第八章〜限りある銀河に南十字星が夢を象る〜
66一話『美少年の砂時計が束の間の時を刻む』
「少し店内を明るくしようかな。今日は
仄暗さを伴う演題など葬られるが良い。今宵の會は珍しくも
始終、
「当書肆の売り物の中で最も値付けが困る骨董品なんです」
化粧函から恭しく取り出すでもなく、やや粗雑に並べた。ほぼ同一の物がふたつ。室内燈が
「それ、中に入っている砂が妙だとか、そんな代物かい」
少佐は内容物に特徴があると推理したが、進行役の美少年は何処にでもある砂に違いないと説く。硝子部分に開閉する蓋はなく、内部の砂を抜き出すことも新たに追加することも不可能。故に、奇妙なのだと語った。
「さかしまにする前に、耿之介さん、腕時計を貸して貰えますか」
「お安い御用。私のじゃないと駄目なんだっけかな」
「じゃあ、腕時計の秒針が
十数秒ほど待って、裏返す。白い砂は滞りなく、瓢箪の
「繋ぎ目の細い部分はオリフイスと呼ばれます。
天辺から動き
「丁度、一分や。これ、そない珍しいものとは違うんとちゃいます」
不満があるのではない。独特の言い回し、切り回しで、それが話を展開させる
「一分計、五分計と呼ばれる砂時計もあります。けれども、それらは最近の商品なんですね。こちらの二つは、木枠の古さから察せられる通りの年代物で、旧幕時代に異邦から持ち込まれたものと見られます」
確証はない。しかし、同じ蔵から発見された古道具から推定すると、明和か宝暦年間、或いはそれ以前の輸入品に間違いないという。
「偶然とも言えないんだよね。二つの砂時計が全く同じだし。それに良く見て欲しいのが、硝子の膨らみ、蜂の腰だっけか、中程に傷のような彫り込みがある。これがぴたりと
耿之介が割って入った。今宵の演目も矢張り、予備段階で智慧を授け、一定の筋書きを認めているようだ。そうした下準備はともあれ、秒刻みの砂時計の
「一分の砂時計って使い勝手が悪いような。もっと長い時間の計測。ほら、大航海時代に提督のマラゼンが何個も船に並べて半日の進み具合を確かめたとか」
「マゼランな」
少佐に訂正された。笑いどころと見て、差し込んだ軽口だが、誰も気付かない。
「そうなんです。忠嗣さん、好都合の指摘です」
美少年に褒められた。期ぜずして話を大きく前進させる航海長の役回りを果たしたようで、胸が躍る。順風満帆。
「短い時間の計測は近代のものなんです。秒針の付いた機械式の大時計が中世に存在したという説もありますが、精度は不明で、実際に何の役に立ったか想像も出来ません。古典を
旧幕時代の
書生服の美少年は足許の
簡素な機械部分が壊れて
「他方、この手許の砂時計が一分、卅秒を伝えていることは奇跡でしょう。時代的に有り得ない。それでも全くの偶然だという可能性は排除できず、故に売り物として値段を付けるのに苦労するのです。見て
「確かに悩めるところだな。誰かが最近になって丁度一分と気付き、後から半分の印を彫ったかも知れない。難しいな」
「左様です。偶然の一致と片付けるのも容易い」
少佐の指摘に
砂時計の存在を記す最古の証明というが、忠嗣には女性の手よりも美少年の白魚の如き繊細にして可憐な指が気になった。そして、絵畫は話の流れとは無関係だったと謝る。段取りを少々間違えたようだ。相変わらず、若干の粗忽者で、羞じらう姿がまた尊い。
「それでも手許の砂時計は、江戸期に秒の概念があったひとつの証明に成り得るとも思うんです。偶然かも知れません。だけど、誰かが卅秒を計測する必要に迫られていたと想像すると面白い。で、あれ、次は何だっけかな」
「マヤ文明の
耿之介が素早く助け舟を出した。裏にある台本を隠さないところが良い。
<注釈>
*精工舎=服部時計店(現セイコー)の製造部門。戦前期の腕時計には「SEIKO」のほか「SEIKOSHA」「精工舎」などブランド名が記される。
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