67二話『新参の女は苛立ち、語気を荒げて迫った』
奇妙な砂時計が発掘された蔵には、
「日曜に休んで、月曜日に学校に行くのが時折、辛い。身体が
帝國圖書館は日曜も出勤日で、月曜日に特別な思いはないが、学生時代を回顧すると、忠嗣にもその感覚は多少理解できた。しかし、それがマヤ文明、
「分かるわ。女學校の時、毎度月曜が少し憂鬱になったもんや。それと日曜日だけ時間の進み方が速くって、あっと言う前に過ぎてしまう」
寫眞家の
「んん、何の話だ。退屈な時間は長く、夢中になっている際は束の間に感じるってのは、まあ、当たり前というか、ベルグソン*哲学の持続だな。内的時間。感覚の中では伸縮自在で少しも絶対的じゃない」
似非藝術家は眉根を寄せた。少佐の渡世に関しては未だに謎だが、勤め人風ではない。会話の流れが哲學方面に傾き掛けたが、美少年は斟酌せず、持論を述べる。やや進行が強引だが、話し振りは愉快そうだ。
「マヤ文明では天文学が異様に発達し、古代に独自の暦を生み出しました。太陽暦に近く、精度が高い。これをマヤンカレンダアと言います。曜日の概念は特殊なんですが、マヤ文明の研究者が面白い指摘をしているんです。本邦を含め、各国が採用する一週間に問題がある、と」
「どういうことかな」
忠嗣も少佐も首を捻った。話はマヤ文明から大幅に逸れ、一週間を七日と決めたことに大きな支障があると説く。七日に一度の休日は、創世記の世界創造で、六日間の仕事の後、七日目に休んだという故事に由来する。
「時間の区切りは太古メソポタミアの時代から、六を区切りにして来ました。六で分割され、六の倍数で構成されます。一秒が六十連なって一分、それが六十で一時間。一日の二十四時間も六の倍数です」
一年は十二箇月。干支は十二年で一周し、その六回で人は還暦を迎える。生活習慣のみならず、人間は六に支配され、一生を過ごす。砂時計の小さな粒から話が急に壮大になった。
「ですが、一週間だけが七なのです。六刻みで暮らす中、実に突拍子で、身体の感覚が付いて行けません。だから、月曜日に違和感を覚えてしまうんです」
一週間を六日にすれば諸問題は解決する、と與重郎は大見得を切った。歌舞伎座の千両役者、妖艶な女形のように小粋だが、それは幕切れの合図でもある。会話は滞り、議論が進まぬ。
忠嗣は暗算に苦慮し、少佐は
「全部が六の倍数って具合には行かないな。ひと月の四週間も六とは関係ないし」
「割り切らなきゃ駄目な部分もあります。曜日の削減も現実的ではない。そこで僕は、櫻子さんが指摘した休日の時間が速く進む現象に注目し、週休を二日に増やし、擬似的に、体感的に週六日制にすることを提案します」
「それは、自分が学校休みたいだけじゃないのか」
漸く笑いが起こった。耿之介が進行役を務める通常の會は、御河童頭が茶々を入れ、忠嗣も道化役を演じるが、今宵は状況が異なり、笑いの量が少なかったのだ。論文を発表する真面目な學徒風の美少年。
銀髪の紳士が葉巻を取り出すと、少佐も釣られて一服した。急に潤いが戻った感じである。だが、その中で造り笑顔も浮かべず、沈鬱な、思い詰めたかのような表情で畏まる女が独り居た。顧みれば、冒頭から須磨子は神妙だった。
「通学も叶わない可哀相な児童も
話の腰を折るといった生易しいものではない。無闇矢鱈、唐突で、場を弁えないにも程がある。職場の先輩は、暴走する後輩に驚き、言動に憤り、監督する立場ではないにせよ、責任を痛感した。
「え、ああ、千鶴ですか。心配して頂くのは有り難いのですが……その、先だっては大変、御迷惑をお掛け致しました」
「迷惑なことなど少しも御座あません。酷く気懸りで
新参者の女が妹君を心配し、深く気に留めていることは確かだ。忠嗣は禁書庫で熱い胸の裡を吐露した姿に接し、詳しく知る。但し、話しながらハンケチを出し、
「妹が控えますのは
地下牢という単語に敏感に反応したようでもある。美少年は
「隠す
ダンスに誘う仕草を真似て、與重郎は掌を優しく差し伸べた。妹君の個室であり、野郎の立ち入りは自ずと憚られる。須磨子を独り指名して誘ったに違いないが、渠が席を立つと、一同が揃って起立した。
<注釈>
*ベルグソン=仏人哲学者アンリ・ベルクソンのこと。サルトルなど後の実存主義に大きな影響を与えた。一九二七年にノーベル文学賞を受賞。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます