65七話『狐憑きに違いない、と偽眼の淑女は言った』
俄かに会話が滞ったところで、忠嗣は閃いた。後輩書記が象徴的に用いる肉慾という言葉が鍵を握る。乙女雑誌と小説の課題図書は、彼女の趣味趣向を示すものに非ず、肉慾に塗れた勃起男に与えられた教科書だったと理解した。言わば純愛のすゝめ、純愛の哲学。そこに
「男同士であっても擬似姉妹のように貞淑にして貞節を守れ、と呼び掛けているような、いないような……」
「
「そんなこと言ったっけかな」
掴み処のない、
「私生活は苦渋に満ちています。考えても見て下さい。妹の千鶴ちゃんは常に見張りが必要なくらい深刻な病状で、気が安らぐ暇も僅かと存じます」
的確な指摘である。繰り返すメランコリイとマニイ。鬱の状態は知らねども、躁の折は対処が難しく、與重郎が実に丁寧に、脇眼も振らず、妹君を宥め
詰まり、
「御説、
忠嗣も妹君の
「御母様が亡くなられたのは、二年ほど前と伺いました。以来、
母親の不在は早い時期に忠嗣も耳にしていた。病没である。しかし、遥か昔と勝手に解釈し、二年ばかり前とは知らなかった。最近とも言える。
絶え間なく押し寄せる不幸と悲劇の
與重郎は陰翳を好み
何不自由なく、見目麗しく、誰しもが羨む境遇にあると思い込んでいたが、実相は異なった。
忠嗣は自らの視野の狭さに愕然とし、恥じ入る。
「九段富士見の屋敷には大叔母が控え、切り盛りしているとか。家庭内の具合に首を突っ込むのは余計な世話で無粋と思っていたが、手を差し伸べるとなれば、ある程度知っておく必要に迫られるな」
「二人居た女中も
自身の青山の邸宅と比較しての考察である。忠嗣には部屋の数に見合う下男下女の陣容など知りようもないが、佐清ただ独りという状況は不自然に思えた。先の金曜會の乱入騒ぎも、彼が外で修繕に励んでいたことが原因であったのだ。
大叔母は一度電話で声を聞いただけで、実際に会う機会は未だ巡って来ない。存在感も希薄だ。耿之介経由で何か知り得た事柄はないか、先輩は軽く探りを入れたが、後輩は全く関心がないようで、実に素っ気ない。
「優先すべき課題は、千鶴ちゃんです。難しい病いと聞きましたけれど、治らない病気ではないとも。本当に可愛らしい顔立ちのお嬢さんで、あのような可憐な少女に出会った経験は
紅茶のカツプを恭しく置き、仰々しく言った。微かな
須磨子の高尚なる趣味を思い起こすまでもない。対座する先輩司書が、あの書肆で革命的美少年と出会ったのと同様、後輩書記はそこで美少女と巡り逢ったのだ。
疑惑ではなく、告白。
「何処の女學校に籍を置くのか、訊いてみましたら、それが附属高女だと言うじゃありませんか。歳は少しばかり離れておりますものの、純粋な後輩です。幼稚園まで同じ」
附属高女とは、須磨子が卒業した東京女子高等師範学校の系列校で、幼稚園から一貫して通う生徒も多いという。
その透明感溢れる花園は、純潔にして清浄、
忠嗣は、妄想と理想が絡み合って築かれる擬似的なシスタアの意味を今一度、噛み締めた。刹那的な男色よりも時間的な奥行きがあり、そこに沈澱し、渦巻く情念はどろりとして重々しく思えてならない。
忘れた頃に届いた濃い味のカルピス。出前持ちの女給に眼も
言葉遣いや仕草は淑やかなれど、その実、色慾に溺れた不良娘と化している。忠嗣が及び腰になる中、彼女は最後に不穏な、柄に似合わぬことを口走った。
「千鶴ちゃんは
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