18八話『凌遅處死、そして女豹は脹よかな胸許を晒す』

 洋歴にして三世紀の中葉、羅馬ローマ軍隊の近衛兵長セバスティアンは、基督教を密かに奉じていたとがで、磔刑たっけいに処せられた。太い幹を背に、両手は頭上に交叉して縛られる。

 

 右の脇腹と左胸に突き刺さる二本の矢。兵長は痛みを知らぬかの如く、処刑の執行人など視界に入らぬかの如く、その双眸は天上に差し向けられている。所謂いわゆる、殉教の図。しかし、血のしずくは肌を汚さず、肉體にくたいは少しよじれて、只管ひたすらに美しい。


 大學時代の美術史の授業で、忠嗣はセバスティアン殉教図に出会った。容姿端麗に筋骨隆々たる兵長は途轍もなく淫らで、血液は忽ち奔騰し、心もまたみなぎった。

 

 磔刑たっけいに処せられ、幾本もの矢を浴び、忿怒ふんぬする山荒ヤマアラシと化した兵長は、刑場で最期を迎えることはなかったと伝わる。それが奇蹟とも復活とも見做され、後世で聖人に列せられた由縁だ。


 論考に添えられた「百刻之刑ひゃくきざみのけい」は、実に殉教図と重なるところが多く、直ちに邪念を呼び起こし、たぎらせた。一方は聖堂に祀られる絵画で、多方は野蛮極まりない拷問刑の寫眞である。しかし、似通っている。


「こっちの者も尚、生きているというのか……」


 掲載された寫眞は四葉。連続して撮られた模様で、其々それぞれ、構図も違えば角度も微妙に異なる。丸太か角材か、細い柱を背にする者の顔は向きが変わり、ひとつは喘いでいるようにも見えた。流血凄まじく、屍体同然ではあるが、息は絶えていない。


「さらりと青年って書いてある。女ではなく、矢張り男なのか」


 寫眞の咎人は最初、女性のように思えた。丁度、一対の乳房の辺りが抉られ、そこから血が滴り落ちているのだ。しかし、体躯は肩幅からも男性のものだった。


 局部については既に切断されてるのか、妙に白くぼやけ、竿さおも袋も見当たらない。忠嗣は眼をらし、室内燈に近付けて見詰めたが、曖昧だった。寫眞技術で現像の際に細工が施されているようにも感じられる。 

 

凌遅處死りょうちしょし」*


 本文には振り假名付きの見慣れぬ熟語があった。唐滅亡後の五代から続く支那の極刑だという。咎人を取り巻く男共は揃いも揃った禿頭の親爺に非ず、辮髪べんぱつだった。彼等が刑吏であろう。


 解説に従えば、咎人は生きたまま皮を切られ、肉削がれ、激痛に苛まれながら、ゆっくりと死に至るらしい。寫眞の男は、尚も四肢が認められることから、刑の序盤に該当し、意識朦朧たるも生きている模様だ。


 英文の「千切り」は誇大な表現ではなく、記録では三日三晩続き、加えた刃が五千に及ぶ例があったという。


「けれども、激痛に苦しみ、悶えているようには思えないな」


 恍惚とした表情に見えてならない。そんな自分の感想にも驚くばかりだが、斬り刻まれる青年は法悦の境地に浸っているかのように見て取れる。


 特に、斜め下から仰ぐ角度で捉えた一葉は、首の傾げ方が聖セバスティアンの殉教図と見事に合致する。その咎人の青年の顔はとろけ切り、決して大袈裟ではなく、射精前のいただきに昇る刹那に似通う。


 面相に刻まれるのは快楽。生と死、聖なる死、惡と惡が絡み合ってやがつむぎ出される純粋な悦び。処刑は性的な衝動に満ち、極限から極限に向かう危うくも刺戟しげきに塗れた綱渡りに似ている。


 寫眞の説明文は果てることなく長々と続き、凌遅處死が執行されたのは一九○五年、撮影者は佛蘭西人などとあるが、最早それらは忠嗣にとって、どうでも良い瑣末な情報に過ぎなかった。


 四葉の寫眞は、如何なる記述よりも雄弁で、絶えず、違う言葉を弄して語り掛けて来る。寫眞を眺めているのではなく、刑場の青年に凝視されているのだ。閑人は少し怖くなって、ふるえる手で本を閉じた。


 その直後、背後の扉が軋んだ。


 断りなく侵入する館員、この禁書庫に用向きがある者は独りしか居ない。九鬼須磨子くき・すまこである。顔を確かめずとも、台車を曳く嫌な音で全てが知れる。


「今回は五冊しか御座あませんわ」 


 稀なことに、挨拶代わりの口上が届いた。危うく問題の寫眞を人眼ひとめに晒すところであった。忠嗣は胸を撫で下ろし、至って冷静に、読んでいた本を裏返して題名が判らぬよう小細工した。傍眼はためには重厚な学術書にしか見えないはずである。


 しかし、その所作は不自然にして不器用で、かえって注目を招く結果となった。台車を押しながら、彼女の右眼はその仕草の一部始終を捉えていた模様だ。視えない左の偽眼いれめまでもが、机上の一点をめ付けるように思われ、閑人ひまじんは身震いを禁じ得なかった。


「な、なんだ五冊程度なら、その辺に置いとけばよろしかろう。暇な時に小職が収蔵するし」


「まるで忙しい時間帯があるような言い草ですね」


 余計な文句を吐いてしまった、と後悔する隙もなかった。これも珍しいことに、須磨子は莞爾かんじとしていた。白磁器に似た偽眼いれめに関しては拘りもなく、別段怖れもしないが、彼女の笑顔は不気味だった。


 弛んだ口許くちもとを見た経験はついぞなく、髪を掻き上げて一層露わになった頬に、笑窪が生じることも初めて知った。そして、本日は上機嫌なのか、或いは指示が変更されたのか、須磨子は自ら書籍を取り上げ、奥の書架に運ぶ。


 従来は閑人を奴婢ぬひの如く粗く使い、鼻持ちならぬ命令口調で指図するのが常だったが、淡々と運搬し、踏み台まで使って禁書を最上段に納める。補佐も要らず、半ば役割を奪われた恰好で、部屋の主は少々居心地を悪くした。


「やっぱり地下は風も通らず、蒸しますわ」


 そう言って須磨子は是見これみよがしに上着を脱ぎ、ブラウスのボタンをひとつふたつと外した。全くって意味の解せぬ煽情的な振る舞い。一体全体この女書記は何がしたいのか、と忠嗣は当惑し、敢えて眼を背けずとも、と眉根を寄せた。


 風通しのない地下とは言え、卯月も半ばを迎える前、して蒸し暑くもなく、胸元を空け広げる理由はない。彼女は以前も不自然な体勢で臀部を振ったことがあった。無理な挑発、下手な誘惑としか受け取れない。


 其処そこいらの男子なれば、多少なりとも亢奮するのであろうが、如何せん趣味趣向が異なる。吐き気を催すことはないにせよ、女體にょたいの象徴的な部位は、たとえ剥き身であったとしても、ただの肉塊にかず。


 うつむくこともわざとらしく、この期に及んで狸寝入りも出来ぬ。ややおもてを横に向け、まなじり様子を窺うと、須磨子は文机に急接近、真正面に仁王立ちし、下のほうを凝視した。


 机の脚周りには、あの書肆で美少年から手渡された大切な紙袋が立て掛けてあった。明るい室内、袋に刻まれた屋号はつぶさに見えたに相違なく、彼女の眼は小さく記された九段富士見の文字をも捉えたはずである。


<注釈>

*凌遅處死=いわゆる凌遅刑(りょうちけい)のこと。忠嗣が興奮した写真は実在のもので、撮影者は北京見聞録を著したルイ・カルポーなる人物。画質は粗く、不鮮明で四肢欠損などは視認が難しい。


<参考図書>

ジョルジュ・バタイユ著『エロスの涙』(現代思潮社 昭和四十二年刊)

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