生贄にされた骸骨王妃のカタの付け方

高取和生

第1話

プロローグ



 時折、母と私は海辺へ行った。

 凪いだ波の音は心地良く、私は花びらの様な貝を集めて喜んだ。


 ある日のこと。

 いつもの様に、母は海の彼方を見つめ、私は砂浜で遊んでいた。


 すると、波がいきなり立ち上がり、水しぶきの中から一人の男性が現れた。

 男性は海の色を写したような青銀の長い髪と、深海色の目をしていた。

 上半身は裸だったが、腰から下の衣服は、王族よりも見事な宝石を連ねていた。


「約束の娘か」

「ええ」


 男性と母は、何か話をしていた。

 男性は海水を掬う。


 チャポン……。



 小さな水しぶきを上げ、子どもが一人砂浜に飛び出した。

 肩まで伸びた青い髪の光沢は、先に現れた男性とよく似ていた。

 女の子かと思うほど、愛らしい顔をした少年だ。


 トコトコと彼は私の方へやって来て、何かを差し出した。


「#$%&」


 言葉は分からなかったが、私に差し出した物をくれるようだ。

 それは貝殻よりも薄く、透き通った蒼色の鱗。

 木の葉のような形をしていた。


「あ、ありがと……」


 私が受け取った瞬間、青い稲妻が走った。


 肌が粟立つ位、美しい稲妻だった。

 あれが、初恋だったろうか。




◇◇




 マリーヌは夫である国王フィービーから、公卿会議へ出席するよう命じられた。


 珍しいこともあるものだとマリーヌは思う。

 正妃なれど、彼女は王家主催のパーティはもとより、公式行事への参加を禁じられている。

 呼びに来た騎士に誘導され、久々に王宮内に入る。



 公卿会議は、本来国王と正妃、宰相や大臣十名のみで構成される、国内最高の意思決定機関である。

 マリーヌは婚姻後三年たったが、出席するのは初めてだ。彼女の代わりは現国王の母、王太后が務めていた。


 会議室に入ると、既に全員の顔が揃っていた。

 いや、王太后は不在である。

 その代わりなのか、本来正妃の座す場には、側妃がいた。


 見知った顔である。

 側妃パセリアは正妃マリーヌの義姉なのだ。


 マリーヌは壇上の席ではなく、国王の正面の床に立たされた。


「久しいな、妃よ。息災か?」

「……おかげ様で」


 国王はフンと鼻息を吐く。


「相変わらず、湿気た表情だ。身体の肉付きも悪い。『骸骨妃』の二つ名は、伊達ではないな」


 側妃がケラケラ笑う。

 こちらも相変わらず、品のないことだ。

 大臣らは、何故か俯いて黙っている。


「まあ、お前に母上やパセリアのような華やかさを求めても無駄であろう。まったく我が正妃としては役立たずであったが……」


 国王は口の端を上げる。


「喜べ、マリーヌ。お前でも、いや、お前だからこそ役立つ場を用意した」


 一瞬怪訝な顔をするマリーヌに国王は告げた。


「オキアヌス国王フィービー、並びに公卿会議の決定により、ここに厳命す!

正妃マリーヌを海神の贄に捧ぐ」


 側妃が喜色満面で拍手する。

 大臣らは黙して語らず、マリーヌを見ることもない。


「畏まりました」


 贄とは生贄。勿論、その命を捧げることだ。

 だがマリーヌは顔色一つ変えず、見事な膝折礼を披露した。

 贄として海に向かうのは三日後の夜。


 満月の晩である。





「骸骨娘」


 元々、実の父親にマリーヌはそう言われていた。

 三大侯爵の一つ、プテーリー家の息女であるマリーヌは、プラチナブロンドの豊かな髪と黒曜石の様な瞳を持つ。

 亡き母に似た外見を、父は嫌った。


 マリーヌは五歳で当時の第一王子と婚約した。

 現国王のフィービーである。

 オキアヌス国はいくつもの港を有する。

 プテーリー侯爵家は交易船を多数保有し、外国との交易により豊かな財を築いていた。


 母と王妃は友人だったそうだ。

 その頃のマリーヌは、ふっくらとしたバラ色の頬をしていた。


 マリーヌの婚約で安心したのか、母はその後すぐ儚くなる。

 泣き暮らすマリーヌの相手をすることもなく、父は再婚した。

 男爵家出身だが、豊満な肉体を持つ義母と、その娘である義姉が邸に来ると、マリーヌの生活は一変した。


「私と侯爵は『真実の愛』で結ばれていたのに、あなたのお母様が横から入ってきたの」


 三白眼になる義母の眼は、マリーヌの背筋を冷やした。

 マリーヌの大切なモノを、義母は片端から壊していった。


「私はあなたよりも年上。だから下の者は言うことを聞くべきなのよ」


 義姉はマリーヌが亡き母から譲られた、ペンダントやブローチを取り上げた。


 空になった宝石箱の底には、幼い頃不思議な少年に貰った、蒼色の鱗が収めてあった。マリーヌは取られないように、いつも服に隠して身に付けることにした。



 日々の食事はパン一個と具の無いスープ。

 小食だったマリーヌも、空腹を抑えるのが難しい食事内容である。


 痩身を通り越し、ガリガリの体型となったマリーヌは、眼は落ち窪み頬はこけ、髪も抜け落ちた。そんな姿のマリーヌを、父も義母も義姉も、骸骨娘と揶揄った。

 空腹で倒れそうになった時には、そっと身に付けた蒼色の鱗を握りしめる。

 鱗は淡い光を投げ、マリーヌの瞼に遠い日の想い出を描く。


 あの日出会った少年の姿と、海を眺めていた母の横顔。

 穏やかなひと時の風景。


 いつしかマリーヌは眠りに落ちる。

 夢の中で、マリーヌは少年と踊る。

 見たこともない宮殿のフロアで踊るのだ。


 夢の中の少年は、年々成長していく。

 そして夢の中で少年の背がマリーヌを追い越した頃、マリーヌは十歳になっていた。

 

 十歳になると、マリーヌが王子妃になるための教育が始まる。

 タイトなスケジュールであったが、勉強は嫌ではない。

 マリーヌにとっては心地よい時間であった。


 月に一度ほど、王妃自らが教育を施した。

 その時にはお菓子とお茶が振る舞われる。

 甘いお菓子を食べた後は、慢性の疲労からか、マリーヌは眠りに落ちることがよくあった。

 王妃は彼女をベッドまで運び、未来の王子妃の面倒を見ていた。


 マリーヌの婚約者フィービーが、彼女と婚約したのは彼が八歳の頃だ。

 ぷくぷくの頬に、蕾のような唇の少女は大変可愛らしく、母である王妃の希望の相手でもあり、それなりに満足した。


 ところが、年々顔も体も痩せ衰えていくマリーヌに、フィービーの心は冷めていく。婚約者の変更をどんなに願っても、王妃が首を縦に振らなかった。


 代わりに、フィービーはマリーヌの義姉パセリアに惹かれていく。

 パセリアは、彼女の母と同じく華やかな容姿と豊かな胸を持つ。

 言葉数の少ないマリーヌと異なり、パセリアは社交的だ。

 同じ侯爵家の娘なら、パセリアが婚約者でも良いではないか。


「ダメです。側妃なら許しますが」


 王妃に直訴したフィービーの願いは、何度も撥ねつけられた。



 そしてフィービーが十八歳、マリーヌが十五歳の時に、二人は結婚する。

 王家のしきたりに則り、海が見える教会で式を挙げた。


 挙式後、新婦は海に花束を流す。

 しきたりでは、花束の中に、新婦の母親がお手製の人形を作って入れておく。

 海神が花嫁を奪いに来ないように、その身代わりにするために……。


 だが、マリーヌの義母は、そのしきたりを無視した。

 身代わり人形の代わりに、花束の中に浜辺に咲く白い花、アラリアをそっと入れた。


 アラリアの花言葉は「私を迎えに来て」というものだった。



 マリーヌが海神への贄として選ばれたことは、すぐに彼女の生家であるプテーリー家に伝えられた。

 侯爵は一度瞬きをすると、頷いた。

 マリーヌの義母は「お気の毒に」と言って俯いたが、その唇は三日月のような形だった。



◆◇マリーヌ視点◇◆


 私は高い塔の一番上にある自室に戻る。

 この塔は、幽閉するための建物だ。

 冤罪で幽閉された者もいたらしく、本棚には報告書や手記が残されていた。


 おかげで王族しか知り得ない情報を、得ることが出来た。

 何よりもこの部屋からは海が見える。


 それが一番嬉しい。


 残された手記の一つには、海洋国家としてオキアヌス国が名を馳せていった過程が綴られていた。

 更に九年に一度、不漁が訪れることも記してある。


 なるほど。今年がその年なのだろう。

 わざわざ海神に贄を捧げるというのは、よほど魚が獲れなくなっている証左だ。


 では九年前はどうだったか。

 私は詳しく覚えていない。

 ただ、王宮でしばらく、起き上がれない日々を送っていたのがその頃だ。

 前国王が崩御されたのも、ベッド上で聞いた。


 今年の不漁の原因は、おそらくプテーリー家が交易船で不法投棄を行って、海が汚れたからだ。

 私が国王に嫁ぐ前から、父はこっそり行っている。


 海を汚したことで、海神の怒りを買ったのは間違いない。


 お付きの侍女サーラが運んで来た夕食は、いつもより豪華だった。

 生家にいた頃よりも栄養状況は改善され、私の身体は少しずつ脂肪がついた。


 だが、迂闊に美しさを誇示すれば、国王は王宮に呼び戻すだろう。

 せっかくここまで白い結婚を貫いてきたのだから、解放されるまで「骸骨妃」のままでいよう。

 贄となったことに恐怖はない。

 海に身を捧げることは、決して嫌ではないのだ。


 むしろ……。



 窓から夜の海を眺めると、彼方に青い光が点滅している。

 私も身に付けている鱗を手に取り、海に向かって振った。




 その頃。


 国王フィービーは側妃パセリアと寝室にいた。


 ようやく、あの骸骨正妃を追い出せる。

 見た目以外、問題のない正妃なので離縁は難しいと言われていた。


 今年、不漁が続くと、王宮に何回か密告があった。

 正妃の実家、プテーリー侯爵家が海に不法投棄を行っている、と。

 その中には、鉱山からの毒性を持つ廃棄物があるのだ。


 プテーリー侯爵に問いただすと、投棄したことは認めたものの、不漁の原因になるようなものはないと言い切った。


「海神様に、何か捧げるとよろしいのではないでしょうか。……例えば、生贄とか」


 侯爵は目を細めて言う。


「不用な物は、捨てるに限りますよ、陛下」


 なるほど、とフィービーは思う。

 離縁が無理なら、捨てれば良いのだ。


 しかも国難の危機を救うという役割を与えれば、王太后わが母とて文句は言うまい。

 念のため、王大后が他国へ行っている間に、贄の儀式を終わらせようと国王フィービーは画策した。

 それが本日の公卿会議だった。

 会議の冒頭では反対する大臣やつらもいた。人命を賭すことへの忌避感である。


「反対する者の一族には、我が国の港の使用を禁じる」


 そう言うと皆、不承不承ながらも従ったのだ。


 フィービーは隣のパセリアを抱きしめる。

 胸は勿論、それ以外の部位も柔らかい。


「リア。君をようやく正妃にしてあげられるよ」

「嬉しい! 大好きよ、フィー」


 十三夜の月光下、彼らの嬌声はいつまでも続いた。





 贄の儀式の日が来た。

 マリーヌにはお付きの侍女の他に、五人の侍女らが恭しく仕えている。


 マリーヌはサーラに言う。


「今日の化粧は任せるわ」


 サーラも頷く。


「本来の妃殿下のお美しさを、存分にお出ししますね」



 骸骨のイメージを壊さぬように、マリーヌが国王フィービーと会う時は、落ちくぼんだ眼窩と、こけた頬を強調するような化粧を施していた。


「妃殿下の真の美しさをご存知だったら、陛下も斯様なご命令を出されなかったでしょうに……」


 化粧をしながらサーラは涙ぐむ。


「泣かないで、サーラ。選ばれたことは光栄だから。……そうだわ」


 マリーヌは今日も身に着けている鱗の端を、ほんの少し折る。


「あなたにはお世話になったわ。だから……これを持っていて。絶対、手放さないでね」


 マリーヌは他の者たちにも、今夜はこの塔の最上階にいるようにと伝えた。



 陽は沈み、月が昇る。


 マリーヌは豪華な馬車で、岬まで送られた。


 岬では篝火が焚かれ、国王と側妃、大臣とプテーリー侯爵、そして神官が待っていた。


 馬車から降りたマリーヌは、国王らの前で礼を執る。

 その姿に、一同は息を呑む。


 そこに立つのは骸骨と呼ばれ、国王から見捨てられていた王妃ではなく、豊かな白金色の髪をなびかせた、女神のような女性であった。



 国王フィービーの喉がゴクリと動く。

 誰だ、コイツ。いや、この御方女性は。

 正妃は、これほどの美貌を持っていたのか。


 こんなに麗しい妃であるなら、贄などに選ばなかったのに。

 いっそ、側妃と……。


 フィービーの隣にいる側妃は唇を噛む。

 彼の瞳に宿る、男の熱を見て取ったのだ。

 側妃パセリアは、フィービーの手に指を絡ませる。


 フィービーは、ハッとして儀式の宣言をする。


「皆、大儀である!」


 神官は祈りの言葉を奏上する。

 月は皓々と海の彼方にあり、波は穏やかである。


「最後に何か御言葉を」


 神官に促されてマリーヌは艶然と微笑んだ。


「國民には平和を!


私を貶め、たばかった者たちには、

相応の報いを!」


 清々しい声であった。

 対して集まった全員の顔色が変わる。

 最も青ざめたのは、プテーリー侯爵だった。


 この期に及んで、彼は思い出したのだ。

 最初の妻、即ちマリーヌの母であった女の一言を。


『マリーヌを、大事にしてね。そうすれば、プテーリー家は幸運よ。

でもね……もし』


 顔色が変わる一同を振り返ることなく、マリーヌは岬の先端から海に向かって飛び降りた。


 波が跳ねる音が響く。


「ねえ、フィー」


 側妃の指が震えている。


「……何だ?」

「大丈夫、だよね、私たち」

「あ、当たり前だ。妃が落ちた場所は、ウミヘビの巣と言われている。きっと、良い贄になってくれるさ」


 フィービーは、己に言い聞かせるような言葉を発した。


 その瞬間である。



 低く重い地鳴りが響く。

 カタカタと椅子が揺れる。

 眩暈でも起こしたのかとフィービーは思った。


 だが、揺れているのは地面である。


「地震だ!」


 誰かが叫ぶ。

 立っていられない程の揺れが、岬を襲った。





 マリーヌが海に飛び込む少し前のこと。

 王太后は自ら馬に乗り、岬を目指していた。


 嫌な予感がして、日程を切り上げ帰国した彼女は、贄の儀式の件を聞き、耳を疑った。

 三国一の美貌を謳われた王太后だが、流石に疲労の色が濃い。

 肌も髪も、艶を失くしている。


 マリーヌ!


 彼女を失うことは耐えられない。


 馬鹿な!

 あれほど、あれほど正妃を大切にしろと言ったではないか。


 何故に王妃を贄にした。

 それ程までに、側妃を愛していたのか。


 我が息子ながら、ほとほと愛想が尽きる。

 儀式を止めなければ!


 岬が見えてきた。

 逸る気持ちで馬に鞭を入れようとした瞬間、王太后は馬から転げ落ちた。


 嘶いた馬は、来た道を戻って行く。


「ああ、ああ……。遅かった、か」


 這うようにして、王太后は岬の先端を目指す。

 せめてマリーヌが血を、一滴でも良いから、残していないかと……。





 激しい揺れは収まった。

 岬に集結していた者たちが、ほっとしたのも束の間のことだ。


 月に照らされた海に、あるはずの水面がない。

 ひたすらに砂浜が続いている。


 年配の大臣が我に返って叫ぶ。

 大きな地震の後に、海岸にいてはいけないという教えを。

 特に海水が一旦沖へ下がった後に、やって来るものがあると。


「波だ……大きな、大きな波が来る! 高台へ登れ!」


 言った本人が走り出す。

 他の者たちは、よろよろと歩く。


「お、おい! ちょっと待て! 国王を置いていく気か!」


 側妃の腰を取り、ふらふらと進む国王に、手を差し伸べる大臣はいない。

 舌打ちをしながら、護衛騎士の一人が国王の手を引っ張った。


 その時である。


 水平線の彼方から、真っ白い雲のような波が進んで来る。

 徐々に波の高さは増し、干渉を繰り返す。

 到達するまでに、波の高さは岬を越えた。



 最初に高台に辿り着いた大臣以外、皆、波に呑み込まれた。

 地面を這っていた王太后も例外ではない。


 阿鼻叫喚。


「誰か、助けて!」

「お、俺は泳げないんだ――!」

「俺を巻き添えにするなああああ」


 あっという間に、呑み込まれた人たちは水没する。

 ゴボゴボ息を吐きながら、彼らの目に映ったのは、地上と同じ様に水中を歩くマリーヌと、彼女の腰を抱く、美しい男性であった。


 水中でジタバタしていたフィービーの目が、大きくなる。

 マリーヌのあんな微笑みなど、見たことがない。

 誰だ。隣の男は!

 いやそれ以前に。

 何故二人は談笑しながら、水の中を動いているのだ!

 

 フィービーの横で手足を必死に動かしているパセリアは、口からほおっと息を吐く。

 マリーヌの横にいる男性に見惚れたようだ。


 プテーリー侯爵は、何度もマリーヌの側まで泳いで行く。

 その度に弾かれたようになる。

 侯爵の口から泡がこぼれ出る。


『すまない、俺が悪かった』


 そう言っているようだ。




 マリーヌは平然と父親を見つめ、にっこりと笑う。


「どうやら、皆様は相応の報いを受けられたようですね」


 水中であるにも関わらず、マリーヌの声は、水中に落ちた全員に聞こえた。



「まずは紹介いたしますね。こちらの男性は真の海洋帝国皇帝、クラトリア三世です」


 真の、海洋帝国……?



「海洋帝国であるクラトリアは、この海底に国家を築いており、九年に一度、その姿を海上に現します。更には……」

「その先は、俺が話そう、マリー」


 クラトリア三世の話は、大分簡略化したものだったが、水中にいる者たち殆どが初耳だった。

 曰く、このオキアヌス国は、海洋国家クラトリア帝国の持つ地上の土地を、一時的に借りて建国したものである。

 両国は基本不可侵の条約を締結しているが、帝国からの命には従うことになっている。

 しかしながら互いの文化や生活も尊重することとして、オキアヌス国と帝国の、高位の者同士が婚姻を結ぶことになっている。


 尚、婚姻に際しては、帝国の皇子が認めた者を娶ることが出来、それを反故した者は裁かれる。皇子の相手を攫ったり、傷つけたりすることも同じである。


「まあ、これくらいのことは、王族は既知であろう」


 クラトリアが青く光る眼差しでフィービーを見やる。

 フィービーはブルブルと顔を振る。


「し、知らない。俺は知らなかった……」

「そうか。お前の父、前国王は忘れていたようだから、九年前に我が父が訪ねたと思うが」


 フィービーは思い出す。

 父王が急死した時、王の部屋はなぜか、水浸しであったことを。


「まして、我が妻となるマリーを、よくもまあ、酷い目に遭わせてくれたものよ」


 クックとクラトリアが咽喉の奥で笑う。


「お待ちください! 誤解です、皇帝閣下!」


 マリーヌの父侯爵が、ひれ伏して言う。


「誤解? そもそも、お前の正妻は前皇帝の姪に当たる者。新たな血を欲しての婚姻だったが、父も叔父も大層後悔していたのだ」

「ヒッ! そ、そんなことは一言も……」


 確かに、侯爵とマリーヌの母を結婚させたのは、亡き国王だったことを、彼は思い出す。


「今更申し上げても、致し方ありませんね」


 薄く唇を開けて笑う娘を、絶望の眼差しで眺める侯爵であった。


「さて、話はこれ位でよかろう。皇帝の妻となる女性を贄とした愚かな者たちよ。裁きは我が配下が下す。心映えの良い者であれば、生き残る術もあろう」


 クラトリアが片手を挙げると、海底の奥底から、巨大な影がゆらりとやって来る。

 慌てて上方へと泳ぐ者や、凍り付いたように動けなくなる者もいる中で、一人の女性の声がした。


「お、お待ちください!」


 悲痛な声を上げたのは、後からやって来た王太后である。


「わ、わたくしはマリーヌのことを、幼い頃より大切にしておりました。侯爵家での扱いを見かねて、王宮に引き取っています! どうか、どうかご慈悲を!」



 クラトリアはマリーヌを見て「任せる」と言う。

 マリーヌは頷き、王太后に視線を向ける。


「確かに、王太后様には、いろいろとお世話になりましたわ」


 王太后は目を輝かせ、コクコクと頭を振る。


「でも、それは私の血が、欲しかったのですよね。海神族の血は、人間にとっては百薬となるそうですから」


 王太后の顔はみるみる色を失くす。


「私は母よりも海神の血が薄いですが、それでも女性の色香を長く保つくらいの効果はあったようですわ。おかげで一時は血を抜かれ過ぎて、深く意識を失くしてしまいましたが。

あれ以上抜かれていたら、母と同様、命を落としていたことでしょう」


 マリーヌの母が亡くなったのは、当時の王妃であった王太后が、医師に命じて大量に血を抜き取ったからである。マリーヌは幽閉された場所に残されていた、医師の手記から知った。


「だから、王太后様。あなたへの裁きも、しもべたちに任せます。

血を、吸うことの出来るもの達へ」


 マリーヌがパチンと指を鳴らすと、みるみるうちに王太后の周りには、細長い生き物が現れた。ウツボである。

 石の様に固まった王太后の全身に、無数のウツボが牙を剥いた。



 フィービーは必死に泳いでいた。


 自分がマリーヌに対して酷い扱いをしたとは、今の今まで思っていなかった。

 国王たる自分に、骸骨のような妃は相応しくない。

 そんな外見でいる、マリーヌの方が悪いと信じていた。


 だが、皇帝クラトリアの隣で、マリーヌは満開の花のような姿をしている。


 俺は、騙されていたのか?

 ひょっとして、見切られていたのは、自分の方だったのか!


 俺は悪くない悪くないと、ブツブツ呟きながら泳ぐ。

 片手でパセリアの腕を掴みながら。


「俺は悪くない。そうだよな、パセリア」


 後ろを振り返ったフィービーが見たのは、パセリアの一部であったろう一本の腕だけだった。


 水中でごぼごぼと息を吐きながら、闇雲に進むフィービーの前に、黒い大きな空洞がある。

 パニックを起こしているフィービーは、自らサメの口へと飛び込んだ。



 プテーリー侯爵は若い頃、自分でも船を動かしていた海の男である。

 泳ぎも得意であったので、他の者の悲鳴を聞きながら、浜辺へ向かって泳いでいた。


 マリーヌの母である前妻を、蔑ろにした訳ではない。

 ただ、後妻で迎えた女に、のめり込んでしまっただけだ。


 今ならば。

 この年になってからなら、あるいは……。


 水面近くまで来た。

 あと一息だ。


 裁かれることはなかったと、侯爵が安堵したその時である。


 いきなり何体もの白骨体、即ち骸骨らが現れた。

 ボロボロの衣服には、見覚えのあるマークが付いている。


 それは侯爵が持つ交易船のマークだ。


 では。

 まさか、こいつらは!


 不法投棄を咎められた時に、関わった水夫たちを全員殺して海に捨てた。

 彼らなのか!


 骸骨たちはカタカタと顎を動かしながら、骨だけの手で侯爵を引っ張る。何本もの手が侯爵を海底に戻す。


 取り囲む骸骨の群れを見ながら、ああ、マリーヌは決して、骸骨ではなかったのだと侯爵は思った。




 ほぼ同時刻。

 侯爵家では、夫人が地震によって、崩れた家具をどかしていた。

 地震には驚いたが、贄の儀式が成功した証だと彼女は思った。


 ようやく、気に入らなかった前妻の娘を葬ることが出来た。

 王子の婚約者だったから、命を取ることだけはしなかったが。

 思いつく嫌がらせは一通りやった。


 マリーヌが池で飼っていた、小魚を踏みつぶしたら、ぽろぽろ泣いたっけ。


 あの顔は良かった。

 背中がゾクゾクした。もっともっと苛めたかった。

 儀式には参加できなかったのが残念だが、まあいい。


 これで我が娘、パセリアが正妃だ。


 鼻歌交じりで片付けをしている夫人に、足音が聞こえた。

 夫が帰ってきたのだろう。


 ドアを開けた夫人が見たモノは、牛よりも大きな魚たちだった。


「!!」


 いや魚だろうか。

 足がついている。

 これは一体何だ!


 驚愕のあまり、立ちすくむ夫人の体を押し倒した巨大魚たちは、そのまま彼女を軽く踏み潰した。






 巨大な高波が起こった時に、辛くも一人だけ逃れた大臣は、震えながらも国の行く末を案じていた。

 思えばフィービー王子は王太子の教育もろくに受けず、国王として即位してしまった。


 フィービーの足りない能力を補うために、マリーヌに執務だけを押し付けていた。

 新国王はマリーヌを忌避し、享楽的な生活を改めなかった。

 亡き王の代わりに実権を握った王太后は、半数以上の大臣たちを篭絡していた。

 皆、おかしさを感じながらも王太后の出す指示や命礼に反対出来なかったのだ。


 この地震と高波は、神の怒りかもしれない。

 幽閉状態となってしまった正妃には、本当に悪いことをした。

 何故に贄の儀式など催行させてしまったのだろう。


 月は動き、闇は薄くなっていく。


 ふと顔を上げた大臣の前に、海に没したはずのマリーヌ妃がいた。


 慌てて低頭する大臣に、マリーヌは言う。


「あなたがこの国を、オキアヌス国を案じて下さる気持ちは良く分かりました。だから、あなたが伝えてください。国民に。そして残っている貴族らに」


「ははあ! なんと勿体ない御言葉」


 ぽろぽろと涙を流す大臣に、マリーヌは微笑む。

 慈愛に満ちた、女神のような笑顔だった。


「私は本当に愛していた方のところへ、向かいますので」


 マリーヌの笑顔は、その後の大臣の生きる力となった。

 過去は変えられなくても、未来を創っていくことは出来るはずだと。



 クラトリアの元に戻ったマリーヌは、皇帝に抱かれる。

 ようやく、本来の居場所まで辿り着けたマリーヌはほっとする。


「もっと、早くに迎えに行けば良かった……。マリー」

「いいえ、この断罪を行いたいと、勝手に私が思ったことなの」


 クラトリアは力を込めて、マリーヌを抱きしめる。


「もう、絶対離さない。君を守り抜く!」


 マリーヌとクラトリアは、終生片時も離れずに愛を貫いたという。




 その後……。



 オキアヌス国の海上に、春先になると不思議な風景が浮かぶ。

 それは蜃気楼。

 海の上に浮かぶ、宮殿の景色である。


 宮殿のなかで寄り添う、皇帝とマリーヌ妃の姿を見ると、幸せになれると伝えられている。

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