53六話『古城に棲まう鋼鉄の処女は斯く語りき』
「何を言おうとしたんだっけか……」
運転手と
「百姓娘が服一着で城に貰われるとか、そんな話でした」
「
與重郎と須磨子が相次いで助け舟を出した。堅物に違いない令嬢の口より飛び出したる不相応な単語。忠嗣は当惑しつつ、隣りに座る美少年の反応を窺ったものの、この書肆に於いては慣れたものなのか、少しも動じていない。
「そう、殺人という行為は一度犯すと歯止めが効かなくなるらしい。記録によれば惨殺された娘さんは六百人を上回った。想像を絶する数だよね」
「六十人じゃなく、六百……陸兵隊の小競り合いじゃなく、紛争の規模だ」
少佐が絶句した。前に調べた岡山の鬼熊が
「エルゼベエトは殺しを続けると同時に、効率を求めるようになった。より多くの血を浴槽に溜められるよう策を練るんだ。そこで登場したのが、この人形。後世、鉄の
耿之介は卓上にある黒ずんだ置物を
「鉄の處女って聞いたことがあるな。
「
忠嗣は二回目に書肆を訪れた際に見た小型のギロチンを空想した。耿之介と初めて会った日、彼は模造品を前に珍妙な小噺を披露し、新参者を戸惑わせたものだ。拷問器具に並々ならぬ関心と愛着があるなどとは、その時、想いも寄らなかった。
「
「そうそう、忠嗣さん、良く覚えておいでだ。同じ工房の
耿之介は立ち上がり、一同が
「中には何もあらへんちゃいますのん」
「釘の部分はスパイクと呼ばれるらしい。因みに鉄の處女は英語でアイロンメイデン。この中に人を押し込んで扉を閉じたら、どうなるか、言うまでもないよね。こっちが本物の串刺し公だ」
頭も心臓も肺も、全身を隈なく刺されて即死である。拷問器具ではなく、処刑道具と呼ぶべき代物だ。
喰い入るように
「単なる
「それじゃ、獨逸の博物館だかに陳列されてるのも想像の産物ってことなのか」
少佐は少々残念そうに溜息を漏らす。検証可能な歴史資料、絵画はおろか文献もなく、残酷な神話が独り歩きしたに過ぎない。一連の口上が終わると模造品の模造品は語り部の手許を離れ、円卓を時計回りに巡り始めた。
忠嗣が試しに持つと全て鉄製とあって重かったが、
「鉄の處女は、拷問への奇妙な憧れが形を成したもの。そう考えられて来たが、近年になって実在した可能性が高まった。鍵を握るのが伯爵夫人、エルゼベエト・バアトリだ」
會の面々が興醒めしたところで、話が翻って本題に戻る。今宵の銀髪紳士は冴えているようだ。無難な進行に徹する司会役に留まらず、噺家や活動弁士に近い。何時になく情熱を滾らせ、指に挟んだ葉巻の存在も忘れている。
「
血染めの伯爵夫人が特注したアイロンメイデンは、卓上を巡回する小さな模造品とは外見が大幅に異なるという。鋼鉄製だが肌色に塗られ、化粧のほか臓器が生々しく描かれていた。書肆から旅立った六腑五臓君こと人体解剖模型を思わせる風体。それが絡繰で動く。
「博物館にある創造の産物を越える精巧な殺人機械だ。しかし、造らせたは良いが、血糊で仕掛けが錆び、直ぐに動かなくなったらしい。血の企みは敢えなく頓挫したんだけど、そこに私は妙な真実味を感じ取るんだよね。失敗談は
勿論、実物も設計図も残っていない。それでも伯爵夫人が隣国の城で催された精密時計の展示会に赴いたことは確かなようだ。この殺人鬼の女は古城に軟禁されていたのではなく、華の都だった
彼女は田舎娘に飽き、より高貴な血を求めるようになった。そして維納で名の知れた女性歌手を八つ裂きしたことにより、悪行三昧が暴かれる。下された審判は、終身禁錮。手下は悉く処刑されたが、彼女は免れた。中世の驚くべき身分制度を物語る。
「牢で三年も生き永らえた。享年五十四。死の寸前に遺書を
終始、救いのない話だった。耐性のありそうな與重郎や少佐までもが暗澹とし、各自感想を述べ合う雰囲気もない。花柳街の書肆が、
「アイロンメイデンという処刑器具については名前の由来が分かっていない。私は確信するんだけど、その中心には伯爵夫人エルゼベエトが立っている。加害者も膨大な犠牲者も皆一様に
雨は大粒になり、路面や
<注釈>
*女の研究者=シュルレアリスム運動に参加した仏の女流詩人ヴァランチーヌ・ペンローズのこと。バートリに関する詳細な評伝は一九六二年の出版で、物語当時は実在しない。
<参考図書>
澁澤龍彦『世界悪女物語』(河出文庫 昭和五十七年刊)
寺山修司『不思議図書館』(角川文庫 昭和五十九年刊)
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