20二話『博愛の精神と慈悲心に充ちたる斷頭臺』

 交尾する蛇の激情に似て、反れた小指ふたつ絡み合い、互いを慈しみ、愛を語り合って未来を契る……


 望外の指切り拳万げんまんに忠嗣は胸躍らせ、嗚咽おえつせんがばかりに亢奮こうふんして身悶えたが、指の絡みは一瞬で解けた。


 與重郎は悪戯っぽい表情で、それはそれで妖美であったが、交合こうごうは束の間に過ぎず、独り煮えたぎっていることに羞じらい、若干後ろめたい感情も湧く。


「誰しも子供の時分じぶんにするもない遊びです。しかし、童歌わらべうたの多くと同じで、背後にはおそろしい意味が潜んでいたりするものです」


 美少年が何を言いたいのか、どうにも理解しかねた。二人の間に置かれる奇妙な工具との関わりが見出せない。


 拳万とは、拳で万度殴ることを意味し、契りを破った場合には針を千本も呑ます。制裁や懲罰の域を越え、残忍冷酷にして、相手を死に至らしめるものだ。


「元は遊女の誓文せいもんと伝わります。ほかの男に媚びを売らぬ、決して裏切らぬという心中立しんじゅうだてで、第一関節、小指の先っちょを切り落とし、誓い合った者に渡したとか」


「ほう、何とも酷たらしい」


 忠嗣は大袈裟に感心したが、半ば演技だった。昔読んだ捕物帖に吉原か岡場所の逸話として描かれていた。気味が悪いと感じつつも、女とは言え、宿命を背負った者の激情に、憧れに近い感覚を抱いた記憶がある。


 そんな読書の感想を言葉にすることは粋ではない。ここは知識をひけらかす少年の心意気に寄り添う場面だ。


「売れっ子の花魁おいらんはそんな流儀を嫌ったようです。特に江戸も後期になると、遊女が鈴ケ森の同心や隠亡おんぼうから咎人の小指を買い取り、まあ本物ではありましょうが、自分の指ではない贋物が出回ったとか。贈られたほうも処分に困る始末です」


 遞信省ていしんしょうのない時代、飛脚や芸者置屋の使い番が届けに行ったのか。男の指なら区別できそうだが、童子のものなら見分けも難しい。忠嗣は再度、大仰に感嘆しつつ、與重郎の指を見詰めた。それは性別を超越して美しい。


 同時に、其処そことなく目の前に器具の正体が窺えた。上段に光る刃、下の小さな板には丸い穴。丁度、人の指が挿入できそうな具合だ。


「この界隈、富士見花柳街に限ったことではありませんが、禁忌扱いの文様もんようが御座います。当然、当家でも避けていて、それは網目の図柄です。不思議なことに、将又はたまた一脈通じるところがあるのか、博奕打ばくちうちの間でも忌み嫌われるようです。何やら、網目は一網打尽を意味すると申します」


 指切り拳万から博徒の禁忌事項へと話しが飛躍した。忠嗣は訝しむも礼儀を弁え、相手に分かり易い仕草に努め、と頷く。この際の感心感服は小芝居にあらず、気品溢れる美少年が話し好きの、意外にも饒舌であることに驚いたのだ。


「惚れた男への贈り物、遊女の誓文がすたれる中、その習わしは博徒に引き継がれ、任侠にんきょうの徒にも伝わって今に至ります。余り馴染みがありませんが、指詰めと称されるうけいの儀式です」


 急に本題へと舞い戻った。板の丸い穴は矢張り、指を挿入する部分で、上の刃は切り落とす為にある。忠嗣は諒解するや、断りもなく中指を突っ込んだ。穴ぼこと見れば問答無用ですのがおとこの性分である。


「ああ、駄目です。危ないです。これ、留め金の調子が悪く、しかも刃は丁寧に研がれたようで、誤って落ちたら指が飛んでしまいます」


 見た通りの物騒な古道具だった。木枠は汚れ、全体的に古惚けているが、刃は新品のように鋭く光り、葉切包丁と同様に厚みも重みもありそうだ。全体に点々とある汚れは、吹き飛んだ血の痕かも知れない。


「実物だったのか。留め具がれているとは知らぬもので……いや、危うい、危うい」


「実際に指詰めの儀式に用いられていた物です。小倉だか筑豊だか、炭鉱を仕切る任侠さんが開発した道具とされます。巡り巡って当家にやって来たのですが、実物と申して良いのやら、所謂いわゆる、模造品で、ギロチンなる斷頭臺だんとうだいをそっくり真似た代物になります」


 佛蘭西フランス革命に因む絵画で、そのおぞましい処刑の機械を見た覚えがあった。うら若き王妃が怒れる大衆の面前に首をねられるという悲惨な光景。また閑人ひまじんが最近読んだ探偵小説でも一種の拷問器具として扱われていた。


 そんな忌まわしい代物を模倣して指詰め専用の道具にするとは、酔狂極まりなく、何処まで本気で何処からが洒落なのか、判別付かない。


「斷頭臺ならぬ指切臺ゆびきりだいか。何とも酷たらしく、無慈悲な道具であることか」


「実物であれば相当に重いこの刃が振り下ろされて、すぱんと首根っこをねる仕組みです。ただし、史実では、当時の感覚では、無慈悲でも野蛮でもないようです」


 真摯な表情で、美しいかおで、妙なことを言う。忠嗣は旧幕時代の刑政けいせいを集めた図譜を鑑賞した折、その中に『斬罪仕置之図ざんざいしおきのず』なる絵に出会でくわした。


 白布の面を被った咎人、いま正に一刀を振り下ろさんとする打首役。それは決して残虐な図ではなかったが、刑吏の面相は怒りに満ちて歪み、慈悲の欠片も見当たらぬものだった。


「刀による昔の馘首かくしゅは、それこそ痛々しい刑罰に違いありません。一方、ギロチンは一瞬の早業で、痛みを感じる間もない。わば愛の機械とも呼べるものです」


 愛の機械とは、これまた妙な物言いだ。渠の口から愛という言葉が飛び出して、忠嗣は色めき立ったが、本能の赴くままに亢奮している場合ではない。美少年は終始真面目に物語る。


「この新しい機械を国民議会に提案したのが、ギヨタンという博士です。旧時代の死刑執行を拷問だと批判し、罪人の苦痛を少しても和らげるべきだと訴えました。革命勢力の掲げた慈善と博愛の精神に因んだものと申せましょう」


 執行の時間が極めて短いことには同意する。


 本邦、山田浅右衛門やまだ・あさえもんの太刀捌きは見事だったと伝わるが、実際、首を刎ねる作業は困難で、何度も斬り付け、途中に休息を挟むこともあったようだ。その間、咎人は意識を鮮明に保ち、悶え苦しんだに相違ない。


 博愛は皮肉か、反語か。忠嗣は先ごろ禁書庫で感銘を受けた支那の凌遅處死りょうちしょしを思い出した。思想的にはギロチンと真逆で、死に至るまで長い長い時間をけみする。


 一瞬と三日三晩を比べれば、大悪党も小悪人も前者を選ぶ。だが、そうなると、肉を削がれ血に塗れた青年の恍惚とした面持ちが、一層、解らなくなる。


「ギロチンは英語読みらしく、元々はギヨティイヌという名前です。聞き慣れませんが、淑女の名とも想像します。あれ、ギヨタン博士との繋がりは何だっけかな。訛ったのか、さて……」


「それはギヨタンの女性形だよ。ジョゼフとジョゼフィイヌみたいなものさ。我が国で言えば、富夫と富子だね」


 突如響いた低い声。忠嗣が薄暗闇の奥に眼を凝らすまでもなかった。声の主は、ゆっくりとした歩調で照明の光溢れる中に姿を現す。この仄暗い書肆に別の人物、第三の男が潜んでいたのだ。

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