に、体感的に週六日制にすることを提案します」


「それは、自分が学校休みたいだけじゃないのか」


 漸く笑いが起こった。耿之介が進行役を務める通常の會は、御河童頭が茶々を入れ、忠嗣も道化役を演じるが、今宵は状況が異なり、笑いの量が少なかったのだ。論文を発表する真面目な學徒風の美少年。かれを揶揄うことなど出来ぬ。

 

 銀髪の紳士が葉巻を取り出すと、少佐も釣られて一服した。急に潤いが戻った感じである。だが、その中で造り笑顔も浮かべず、沈鬱な、思い詰めたかのような表情で畏まる女が独り居た。顧みれば、冒頭から須磨子は神妙だった。


「通学も叶わない可哀相な児童もりましょう。日がな一日、自宅で暮らさざるを得ない。あのう、わたくし、この前から千鶴ちづるちゃんのことが気になって、気が滅入って仕方がありませんの」


 話の腰を折るといった生易しいものではない。無闇矢鱈、唐突で、場を弁えないにも程がある。職場の先輩は、暴走する後輩に驚き、言動に憤り、監督する立場ではないにせよ、責任を痛感した。


「え、ああ、千鶴ですか。心配して頂くのは有り難いのですが……その、先だっては大変、御迷惑をお掛け致しました」


「迷惑なことなど少しも御座あません。酷く気懸りでいたわしく、こうして、わたくし共がカフェを嗜む間も、孤り淋しく昏い地下牢で過ごされていると思うと、どうにも居た堪れませんの」


 新参者の女が妹君を心配し、深く気に留めていることは確かだ。忠嗣は禁書庫で熱い胸の裡を吐露した姿に接し、詳しく知る。但し、話しながらハンケチを出し、まなじりにそっと添える所作は大仰で、芝居掛かった印象も拭えない。


 永患ながわずらいで辛い思いをしているのは兄の與重郎も同じだ。公の場で渠を追い込むような発言は慎まねばならない。先輩司書はいさめようと決意したものの、適切な言葉が見当たらず、耿之介もまた珍しく思案顔だ。


「妹が控えますのは指籠さしこです。真っ暗な地下牢などではなく……」


 地下牢という単語に敏感に反応したようでもある。美少年は蛾眉がびを曲げて泣き女をみつめ、一拍二泊措き、毅然たる口調で言った。


「隠す心算つもりは毛頭なかったのです。なれば……ええ、不都合が生じるかも知れませんが、貴女あなたを御案内致しましょう」


 ダンスに誘う仕草を真似て、與重郎は掌を優しく差し伸べた。妹君の個室であり、野郎の立ち入りは自ずと憚られる。須磨子を独り指名して誘ったに違いないが、渠が席を立つと、一同が揃って起立した。 



<注釈>

*ベルグソン=仏人哲学者アンリ・ベルクソンのこと。サルトルなど後の実存主義に大きな影響を与えた。一九二七年にノーベル文学賞を受賞。

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