第三章〜花柳街のダンスマカブル〜
19一話『花柳街の美少年は春の夢にも幻にも非ず』
脚も腰も軽やかに、心も躍るかと思いきや、目的地が近付くに
九段の富士見花柳街に看板を掲げたる書肆グラン=ギニョヲル。見世の中、薄暗闇の奥、あの美少年に再会する日を心待ちにしていたものの、どんな顔をすれば相応しいか、
「手土産は周到に整えたけれど、功を奏すか、
國電から省線に乗り換え、
手土産と称する隠し玉、切り札は鞄の底にあって、何やら重くも感じられた。当初は自信に充ち満ちて、授けた際の
肝心な事柄は、会話の内容よりも前に
「ほんの少しばかり、色男に近付いたような、そうでもないような」
神社の杜を背景に、
公僕に有り勝ちな酷く凡庸な髪型。理髪店が細工した七三分けは奇を
小皺も白髪もない齢二十七相応の野郎である。特段、醜いと揶揄された覚えがない一方、誰彼の俳優に似たるといった好評を博したこともなかった。
あの絶世の美少年の前では、銀幕の主役も舞台の花形も霞んで見える。
「ほほう、もうこの辺りは花柳街の端っこに当たるのか」
湯桶を携えた浴衣姿の女二人組。浮かれた調子で話しながら料亭に入って行く
群青よりも
先だっての未払い賃もあり、早々に訪ねるべきだったが、出納手の
せっかちな催促こそ悪手で、そうした商人は嫌われ、馴染みは離れ、店も傾く……
「商店が請求するのは当然の
通常、会計卓を占有する者は店主である
再び、湯桶を抱えた女が独り傍を過ぎる。稽古か調律か、軒の奥からは
ここは紛うことなき花柳街。古風な衣裳と
「断り書きの札もなし。時刻も
深呼吸ひとつに咳払いふたつ、隣家のほうに向かって痰をひとつ。富士見花柳街の一遇、書肆グラン=ギニョヲルの
「御免下さいまし」
「いらっしゃいませ。ああ、これは上野図書館の
美しい。
「先日の不足の払いが残っていて、その、職務が忙しく、いや、実を言うと
「そうですか。しかし、結構な額に上ったので負けると言いませんでしたっけ。違ったかな。
與重郎は
「端た金だからこそ重要とも言えましょう。幾らだっけかな」
自慢の
両膝を少し折り曲げ、その表情をやや下方から覗き見ようとした時、忠嗣は会計卓の上に、奇妙な道具があることに気付いた。端ではなく、机の中央、渠の目の前だ。来店して此の方、與重郎の美しさに眼を奪われ、紙幣を置いても尚、異物を感知し得なかったのである。
「ああ、こちら気になりますよね。蔵から出して間もない売り物のひとつです」
古道具の類いで玩具とも見受けたが、どうにも物騒な代物だ。
厨房の調理器具にも、
「巌谷さん、僕と指切りをしましょう。ここで見た物を決して口外しないという秘密の約束です。僕と指切り
そう言って、與重郎は右手の小指を突き出した。会話の流れも不明で、忠嗣は刹那取り乱したが、千載一遇の機会と心得て滾った。與重郎の
小指と小指を絡めるのは何か性的な意味を秘めた仕草やも、などと邪な妄想を膨らませ、
<注釈>
*大正通り=現在の靖国通り。関東大震災の復興事業として整備された幹線道路で両国から新宿まで東西を貫く。府民からは靖国通りと呼ばれ、東京五輪前に都が愛称として正式採用。「大正通り」は名実ともに消え去った。
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