第79話



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「楓ちゃん?」


 ほんの数秒だけのことだった。

 私の声掛けに応答がないぼーっとした彼女。

 その姿は昔の彼女そのものだった。


 出会ったときも、それから仲良くなっていく過程も、それで離れてしまうようになったときも。いつもどこか、遠くを見るようなそんな視線を浮かべる姿。


 まるで、彼女自身が私に向けて責任を取るきっかけを作ってくれているような気もした。


 って、そんなわけない。

 楓ちゃんはそこまで器用な子ではなかった。

 だからこそ、今も、昔と変わった私を見て取り戻そうだなんて話しかけに来るんだから。


 その責任は私にあるし、これもきっとプライドとか、逃げ出したいなって表に出てくる弱い部分をなんとかしようとしてくる私の深層心理だと思う。


「……ふぅ」


 私だって知っている。

 恋した相手に届かない痛さは重々わかる。

 恋愛の酸いも甘いも、そして暗い部分も経験したんだから。

 そんなことを忘れていたんだなんて情けないって話だ。


 先輩はじめせんぱいにされてばっかりだった後輩わたしが、先輩わたしとして後輩かえでちゃんへ。


 って、何カッコつけてるんだろう私。

 純玲に聞かれたら墓場まで馬鹿にされそうだ。


「っ――もぅ!」


 そして、私はぼーっと背伸びをするかのように立っている楓ちゃんの頬を冷え性の両手で包み込んだ。


「っ――――へは⁉ つめた‼‼」

 

 手がピタッと肌に覆いかぶさる。

 感触はまるでお餅、いやマシュマロかも?

 肌触りと言えば赤ちゃんみたいな張りが合って……凄い、若いって。

 私よりも二歳下なだけあって、シミもないし、綺麗だし、真っ白すぎるし、全く違う!


 ちょっと悲しい。

 おば、おばさん……も、もうアラサーだったんだ。



 ――って、じゃなくて、違う違うわよ、そうじゃない!

 ていうか。何後輩に嫉妬しているの私は。


「うりうり~~」

「ち、ちめ……ひゃぁ。な、にゃに、するんでしゅかぁぁぁ~~」


 頭の中で嫉妬していたのか、そのまま後輩のお餅のような頬をむにむにと左右に触り続ける私。

 さすがに、途中でハッと目が覚めて驚いて見開いている彼女の目を見つめながら名前を呼んだ。


「か、楓ちゃんっ」

「なんなんですか……ことり先輩。その、痛いですよ急に。冷たいですし」

「あははは。ごめんごめん。でもそっちでしょ? 急にぼーっとしてたのは」

「ぼーっと……私が、ですか?」

「うん。十秒くらい固まってたわよ?」

「うぇ⁉ そ、そんな……すみません、ちょっと考え事が……」

「考え事?」

「は、はい――あ、それまだ言っちゃいけないこと、ん!」


 そこまで言って彼女は自分の口を両手で覆い隠した。


「な、なんか全部言っちゃってない?」

「い、言ってません……」

「言ってないの?」

「う……」

「言って――」

「言っちゃいました!! もう、もぅ!」




◇◇◇◇◇◇◇◇




 それから数分後。

 私たちはスタバのテラス席に座っていた。


「先輩の意地悪」


 悪態をつきながら目の前のバスボムの袋を指でなぞる彼女。

 そんな姿を見ながら、私のほうは新作のハニーアップルフラペチーノを喉に流し込み苦笑いを浮かべる。


「はは......別に、そういうつもりはないんだけどね」

「なくても関係ありませんってば。それに、前科がありますし」

「前科って。私、これでも経歴は綺麗さっぱりなほうよ?」

「......何をあたりまえなことを」


 割と冗談を言ったつもりなのに楓ちゃんの方はムスッとした顔で呟いた。

 と、始めてかのように言ってみたけど、これもやっぱり懐かしい。

 最初の頃のムスッとした姿も、なんだかんだおっちょこちょいなところも、そしてこうして敬愛してくるところも。


 やりすぎなくらいに、歯がゆいというか。

 それに、彼女が言うほど私は綺麗ってわけではない。


「昔から変わらないね、楓ちゃんは」

「これでも変わりましたよ」

「え、そうなの?」


 見た目、そして私服、さらには性格までほとんど昔のままな気がする。


「友達できましたから」


 友達。

 まるであたりまえな言葉に私は驚いた。


「そ、そうなの!?」


 そして、嬉しさのあまりテーブルを挟んで向かい側の彼女の両手を握りしめて立ち上がっていた。


「ちょ、先輩!」

「――だって! すごいじゃん! あの楓ちゃんに友達ができるなんて......ねね、どんな子?」

「や、やめてくださいってば! は、恥ずかしいです......もっと静かにお願いします」

「ん?」


 立ち上った私と、引っ張られるようにして中腰気味の彼女を見つめる周りの人たち。奇々怪々ないい大人二人に対して、彼ら彼女らの視線が刺さる。

 隣のお兄さんに至ってはちょっと怖い顔でこっちを睨んでいて、一瞬で腰が怯む。


「あっ.......すみません」

「先輩のばかっ」


 後輩の前で縮こんでいるとそんな後輩は私よりもさらに恥ずかしそうな顔をしながら、さらに顔をしかめている。


「ご、ごめんってば。ちょっと嬉しくて」

「......まぁ、別にいいですけどね」

「優しいね、楓ちゃんは」

「そりゃ、これでも長い付き合いなんですから。わかってますよ、ある程度は」

「最近は会ってなかったけどね」

「むぅぅ......そういうところですよ、ほんとっ」

「あははは」


 そしてまた苦笑いを浮かべて、ギスギスしながらもなんとも言えない空気が流れていく。


 手元を見るとハニーアップルフラッペはもうあと数センチ。

 これでもグランデサイズを買ったはずだというのに、時間が過ぎるのはこれでもかというほど早く感じた。

 そんな私と同様に楓ちゃんが吸うストローからは「ガラガラ」とした音が聞こえ始める。


 まさに、仕組んだかのように流れるBGMに合わせて、私は口を開く。


「――」

「先輩」

「えっ」


 しかし、早く口を開いたのは私ではなく彼女だった。


「先輩?」

「な、何?」

「聞いているのならいいんです。その、最後に行きたいところがあるんです」

「行きたいところ......?」

「はい。だから、いいですか?」



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