第80話



「ここって……」

「はいっ」


 薄暗くなり、夕暮れの色が染め上げている空の下。


 私と楓ちゃんが立っているのはとある高校の中庭。

 いや、とある――だなんて誤魔化す必要もない。


 私と楓ちゃん。

 二人が出会った場所。

 

 一人でつまらなそうに座っている彼女を見つけた場所で。

 そして、追いかけて声をかけた場所。


 先走ってベンチの前に立つ彼女に、私は中庭に通じる外の廊下でその姿を見る。

 まさにあの日と同じ立ち位置だった。


「いい、の?」

「いいのっていうと……グレーですね?」


 なんて昔の記憶に震える目頭とは裏腹に私は雰囲気も何も、大人としての疑念が浮かぶ。


 当然の疑問だ。

 社会人として、大人として今やっている行為はまさに不法侵入。私や楓ちゃんが高校生だったというのは今からもうかなり前のことで、そうでなくなった私たちにはこの敷地に入る権限すらない。


 ましてや、まだ部活をしている高校生がいる休日の夕暮れ時なんてバレたら立場がない。


 そんなことを分かっていながらもずけずけとついてきたのは私なんだけど。

 さすがに我慢できなかった。


 しかし、その質問には彼女も苦笑いのまま視線を逸らした。


「えっ。それはさすがにダメなんじゃ!」

「んふふっ」

「ちょ、楓ちゃん?」

「何を焦ってるんですか、先輩?」

「焦るって何も、私たちはもうこの学校の生徒じゃないし……これって不法侵入なんじゃ」

「そんなことを見越して、ほら先輩?」


 すると、彼女はすっとポケットから何かを取り出して私の方へ。 


「これは……許可、証」


 そして、くすりと馬鹿にするような笑みを浮かべ、肩を上下に震えさせる。


「っぷふ。先輩、まさか許可取ってないとでも思ったんですか?」

「え、いや、だってそれは楓ちゃんが!」

「そんなわけないじゃないですか。私がそんなことするわけありません」

「でも、本当に何も考えてないのかと。楓ちゃん昔からたまに抜けているところあるし」


 そう、意外と。

 あれだけ友達はいらないとか言っていたはずなのに、翌日には知らない子に話しかけられておどおどしていたりしたし。


 あの時はそれで私が話しかけたっけ。

 まぁ、そんなことしちゃったせいかすごく機嫌が悪くなっちゃったけど。


「……」


 思い出混じりに見つめる。

 笑っていた顔がすぅっと消えて、むすっと頬を膨らませる。


「それ、先輩には言われたくありませんし」

「私は自覚してるよ、そのくらいは。哉先輩によく言われるし」

「藻岩さんが……って。そうじゃなくて、にしても失礼なこと考えますね?」

「失礼も何も、事実じゃん」


 そう言うとまたさらにムスッと頬を膨らませる。

 こうして冷静に見てみるとこれまた可愛くて、あの頃のように接したくなる。


 だけど、そういうことはやめたんだと自分に言い聞かせる。


「事実じゃん」


 夕暮れ時。

 そう言えば、烏が鳴いた。


「先輩」

「ん、楓ちゃん?」

「私がそんなことするわけないじゃないですか、先輩を陥れるような危険があることをするわけないじゃないですか」


 烏の鳴いた後。

 彼女はゆっくりと私の方へ近づいてきた。

 ゆっくりと距離を縮めて、そして、そっと右手を私の胸に当てる。


「だって、だって――」


 涙ぐむ。

 大粒の涙をぽつりと一時の雨のように地面へ落とす。


「好きだったんですから、ずっと」


 重みのある言葉だった。

 嘘偽りなんかなくて、ただ真っ直ぐに純粋に私を見てくるその瞳で、その言葉。


 でも、楓ちゃんは流す涙をぬぐって慌てたように顔を隠そうとする。


「あ、あれっ……おかしいなぁ、おかし、い……なぁ」

「楓ちゃん」

「決めた、のになぁ……止まって、なんでぇ。これっ――うぅ」


 私のしたことだから決着をつける。

 責任を取る。


 そう思っていた。


 なのに、あれ、どうして私は彼女を泣かせているんだろう。

 

「諦めるって――決めたのにっ」


 その言葉を聞いて、私はこめかみを殴られたかのように声が出なかった。

 心底から出る痛みの声。

 ここで、出会った場所で、話しかけた場所で、仲良くなっていく過程で。


 私が壊した。


 そう思うと勝手に体が動いていた。


 ぎゅっと手に力がこもる。

 彼女が胸に置いた手が離れていく――その瞬間を見て、私の手がその手を掴んだ。


「っ」

「せ、先輩……手」


 恋仲ではない。

 私はそういう目では見ていない。

 だけど、それだけど。


 彼女のことは大切にしたい。

 大切な後輩で、大切な友達で。


 もう一人で一人前で、頑張って研究をしている立派な後輩だ――なんて決めつけ。


 楓ちゃんは何もあの頃のままだったじゃないか。 

 自分で背負い込んで、きっと円満に終わらせようと必死で、ここに来させてくれた。

 私が社会的に危ないとか考えるよりも先に考えて、動いて。

 それもすべて、私に悪く思わせないために。


 私の馬鹿だ。

 大馬鹿だ。


 哉先輩に自分でやるからと言っておきながら、結局楓ちゃんに背中押されてしまっている。


 情けないなぁほんと。


 —―でも。

 それでも。


「楓ちゃん」

「せんぱ――っん⁉」


 そっと、いやぎゅっと強く抱き寄せる。抱きしめる。

 胸の奥へ、押し当てるように抱きしめる。


「ごめんね。私、言うべきこと全然言ってなかった」


 そう、言わないと。

 なぁなぁにして逃げていた、目を逸らしていた言葉を言わないといけないんだ。


「せ、んぱい……い、痛い、ですっ」

「あっ、ごめん」

「だ、台無しですっ」


 するすると手元から抜けていこうとする彼女を、逃げようとする彼女を私は離さない。


 今度こそは逃がすつもりも、逃げるつもりもなかった。


「台無しって、別にいいんだよ」

「よ、よくありません……私は先輩に、気持ちよく」

「ほら、そういうところだって。別にいいのは」


 見透かされたと思っているのか楓ちゃんはこちらを見ていた視線をやや落とす。


「気持ちよくとか、いいの。別に。何も一人で背負い込まないでよ楓ちゃん」

「背負い込んでるわけでは……ただ。ただ私は先輩が幸せになることを」

「楓ちゃんにそんなことを気にされなくても、自分で幸せになるし」

「うぁっ……ひ、ひどいことを」

「ひどくない。事実」

「っ……」


 言い負かされて、ぼそっと悪態をつくように呟く。


「藻岩さん……かっこよくて、仕事できますもんね」

「それに、いっつも助けてくれる」

「羨ましいですよ。私、私なんかじゃ到底勝てないなって――思いましたから」


 勝つとか勝てないとかじゃない。

 そんな物差し以前に、彼女は彼女のまま。


「でも、そんなことは関係ない」


 私は楓ちゃんだから、思っているのだから。


「関係なくは――」

「楓ちゃん、ありがとうね」

「えっ」

「私のこと色々考えてくれて、そんなに好きでいてくれて」

「……ぅ」


 引き戻したくない。

 そう思っている弱い自分を覆い隠し、楓ちゃんだからこそ言わないといけない台詞を喉から出す。


「私、でもね。好きな人がいるの。とっても好きな人が」

「—―知ってます」

「だから、楓ちゃんの気持ちには応えられない」

「知って、ます……」


 あの日、忘れていたことを言う。


『先輩、好きです!』

『—―っあ、えっと、その』


 逃げた光景が脳裏に過る。


「—―先輩っ」


 噛みしめながらそっと抱きしめる。

 

 そして、吐き出す。


「—―私は先輩が、藻岩哉が好きなの」


 夕暮れ時。

 すっかり沈みそうな太陽がガラスに反射して中庭をうっすらと照らす。

 烏の鳴き声と部活動の喧騒の中。


「っ……ありがとね、楓ちゃん」

「うっ……ぁ……ぁ」


 溢れていたものが互いに決壊した。







◇◇◇◇◇







「……先輩、すみません。胸元」

「ん? あぁ、いいのよ。このくらいは」

「だって、せっかくの洋服が」

「気にしすぎよ。これ、そこまで高くないし」

「そう言う問題じゃ」

「いいの。学生がそういうこと気にするんじゃないのっ」

「っうぅ。子供じゃないのに」

「子供みたいなものよ。後輩だし」


 タクシーの中。

 散々泣いて、泣き合って、互いに気持ちをぶつけた後のこと。

 真っ暗になった道とは裏腹に晴れ渡った心を胸に。


「—―偽物のくせに」

「あっ」


 胸違いという結末になったのだった。










<あとがき>

これにて、後輩ちゃん編終了!!

ようやくイチャイチャが書ける!!!

遅くなってすみませんでした!



というか、先日レビューいただきありがとうございました。なんだかいきなりPV多くなったからビビりましたね。


PS:今年末から来年頭は就活と言いますか……色々忙しいので今回のカクヨムコンには参加できないかもしれません。

 ただ、気が向けば書くかもしれません!


 それと、サマータイムレンダ見ました。めっちゃ良かったですね。おすすめです。


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