53六話『古城に棲まう鋼鉄の処女は斯く語りき』

「何を言おうとしたんだっけか……」


 運転手と佐清すけきよの乱入で、演説も乱れた。司会役の銀髪紳士は、横道に逸れることも多々あるが、それも計算尽くで、枝葉末節から根本に一気に戻る見事な大技を決めることもある。但し、今回ばかりは流れに狂いが生じた模様だ。


「百姓娘が服一着で城に貰われるとか、そんな話でした」


處女しょじょの血が若返りに欠かせないとも」 


 與重郎と須磨子が相次いで助け舟を出した。堅物に違いない令嬢の口より飛び出したる不相応な単語。忠嗣は当惑しつつ、隣りに座る美少年の反応を窺ったものの、この書肆に於いては慣れたものなのか、少しも動じていない。


「そう、殺人という行為は一度犯すと歯止めが効かなくなるらしい。記録によれば惨殺された娘さんは六百人を上回った。想像を絶する数だよね」


「六十人じゃなく、六百……陸兵隊の小競り合いじゃなく、紛争の規模だ」


 少佐が絶句した。前に調べた岡山の鬼熊が卅人さんじゅうにんで、その二十倍に当たる。片方は一夜の惨事、もう片方は十数年に渡る悪行が積もり積もったもので、単純に比較は出来ないが、いずれにしても酸鼻さんびを極める。


「エルゼベエトは殺しを続けると同時に、効率を求めるようになった。より多くの血を浴槽に溜められるよう策を練るんだ。そこで登場したのが、この人形。後世、鉄の處女しょじょと名付けられる」


 耿之介は卓上にある黒ずんだ置物をいとおしそうに撫でた。露西亞ロシアの入れ子人形に似ていなくもないが、小太りで、瞥見する限り、人を模したものとは思えない。


「鉄の處女って聞いたことがあるな。たし獨逸ドイツで、ハンガリアもトランシルヴァニアも関係ないような」

 

さすが、少佐。色々と御存じですな。残念ながら実物は失われ、様々な伝承を頼りに獨逸で十九世紀に造られたんだ。ここにある小さな鉄の處女は、謂わば模造品の模造品。史上最悪の拷問器具で、ギヨティイヌのような優しさは欠片かけらもない」


 忠嗣は二回目に書肆を訪れた際に見た小型のギロチンを空想した。耿之介と初めて会った日、彼は模造品を前に珍妙な小噺を披露し、新参者を戸惑わせたものだ。拷問器具に並々ならぬ関心と愛着があるなどとは、その時、想いも寄らなかった。


佛蘭西フランス革命の斷頭臺だんとうだいと同じ趣向のものかな」


「そうそう、忠嗣さん、良く覚えておいでだ。同じ工房のたくみが造ったものかも知れない。ちょっとした仕掛けがあるんだよね、これ」


 耿之介は立ち上がり、一同がつぶさに観察できるよう覆い被さって人形を操作した。胴体から脚に掛けての部分が大きく左右に観音開きになる。見世の照明は上映会が終わっても暗く、内部はくらいままだった。 


「中には何もあらへんちゃいますのん」


 御河童頭おかっぱあたまがそう指摘すると、美少年はかさず会計卓からナショナルの懐中電燈を持ち寄り、胴体の奥に光を差した。内部は空洞。だが、観音開きの扉の内側におびただしい数の釘が突き出てている。


「釘の部分はスパイクと呼ばれるらしい。因みに鉄の處女は英語でアイロンメイデン。この中に人を押し込んで扉を閉じたら、どうなるか、言うまでもないよね。こっちが本物の串刺し公だ」


 頭も心臓も肺も、全身を隈なく刺されて即死である。拷問器具ではなく、処刑道具と呼ぶべき代物だ。


 喰い入るようにみつめる會の面々。その中には知らぬ男も居た。須磨子の運転手である。強い関心を抱いたのか、何時いつの間にやら接近し、人形を覗き込む。


「単なるはこじゃなく、人型ひとがたで顔があるのが面白いよね。但し、この模造品の元も誰かが伝説に基づいて意匠を凝らしたもので、実物は不明なままなんだ」


「それじゃ、獨逸の博物館だかに陳列されてるのも想像の産物ってことなのか」  

 

 少佐は少々残念そうに溜息を漏らす。検証可能な歴史資料、絵画はおろか文献もなく、残酷な神話が独り歩きしたに過ぎない。一連の口上が終わると模造品の模造品は語り部の手許を離れ、円卓を時計回りに巡り始めた。


 忠嗣が試しに持つと全て鉄製とあって重かったが、赤錆あかさびは色を塗って古風に見せ掛けたものであることが判明した。小型の斷頭臺は胡瓜きゅうりや長芋を切るのに便利だが、これは使い道がない。

 

「鉄の處女は、拷問への奇妙な憧れが形を成したもの。そう考えられて来たが、近年になって実在した可能性が高まった。鍵を握るのが伯爵夫人、エルゼベエト・バアトリだ」


 會の面々が興醒めしたところで、話が翻って本題に戻る。今宵の銀髪紳士は冴えているようだ。無難な進行に徹する司会役に留まらず、噺家や活動弁士に近い。何時になく情熱を滾らせ、指に挟んだ葉巻の存在も忘れている。


すっぽんみたいな女の研究者*が資料を渉猟し、奇妙な史実が浮かび上がった。当時の貴族は精巧な時計に夢中で、複雑な絡繰からくりを組み上げる時計師が尊ばれたと伝わる。エルゼベエトはその独りに接触し、大金を投じて造らせたんだ」


 血染めの伯爵夫人が特注したアイロンメイデンは、卓上を巡回する小さな模造品とは外見が大幅に異なるという。鋼鉄製だが肌色に塗られ、化粧のほか臓器が生々しく描かれていた。書肆から旅立った六腑五臓君こと人体解剖模型を思わせる風体。それが絡繰で動く。


 頸飾くびかざりの宝石が始動のボタンになっていて、押すと胴回りの観音開きの扉が開く。中には五寸釘ではなく、鋭い剣が数本。そして生贄を抱擁するようにして扉が閉じる。


「博物館にある創造の産物を越える精巧な殺人機械だ。しかし、造らせたは良いが、血糊で仕掛けが錆び、直ぐに動かなくなったらしい。血の企みは敢えなく頓挫したんだけど、そこに私は妙な真実味を感じ取るんだよね。失敗談はつくり話に思えない」


 勿論、実物も設計図も残っていない。それでも伯爵夫人が隣国の城で催された精密時計の展示会に赴いたことは確かなようだ。この殺人鬼の女は古城に軟禁されていたのではなく、華の都だった維納ウィーンに度々、訪れていた。


 彼女は田舎娘に飽き、より高貴な血を求めるようになった。そして維納で名の知れた女性歌手を八つ裂きしたことにより、悪行三昧が暴かれる。下された審判は、終身禁錮。手下は悉く処刑されたが、彼女は免れた。中世の驚くべき身分制度を物語る。


「牢で三年も生き永らえた。享年五十四。死の寸前に遺書をしたためることも許された。彼女の残忍な所業は広く知られ、都人みやこびとは、血塗れ伯爵夫人の二つ名を贈ったらしい。本当の吸血鬼伝説の始まりだね」


 終始、救いのない話だった。耐性のありそうな與重郎や少佐までもが暗澹とし、各自感想を述べ合う雰囲気もない。花柳街の書肆が、巴里パリグラン=ギニョヲル座と同じ恐怖劇場と化したようだ。


「アイロンメイデンという処刑器具については名前の由来が分かっていない。私は確信するんだけど、その中心には伯爵夫人エルゼベエトが立っている。加害者も膨大な犠牲者も皆一様に處女しょじょだった。そこに単なる犯罪を超える神秘性が溢れ出す」


 雨は大粒になり、路面やのきを烈しく打ち付ける。風も強く、隙間から吹き込んだのか、銀幕代わりの白い布が捲れた。



<注釈>

*女の研究者=シュルレアリスム運動に参加した仏の女流詩人ヴァランチーヌ・ペンローズのこと。バートリに関する詳細な評伝は一九六二年の出版で、物語当時は実在しない。


<参考図書>

澁澤龍彦『世界悪女物語』(河出文庫 昭和五十七年刊)

寺山修司『不思議図書館』(角川文庫 昭和五十九年刊)

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