18八話『凌遅處死、そして女豹は脹よかな胸許を晒す』
洋歴にして三世紀の中葉、
右の脇腹と左胸に突き刺さる二本の矢。兵長は痛みを知らぬかの如く、処刑の執行人など視界に入らぬかの如く、その双眸は天上に差し向けられている。
大學時代の美術史の授業で、忠嗣はセバスティアン殉教図に出会った。容姿端麗に筋骨隆々たる兵長は途轍もなく淫らで、血液は忽ち奔騰し、心も
論考に添えられた「
「こっちの者も尚、生きているというのか……」
掲載された寫眞は四葉。連続して撮られた模様で、
「さらりと青年って書いてある。女ではなく、矢張り男なのか」
寫眞の咎人は最初、女性のように思えた。丁度、一対の乳房の辺りが抉られ、そこから血が滴り落ちているのだ。しかし、体躯は肩幅からも男性のものだった。
局部については既に切断されてるのか、妙に白く
「
本文には振り假名付きの見慣れぬ熟語があった。唐滅亡後の五代から続く支那の極刑だという。咎人を取り巻く男共は揃いも揃った禿頭の親爺に非ず、
解説に従えば、咎人は生きたまま皮を切られ、肉削がれ、激痛に苛まれながら、ゆっくりと死に至るらしい。寫眞の男は、尚も四肢が認められることから、刑の序盤に該当し、意識朦朧たるも生きている模様だ。
英文の「千切り」は誇大な表現ではなく、記録では三日三晩続き、加えた刃が五千に及ぶ例があったという。
「けれども、激痛に苦しみ、悶えているようには思えないな」
恍惚とした表情に見えてならない。そんな自分の感想にも驚くばかりだが、斬り刻まれる青年は法悦の境地に浸っているかのように見て取れる。
特に、斜め下から仰ぐ角度で捉えた一葉は、首の傾げ方が聖セバスティアンの殉教図と見事に合致する。その咎人の青年の顔は
面相に刻まれるのは快楽。生と死、聖なる死、惡と惡が絡み合って
寫眞の説明文は果てることなく長々と続き、凌遅處死が執行されたのは一九○五年、撮影者は佛蘭西人などとあるが、最早それらは忠嗣にとって、どうでも良い瑣末な情報に過ぎなかった。
四葉の寫眞は、如何なる記述よりも雄弁で、絶えず、違う言葉を弄して語り掛けて来る。寫眞を眺めているのではなく、刑場の青年に凝視されているのだ。閑人は少し怖くなって、
その直後、背後の扉が軋んだ。
断りなく侵入する館員、この禁書庫に用向きがある者は独りしか居ない。
「今回は五冊しか御座あませんわ」
稀なことに、挨拶代わりの口上が届いた。危うく問題の寫眞を
しかし、その所作は不自然にして不器用で、
「な、なんだ五冊程度なら、その辺に置いとけば
「まるで忙しい時間帯があるような言い草ですね」
余計な文句を吐いてしまった、と後悔する隙もなかった。これも珍しいことに、須磨子は
弛んだ
従来は閑人を
「やっぱり地下は風も通らず、蒸しますわ」
そう言って須磨子は
風通しのない地下とは言え、卯月も半ばを迎える前、
机の脚周りには、あの書肆で美少年から手渡された大切な紙袋が立て掛けてあった。明るい室内、袋に刻まれた屋号は
<注釈>
*凌遅處死=いわゆる凌遅刑(りょうちけい)のこと。忠嗣が興奮した写真は実在のもので、撮影者は北京見聞録を著したルイ・カルポーなる人物。画質は粗く、不鮮明で四肢欠損などは視認が難しい。
<参考図書>
ジョルジュ・バタイユ著『エロスの涙』(現代思潮社 昭和四十二年刊)
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