第二十五回 自業自得のトラゴエディア
テーマ『悪食の狼男、歓待されるフランケンシュタイン、きれい好きな神父、典型的なヴァンパイア』
美味い食事をしたい。願いはたった、それだけだ。
「ヴァヴィさん、こんばんは。夕食はもう少しお待ちください」
あくびをしながらリビングへ行けば、ぐつぐつと音を立てながら鍋をかき混ぜているプリエスが、こちらを見て穏やかに微笑んだ。夕食、窓を見れば暗闇。そして『ぐぅ』と腹が鳴り、夜がふけるまで寝ていたことを自覚する。しかし、それはいつものこと。日の光の下で生きられないこの身は、宵闇の中にしかいられない。
「ワシのぶんは作らなくともよいと言うのに……」
腹が減っても、食いたくはない。そういう時もある。
「そうおっしゃらないで。貴方のために、私が作りたいのです」
プリエスの献身的な発言に、深いため息を吐く。食欲は相変わらずにわかないが、しかたがあるまい。諦めてダイニングチェアに座り、夕食を待つことにした。
「今戻った」
何も考えずに座っていると、静かに玄関のドアが開いた。そして暗闇から、ずた袋を抱えたフィンケルが現れた。
「おかえりなさい、フィンケルくん」
鍋をかき回す手を止めず、プリエスがフィンケルを迎え入れる。フィンケルは家の決まり通り、新しい靴に履き替えてからこちらへ向かう。
「ただいま。もう夕食か?」
「はい。あとはシチューが煮えるのを待つだけです」
もう十分に煮えていると思うが、彼にとってはまだなのだろう。
「間に合ってよかった。これは今日の肉だ」
フィンケルがプリエスへ、持っていたずた袋を差し出した。
「わぁ! ありがとうございます。今日のお肉がなかったので、困っていたんです」
プリエスが笑顔でずた袋を受け取ったあと、露骨に顔をしかめながら、首を上から下へと動かしてフィンケルを見た。
「今日は汚れていませんね? ちゃんとお風呂に入ってきましたか?」
「入った。なかなかに広いバスルームだった」
「それならよろしい。今日は食事の前にお風呂にはいらなくとも結構です」
「ありがとう。だが手は洗ってくる」
「君がようやくこの家のルールを理解してくれるようになり、私は嬉しく思います」
主に感謝を、とプリエスが言って、胸の前で手を組む。火を使っている最中に祈るのはやめてもらいたいが、彼の祈りを妨げることもできない。それもまた、決まりなのだ。
プリエスは誰かが家の決まりを破ると、神父だというのに刃物を振り回し、烈火のごとく怒り出す。ここに来たばかりのフィンケルは決まりの本質的なことを理解するまでに時間がかかったが、ようやく理解してくれてよかったと安堵する。彼の場合、我々と作りが違うから、ということもあるだろうが。
「オイ、ステーキで味付けはガーリックにしろよ!」
フィンケルが洗面所へ向かって少し経ったあと、荒っぽい足音を立ててウォルフがリビングへと駆け込んできた。どうや肉のにおいを嗅ぎとって、献立のオーダーをしにきたようだ。
「ウォルフくんはわがままですね。ガーリックではヴァヴィさんが食べられないでしょう」
いさめるようにプリエスが言う。するとウォルフは頭部に生えた獣耳を動かして、「はぁ?」と不満そうな声を出した。
「ヴァヴィだけ別にすりゃいいだろ」
「ウォルフの言う通りだ。三人で肉を食べてもかまんぞ。たまにはワシもベジタリアンとやらになってみよう」
唇を尖らせて不満を言ったウォルフに賛同すれば、プリエスが眉を寄せて、ほほを少し膨らませた。どうやら彼を不機嫌にさせてしまったようだ。
「それはいけません。私たちは家族なのですから、みな平等でなければなりません」
「……ちっ、わかったよ」
「わかればなによりです。さ、ウォルフくんも座ってください」
不満げな顔をしまま、ウォルフが前の席に座る。あとはフィンケルだけか、と思っていると、顔まで洗ったのか、心なしかこざっぱりしたフィンケルが戻ってきた。
「む、すまない。待たせてしまっただろうか」
「大丈夫ですよ。まだシチューが出来上がっていませんので。
それより、今日の狩りは時間がかかったようですが、非協力的な家庭だったのですか?」
「彼らは優しい家族だった。手厚くもてなしてくれた」
「それはよかった。そうだ、今日のお肉はシチューに入れましょうか」
いいことをひらめいた、と言わんばかりな笑みを浮かべてプリエスが言った。
「今からかい? たまには肉なぞなくてもいいであろう」
毎日毎日、すべての食事で肉を食している。たまには、たまにでいいから、肉を口にしたくない。
「血もたっぷり入れましょうね。あ! どうせなら、今から作り直しましょうか!」
しかしこちらの意見など聞く気もないのか、会話を早々に自己完結させてプリエスはずた袋を持ってキッチンの奥へと消えていった。
「……わざわざ作り直さなくて構わんぞ。肉は後日でもよかろう」
「その点は安心してほしい。明日も狩りに行く。ヴァヴィさんは常に新鮮な血と肉を接種しなければならないだろう? 明日では肉は腐ってしまう」
「適切な方法で保存すれば、すぐには腐らんよ」
「しかし――」
「毎日肉が食えるぶん、それでいーだろうが。それに血は保存できねーしよ」
何か反論をしようとしたフィンケルの言葉を遮り、ウォルフが言った。
「つぼにでも入れておけばいいであろう」
肉を削ぐ音と、骨を折る音がキッチンの奥から聞こえる。どうやら結局今日のシチューにも、肉は入ることになるのだろう。
「つーか、狩りぐらいフィンケルにはどーってことないだろ。オレは食いもんがあるならそれでいいけどよ」
「しかし、毎日ではフィンケルの自由な時間がないであろう?」
「大丈夫だ。俺は楽しんでいる」
「そのようなことを言ったのではない……」
「さぁ、シチューができましたよ。今日の夕食は、シチューとサラダ、バケットです。デザートはパイなので、食べすぎてはいけませんよ」
フィンケルが獲ってきた肉と血の入ったシチューと、ウォルフの好物の薬草で作ったサラダ、プリエスが村で最も澄んだ井戸の水を使って作られたバケット。パイはレモンパイだろうか。全部、昔の食卓で好きだと言ったメニューだった。
「明日の夕食も、ヴァヴィさんの好きなものをたくさん入れますね!」
「……ありがとう、プリエス」
吸血鬼が好むのは血液であり、肉ではないと言ったのはいつのことだろうか。いつの間にか、血だけでなく肉も好物だと思われていた。何があってこのボタンのかけ間違いが起きてしまったのだろうか。食べられるからと強く訂正をしなかった己が悪いのだろう。しかし、重要なことはそれではない。
この身は、もう血すら受け付けなくなっているのだ。
心の底から愛した人がいる。今の自分は、そのこの世で最も愛した者の血しか飲むことはできない体になっていた。彼の者以外の血は、汚泥のような味にしか感じ取れないのだ。そして血の味が染み込んだ肉も、同様のことだった。けれど愛しき人はもうこの世にはいない。
……ああ、あのときの飯は最高に美味かった。
きっと、あれ程の美味はもう二度と味わうことはできないだろう。
だから今晩も、泥を口に入れる。吐きそうになるほどに不味いシチューを、笑みを浮かべて胃へと流し込む。美味い食事がしたい。願いはだった、それだけだ。血も肉も、もう食べたくない。だから、せめて――
「花の蜜を食べたいのぉ」
和やかに進む食事の最中にこぼした言葉は、誰にも拾われることはなかった。
しろわん別倉庫 しろた @shirotasun
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