第八章〜限りある銀河に南十字星が夢を象る〜

66一話『美少年の砂時計が束の間の時を刻む』

 此度こたびの金曜會は愈々いよいよ安樂死が題目になると確信し、忠嗣ただつぐは関連の資料を読み込み、少なからず緊張を胸に臨んだが、またしても梯子を外された。ながらく放置された挙句に葬り去られる予感もする。


「少し店内を明るくしようかな。今日は然程さほど、素材がないのですが、このまま始めて宜しいでしょうか」


 仄暗さを伴う演題など葬られるが良い。今宵の會は珍しくも杜若與重郎かきつばた・よじゅうろうが進行役を務めるとしらされ、忠嗣は満足した。


 始終、かれかおや腰回りを眺めていても不自然ではない。遺憾なく拝み倒し、堪能する所存である。 


「当書肆の売り物の中で最も値付けが困る骨董品なんです」


 化粧函から恭しく取り出すでもなく、やや粗雑に並べた。ほぼ同一の物がふたつ。室内燈がくらくとも一瞥で判る。砂時計だ。四本の柱の内側に瓢箪ひょうたんのような、一対の洋梨にも似た硝子細工。見慣れた定型と称して良く、外見に変哲は見当たらない。


「それ、中に入っている砂が妙だとか、そんな代物かい」


 少佐は内容物に特徴があると推理したが、進行役の美少年は何処にでもある砂に違いないと説く。硝子部分に開閉する蓋はなく、内部の砂を抜き出すことも新たに追加することも不可能。故に、奇妙なのだと語った。


にする前に、耿之介さん、腕時計を貸して貰えますか」


「お安い御用。私のじゃないと駄目なんだっけかな」


 垣澤耿之介かきざわ・こうのすけは素早く腕時計を外し、円卓の中央に据えた。金縁の如何にも上等な腕時計。舶来品ではなく、製造元は精工舎せいこうしゃ*だ。大きな二つの針に加え、細い秒針がと忙しなく働く。


「じゃあ、腕時計の秒針が天辺てっぺんに来たところでにしますので、見ていて下さいね」


 十数秒ほど待って、裏返す。白い砂は滞りなく、瓢箪のくびれを通じ、零れ墜つる。二つとも同じ量の砂が入っているようだ。


「繋ぎ目の細い部分はオリフイスと呼ばれます。希臘ギリシヤ羅馬ローマの神様みたいですが、関係ありません。あなという意味です。また、蜂の腰とも言われます。分かり易い比喩ですよね。いや、そこではなく、腕時計の秒針に着目して下さい」


 天辺から動きまわった細い針は、元に還る。それと同時に蜂の腰に溜まった白砂は最後のひと粒が零れて尽きた。同じ分量の砂時計が一対。いずれも六十秒を計測する仕様だ。


「丁度、一分や。これ、そない珍しいものとは違うんとちゃいます」


 不満があるのではない。独特の言い回し、切り回しで、それが話を展開させる永池櫻子ながいけ・さくらこの役割でもある。隣席の九鬼須磨子くき・すまこしたる関心がないのか、針の進み具合を眼で追っている風でもなかった。


「一分計、五分計と呼ばれる砂時計もあります。けれども、それらは最近の商品なんですね。こちらの二つは、木枠の古さから察せられる通りの年代物で、旧幕時代に異邦から持ち込まれたものと見られます」


 確証はない。しかし、同じ蔵から発見された古道具から推定すると、明和か宝暦年間、或いはそれ以前の輸入品に間違いないという。西紀せいきに置換すると十八世紀中葉か。


「偶然とも言えないんだよね。二つの砂時計が全く同じだし。それに良く見て欲しいのが、硝子の膨らみ、蜂の腰だっけか、中程に傷のような彫り込みがある。これがぴたりと卅秒さんじゅうびょうを刻んでいるんだ」


 耿之介が割って入った。今宵の演目も矢張り、予備段階で智慧を授け、一定の筋書きを認めているようだ。そうした下準備はともあれ、秒刻みの砂時計の奈辺なへんが奇妙なのか、忠嗣には判らない。

 

「一分の砂時計って使い勝手が悪いような。もっと長い時間の計測。ほら、大航海時代に提督のが何個も船に並べて半日の進み具合を確かめたとか」


「マゼランな」


 少佐に訂正された。笑いどころと見て、差し込んだ軽口だが、誰も気付かない。

 

「そうなんです。忠嗣さん、好都合の指摘です」


 美少年に褒められた。期ぜずして話を大きく前進させる航海長の役回りを果たしたようで、胸が躍る。順風満帆。ほばしらも高くそそり勃つ。


「短い時間の計測は近代のものなんです。秒針の付いた機械式の大時計が中世に存在したという説もありますが、精度は不明で、実際に何の役に立ったか想像も出来ません。古典をひもとく限り、秒は愚か、一分いっぷんの概念も確立されていなかったんです」


 旧幕時代の一辰刻いちしんこくは今の二時間。四半刻が卅分さんじゅっぷんで、更に細かく寸や分が用いられた形跡もあるが、一般的ではなかった。してや秒が町人の暮らしに関わることなどなく、近世に於いても運動競技の隆盛を待たねばならなかった。


 書生服の美少年は足許のはこから古道具を取り出して、円卓に据える。江戸の商人が愛用したという尺時計しゃくとけいだ。


 簡素な機械部分が壊れておもりが垂れず、用を成さない骨董品だが、時の刻みを見て欲しいと訴える。極めて単純、日の出から日の入りまでの六分割で、勿論、分や秒の単位はない。


「他方、この手許の砂時計が一分、卅秒を伝えていることは奇跡でしょう。時代的に有り得ない。それでも全くの偶然だという可能性は排除できず、故に売り物として値段を付けるのに苦労するのです。見てれは変わり映えのしない砂時計ですし」


「確かに悩めるところだな。誰かが最近になって丁度一分と気付き、後から半分の印を彫ったかも知れない。難しいな」


「左様です。偶然の一致と片付けるのも容易い」


 少佐の指摘にかれは深く頷き、砂時計を脇にると、大判の本を掲げた。しおりを挟んだ頁には西洋の絵畫かいが。『善政の寓意』と題された十四世紀伊太利亞のフレスコで、右端の女性が四本柱の砂時計を手にしている。


 砂時計の存在を記す最古の証明というが、忠嗣には女性の手よりも美少年の白魚の如き繊細にして可憐な指が気になった。そして、絵畫は話の流れとは無関係だったと謝る。段取りを少々間違えたようだ。相変わらず、若干の粗忽者で、羞じらう姿がまた尊い。 


「それでも手許の砂時計は、江戸期に秒の概念があったひとつの証明に成り得るとも思うんです。偶然かも知れません。だけど、誰かが卅秒を計測する必要に迫られていたと想像すると面白い。で、あれ、次は何だっけかな」


「マヤ文明の護謨ゴムボオルと装飾品で、そこから暦の話だな」


 耿之介が素早く助け舟を出した。裏にある台本を隠さないところが良い。



<注釈>

*精工舎=服部時計店(現セイコー)の製造部門。戦前期の腕時計には「SEIKO」のほか「SEIKOSHA」「精工舎」などブランド名が記される。

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