ラッキーフードは天丼

@d-van69

ラッキーフードは天丼

 付き合っている頃は気づかなかったが、結婚して初めて知るパートナーの癖や習性というものがあるだろう。

 私の妻の場合は占いだ。と言っても結婚前からその前兆はあった。雑誌の占いコーナーのことはよく話題に出たし、デートのときにも占いの店があれば彼女の誘いで立ち寄ることは多々あった。

 だが結婚してからというもの、彼女の行動は完全に占いに支配されていることに気づかされた。朝の情報番組から始まって、新聞やインターネットのサイトまで、あらゆる占いに目を通し、その日の恵方やラッキーアイテム、ラッキーカラーを参考に着る服や行き先や行動を決めるのだ。

 新婚当初はそれも彼女の身の回りのことだけに留まっていたが、月日が経つにつれて私の生活圏にも影響が及ぶようになった。

 その日も朝食を終え、身支度を整えて玄関に向かおうとしたのだが、妻は見送るどころかテレビに釘付けになっていた。当然放送されているのは占いコーナーだ。

「お前、本当に好きだな」

 彼女は画面に視線を向けたまま、

「悪い?でもこれをちゃんと見ておかないと今日一日乗り切れない気がするのよ」

「そんな大げさな。たかが占いじゃないか」

 横顔にムッとした表情が浮かぶが、視線は動かない。

「そんなことないわよ。これがなかなか当たるんだから。あなたとの結婚だってこの占いがあったからのよ」

 そう言えばそんな話を聞かされたことがあった。占いにあったラッキーアイテムを買うために立ち寄った店で、偶然私と出会ったとか。

 ああ、そうだったなと適当に相槌を打ってから、

「じゃあ、行ってくるよ」

「ちょっと待ってよ。もうすぐ終わるから」

 彼女はしばらくテレビを睨んでから、

「私の今日のラッキーカラーはブルーだって。ちょうど良かったわ」

 彼女は自分の耳を指差した。そこには青い石のピアスがあった。

「それよりもあなた」

 今度はその指先をこちらに向ける。

「今日はうお座が最下位だったから、気をつけてね」

「気をつけるってなにを?そもそも俺はそんなもの気にしないんだけど」

「だめよ、そんなことじゃ。重要なデータを失う恐れあり、って言ってたんだから。例えばパソコンが壊れたり、スマホを落としたりするかもよ」

「はいはい。せいぜい気をつけますよ」

 呆れながら玄関に向かう私の後を妻が追ってくる。

「あのね、今日のラッキーフードは天丼だから、絶対にお昼に食べてよね」

「わかったわかった」

 昼飯くらい好きなものを食わせろよと思ったものの口は出さず、

「行ってきます」

 それだけ言って玄関を出た。



 そろそろ夫が帰ってくる頃だ。夕飯の支度をしながら待っていると携帯電話が鳴った。知らない番号だ。出ると警察からだった。夫が交通事故にあったらしい。命に別状はないということなので胸を撫で下ろすものの、私は急ぎ教えられた病院へ向かった。

 病室に駆け込むと、夫はベッドの端に座り窓の外を眺めていた。私の気配を察して振り返る。その姿を見て拍子抜けした。命に別状はないと聞いていたが、そもそもかすり傷一つ負っていないようなのだ。暢気そうにとぼけた表情でこちらを見つめている。

「なによあなた。心配したんだから」

 歩み寄ろうとすると、背後から声をかけられた。

「失礼ですが、奥様ですか?」

 振り向くと戸口に白衣を着た男性が立っていた。担当医師だろう。

「はい、そうです」

「すみませんが、ちょっとこちらに」

 いざなわれるまま廊下に出た。医師はちらりと病室内を見てから、

「ご主人のことなのですが」

「ありがとうございました。たいしたことないみたいでホッとしました」

「まあ、奇跡的に外傷はまったくなかったんですが、残念なことに、ご主人は記憶障害を起こされているようで」

「それってつまり……」

「簡単に言えば、記憶喪失です」

 当たった。記憶だって重要なデータだ。それを失くしてしまったのだ。

 きっと夫は天丼を食べなかったに違いない。




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