51四話『吸血鬼伝説を凌駕する血染めの伯爵夫人』
「確かに古い時代に源があって、吸血鬼は狼男と似た部分が多い。ヴァンパイアのほかに
「
もう独りの女が訊ねた。席次は前回と同じく司会役の隣りで、不都合なことに先輩司書の真正面に位置する。
「実に良い質問だ」
耿之介は相変わらず、依怙贔屓する。下心が透けて見えるが、それは
「大航海時代に新大陸で血吸い蝙蝠が発見されたんだ。
黒死病の発生源とされる
「僕は蝙蝠を見たことがあります。四ツ谷界隈だったかな、宵の口の地面も建物も群青色に染まる頃、燕のように低く、大きな蝶々か蛾みたいに
美少年は希少な動物を目撃したかの如く、自慢気に話した。その発言に対して、女性陣は「見たことがない」と口を揃えて驚く。
帝都では蝙蝠を滅多に見掛けないのか……
「
「魔除けの鏡と似た仕組みか。西洋では亡者や悪魔は鏡に映らない。一方、洋の東だと鏡は魔物の正体を暴く。歌舞伎で
少佐は歌舞伎や能、狂言に妙に詳しく、最近は足が鈍くなったものの、昔は暇を見付けては観劇したと明かす。
どのような生業なのか、今以って不詳なのは、この中年男だけとなった。耿之介に負けず劣らずの博学で、記紀風土記から和歌集など古典文藝にも通じる。隅に置けぬインテリゲンチャであることは間違いない。
「映畫では登場人物が迷信や伝承と話していたけど、本邦では、その吸血鬼伝説みたいなものはないのかな」
忠嗣が訊ねると、少佐は待ってましたとばかりに顔を
「あるよ。九州方面に伝わる
「それは素晴らしい着眼点かも知れないね」
耿之介は懐中から葉巻入れを取り出し、
「手数だけど
今回は事前に打ち合わせがあったようだ。司会役に指示された美少年は、銀幕の裏に回り込み、
「映畫では冒頭から繰り返し、ひとつの地名が連呼される。ルーマニア国の辺鄙な山間らしい」
「伯爵の居城があった場所ですね。何度も出て来ました。トランシルヴァニアでしたっけ」
「おお、與重郎君、記憶力が良いね。御父さん似で賢いなあ。ドラキュラ伯爵が五百年を過ごした地方だ」
こちらは贔屓ではなく、率直な感想のようだった。店主に対する気遣いはあるものの、実際、美少年は西洋の樂器や外国の地名人名に詳しく、正確に覚えて暗誦する。
「迷信とか伝説という割には、妙に具体的だと思いましたわ。そのトランシルなんとか」
須磨子は五文字以上の外来語に弱いらしい。ごく一般的な大和撫子とも言える。
「原作本でもモデルは実在の人物で、十五世紀ワラキア公国の君主、ヴラド
映畫では伯爵だったが、より格上の君主である。ドラキュラは、ドラクルの息子を意味するという。敵兵を串刺しの刑に処するとは残忍極まりないが、誤解や曲解が多く、史実的にも暴君と断定するに足る材料は乏しい模様だ。
「創作が多いとちゅうことねんね」
「うん、ドラキュラっていう名前は抜群なんだけど、名を拝借しただけで、実在する吸血鬼は別に居る。それがエルゼベエト・バアトリ*。美貌の伯爵夫人で、世界史上、最も血を愛した貴婦人と言えるね」
屍体愛好家の本性が露出する。極上の料理を前にしたかの如き満面の
バアトリ家は、かのハプスブルク家と深い繋がりを持つ名門で、祖先は代々トランシルヴァニア公国の領主を務めた。古い貴族の家柄に相応しく、エルゼベエトには幼い頃からの
「十六世紀中葉。オスマン軍との攻防が激しく、軍人だった旦那は城に居ることが稀だったらしい。一説では、エルゼベエトは夫と
男色と比肩する女性同士の色戀である。忠嗣は俄然、興味が湧き耳を
<注釈>
*エルゼベエト・バアトリ=十六〜十七世紀に実在したハンガリー王国の貴婦人。英語風にエリザベート・バートリと紹介されることが多い。
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