61三話『破瓜病の薄幸な妹君がゴヲレムを倒す』
乱れた髪は長く伸びて背中を覆い、濡れているのか、一部が岩海苔のように浴衣にへばり付く。娘の
細面に切れ長の双眸、蛾眉と高い鼻梁。生き写しだ。抱き合って肉薄する二つの貌は、まるで合わせ鏡の如し。
「どうして
妹君は千鶴と称するようだ。與重郎は顔面を引き攣らせながらも優しい口調で諭し、小さな肩を掴んで少し引き離す。眼と鼻の先に出現した異様な事態に忠嗣は、ただ驚き、椅子を引いて空間を設けることくらいしか出来なかった。
「怖くなどありません。
「はい、そうですね。そう致しましょう。でも、御見世では駄目ですよ。皆さんがいらっしゃいますので、ここでは控えましょうね」
美少年以外の面々は誰もが仰天した風で、言葉を喪って黙り込み、兄妹の会話と仕草を
「それでは御兄様も御一緒に。拍子に合わせて踊って下さいまし」
直観的に理解すれども、言葉に表すことは憚られた。頭の裡に思い描くことすら無礼に当たる。忠嗣は妹を見て、以前、金曜會で鑑賞した
解説は要らない。
暫しの沈黙を別の大きな
「
「そうか、佐清は裏で
「御兄様、離しません。佐清は演舞の準備をしましょう」
振り返った際、初めて忠嗣と視線が交叉した。兄貴と同じ彩りの瞳だったが、虚ろで、感情が乏しいようにも見えた。そして、再び
佐清は軍手を脱ぎ捨て、妹君の肩に優しく手を添えて引き剥がそうとするも、容易ではない。離れたかと思うと、直ぐに元に戻って密着する。
その中、須磨子だけは
「それでは千鶴女、私と一緒に舞いましょう。舞い上がりましょう」
佐清は兄妹諸共、鷲掴みにして持ち上げた。美少年の臀か太腿当たりに手を廻し、二人を担ぎ上げる。相当な
「あれまあ、宙に舞っているわ。愉快、愉快。蝶々みたい」
担ぐ男の強張った表情とは対照的に、妹君はけたけたと嗤い、両手をひらひらと泳がせる。太い腕に
また紫電が書肆を貫き、雷鳴が轟く。
烈しい雨音に包まれた居心地の悪い静寂だ。
「可哀相な子やねん」
ぽつりと
「入院治療をせず、この屋敷に暮らしているのかな」
「通院すら難しい。昨年までは医師が往診に来ていたが、見通しが芳しくなく、今では薬を処方されるだけだ」
陰々滅々たる面持ちで、耿之介は答えた。更に詳しく尋ねるべきか、忠嗣は戸惑い、そして取り止めた。状態の説明を受けたところで、一助となる智慧もなく、邪な好奇心に過ぎない。
再び、
「通院、往診と仰られますけれど、どういった御病気なのでしょうか。わたくし、とっても気に懸かりますの」
場の空気を読めない女が独り居た。世間知らずにも程がある。深窓の令嬢という種族は、病人や家族を
「
「破瓜って、あちらの破瓜ですか。殿方の居られる場所で気軽に使ってはならないように思えますけれども」
素っ頓狂な、裏返った声で須磨子が叫んだ。狼狽える後輩を笑い飛ばせない。先輩司書もその病名を初めて耳にし、少なからぬ衝撃を受けた。千鶴と呼ばれた妹君は、幼さの残る容姿から十代前半と見受けられるが、既に生娘ではないのか。
忠嗣は刹那、相手の男について思いを巡らせ、ふと浮かんだ與重郎の影を慌てて祓った。佐清はどうか。いや、彼は去勢されて紳士器官を喪っている。
「忠嗣はんも須磨子はんも、そない驚かんでも良いんやで。破瓜病っちゅうのは、どこぞの野郎に
「古い病名は誤解を招き易い。精神病理學的には躁鬱という。情操は愚か、気が重く沈み切って凡ゆる感情を失うメランコリイ。一方、酒乱のどんちゃんに似たマニイ。その両極端な状態が交互に現れる。さっきの
耿之介はあくまでも自分が知る限りの所見で、精神醫學に関して多大な興味があれど素人だと断った。會の面々の中では唯一、健やかだった頃の妹君を知る人物。病いの兆しが生じた頃から與重郎の相談を受け、最善を尽くしたものの、実りなく今日に至る、と
「まあ、何て可哀相なこと。適切な治療も薬もないのでしょうか」
須磨子は衝撃未だ醒めやらずといった口振りで、面相は怯えているようにも、
蒼白い光が書肆を貫く。やや間を措いて
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