のれないブランコ (キミちゃんに叱られる)
帆尊歩
第1話 キミちゃんに叱られる
電車を降りて駅から出ると、駅前の商店街の店は大方閉まっていた。
まだそこまで遅いわけでもないけれど、随分閉店してしまっている。こんな住宅街しかない駅、駅前商店街だから仕方がないのかもしれない。かつては随分賑わっていたようだが、今は見る影もない。
いや確かに課長が言うことは正論だし、なにも間違ったことは言っていない。
事実、自分が悪いと言うのは重々承知だし、同じ事を後輩がやれば、私だって同じように怒るだろう。
でも、みんなの前であそこまで怒らなくても良いだろう。
私にだって立場という物がある。
ああ、むしゃくしゃする。
駅前の通りは割と広いが、商店街としてのていをなさなくなってから、寂しげだ。それは道が広いぶん余計に寂しい。
元々あった商店が閉店して、土地建物が売られたのか、更地にして、その場所にマンションが建ったりしている。
かつての商店街は、マンションが建つ住宅地へと姿を変えていた。
そんな大道りから横に入ると、そこは完全な住宅地でさらに寂しくなる。
私は帰る途中の公園に寄ってみた。
駅から家に帰るには、ほんのちょっとだけ遠回りになる。
だから、基本この公園の前は通らない。
でも今日はなんとなく向かった。
課長に怒られて、むしゃくしゃしていたからかもしれない。
このさぎの宮二丁目公園は、私が保育園の時からよく遊びに来ていた公園だ。
私はかすかな期待で公園に向かった。
さぎの宮二丁目公園は、五十メートル四方くらいの小さな児童公園で、滑り台、砂場、そしてブランコがあるだけの公園だった。
でもこの公園には、乗れないブランコがあった。
何故乗れないのかと言えば、いつもそこにはキミちゃんが乗っているから。
ブランコは、二つ支柱からつり下がっている。
入り口から入って、右側にキミちゃんはいる。
まあキミちゃんはいるだろうなとは思っていた。
でも、キミちゃんは大人には見えない。
私は今年二十八になる。バリバリ大人だ。
だから、キミちゃんが見えないかもしれないと思いながらもここに来た。
キミちゃんは五歳の女の子だ。
それは私が保育園のころからずっと。
このさぎの宮二丁目公園のブランコには誰も乗らない。
それはあたしが保育園の頃から、
何故子供がこのブランコに乗らないのだろうと、不思議がっている大人は今も昔もたくさんいたが、大人にはキミちゃんが見えないから仕方がない。
だからあたしももう大人だから、キミちゃんは見えないはずなのに、何故か今だにキミちゃんが見える。
あたしは公園の前を通る。
二つあるブランコの右側に誰か座っている。
キミちゃんだ。
あたしは公園の中に入って行く。
「あら、チーちゃん」キミちゃんはあたしの事をチーちゃんと呼ぶ。
アラサーの女を捕まえてチーちゃんもないものだけれど、保育園の時あたしはチーちゃんだった。
「久しぶりね」とブランコに乗った五歳の女の子、キミちゃんは言った。
「そうね。でもまだいたんだ。キミちゃんもしぶといね」そう言いながらあたしは左のブランコに乗った。
「ここから離れられないのよね」
「それは知っているけれど」
「そうか、チーちゃんは知っているんだよね」
「前から聞きたかったんだけれど」
「なに?」
「キミちゃんてなに?お化け、幽霊」
「お化けと幽霊って一緒じゃないの」とキミちゃんは言う。つまらないことをつつく子供だ。あたしはそんなキミちゃんの言葉を無視する。
「じゃあ、妖怪。ああ、座敷童的な」
「あんなガキと一緒にしないでよ」ガキって、お前だって五歳だろう。とは突っ込まなかった。
「座敷童って、座敷って言うくらいだから、家の中でしょう。あたしは公園だし」
「じゃあ、公園童」
「なんか、かっこ悪い」
「じゃあ、パークチルドレン」
「なんか違うものになっている」
「キミちゃん、サークルはまだやっているの?」
「やっているよ。みんなあたしの事が見えなくなったみたいだけれど、見えないなりにやってくれている」
「へー」
「そういえば、チーちゃんは何であたしの事が見えるの」
「さあ、子供の心を失わない、若い女の子だからかな」
「三十なのに」
「まだ二十八だから」
「五歳児から見たら一緒」
「五歳児って何年五歳児やっているのよ」
「さあ」
五歳児とはいえ、ズッーと五歳児をやっていると、物言いはおばさん化していく。
「それはそうと、久しぶりに来たと言うことは何かあった?」
「なに、まるで何かがあった時しか来ないみたいじゃない」
「嫌そうでしょう」
「いや、別に」
「じゃあ、今日はなにもないのね」
「いやー」と言って、あたしは今日あったことをキミちゃんに話した。
「なに甘えたこと言ってんのよ。しっかりしなさいよ」とキミちゃんは怒鳴った。
これこれ、これよ。
あたしはキミちゃんに喝を入れてもらいたくてここに来たんだ。
五歳児に叱られる、二十八歳児。
「人はね、怒りたくて怒る人間は、たまにしかいないの、本当に攻撃してくる奴は徹底的に叩き潰せば良い。でもそうでない人は、チーちゃんのことを思って心を鬼にして怒っているのよ。そこんところをくみ取らなきゃ」
うちの課長はどっちなんだろうと考えた。
でも少し元気が出てきた。
そういえば、私は何かあると、ここに来てキミちゃんに叱られていた。
中学の時、親と大げんかをして、家を飛び出した。
ここでキミちゃんに話を聞いてもらい、そして叱られた。
でもそのせいで、私は家に帰りごめんなさいと親に言えた。
高校の時の親友だった聡子と、些細なことで喧嘩をした。
一生の友達と思った聡子と決裂の危機を迎えたときも、キミちゃんは大声で私を叱った。
「ここで聡子ちゃんを失えば、一生の友達を失ったことを一生後悔するよ」
結局聡子とは仲直りをして、この間、先に結婚しやがった。
祝辞を述べるとき。
(よかったね)という言葉を何度も言っているいるうちに、迂闊にも。感極まって泣いてしまった。おかげで会場は、感動の渦に巻き込まれ、シーンと静まり返ってしまった。
いい気味だ。聡子の結婚式をしんみりさせてやった。
もうすぐ子供が生まれるらしい。
「チーちゃんは結婚しないの。彼氏とかいないの。早く結婚した方が良いよ」
「五歳児に、言われたくないわい」
「五歳児に言われていることを自覚して精進しなさいよ」
「五歳児が、精進なんて言葉を使うな。上司だったら、セクハラだよ」
「あたし、大人には見えないから」
「確信犯と言うこと」
「そういうことじゃないけれど」
「まあいいわ、なんか元気が出た。帰るわ」
「うん。またおいで」
「うん」
のれないブランコ (キミちゃんに叱られる) 帆尊歩 @hosonayumu
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