第75話


 ひとまず、彼女とことりとの話し合いの発展と言う部分はあまり分からなかったが一つだけ彼女について分かったこともあった。


 一言で言うなら、芹沢は仕事ができるやつだった。


 22歳で大学院1年生。

 同期の子たちは社会に出て働いている中、修士課程に進学することを選び、もう二年間を大学の狭い研究室で研究をする。

 そんな選択をした彼女がだ。


 もちろん、俺もそんな一人だったから言える。

 社会に出たときは右も左も分からず、半年以上も鮎川さんにつきっきりでノウハウを覚えたり、欠如してる知識も覚えたりして、一年経ってようやく一人でなんでもできるようになったくらいだ。


 それでも鮎川さんには凄いって言われたが、きっと彼女は俺よりも凄い。

 人事部がここにいたら、面接なんて適当でいいから今すぐに欲しいと言いかねないほどだ。


 回した仕事はすべて完璧にこなし、俺や鮎川さんが考えて行ってきた方法もたった一度だけ見せれば覚えることが出来る。

 

 そこには単なる暗記とか今までの勉強で培っただけでは手に入らないような感覚や経験が必要だと言うのに。


 まるで、予習して完璧にしてきたと言わんばかりの活躍ぶりで彼女は研究室内でも話題になった。


 だが、生憎と担当しているはずの俺とは相性が悪かった。

 口を聞けば「はい」か「いいです」の返事だけで、さすがにこのままじゃまずいからと「一緒にお昼でもどうかな?」と聞けば「嫌です」と言ってくる。


 仕事以外の休憩中に目を合わせれば睨まれてから逸らされるし、何とか話せたとしても「っ」と猫が威嚇するような視線を向けられるし。


 挙句、同僚のお姉さん研究員には「あの、藻岩くん。もしかして彼女こと狙ったりでもしたの?」と勘違いされる始末。


 よほど、俺のことが嫌いらしい。


 どれだけことりのことが好きなのか俺には分からないがその憧憬の眼差しは嫌でもことりが好きだと言うことが伝わってくる。

 俺の知らないところで色々と話し合っているし、するつもりだから今回は大丈夫って言ってくれたけど仲良くやってくれているのだろうか。


 俺が心配するのもおかしな話かもしれないけど、そんな憧憬とは別に彼女の目には躊躇や迷い、はたまた悔恨じみたものも少しだけ見えてくる。


 正直な話、俺も一緒に参加したいくらい不安だが逆効果になれば仕方がないだろう。


「あの藻岩さん?」


 そんなことを考えていると、噂をすればなんとやら。

 芹沢彼女から声がかかった。


 いや訂正。

 俺は今、新たに装置の使い方をレクチャーしている。

 クリーンルームで、作業着を身に纏いながら。


 目元しか空いていない作業着の視界から彼女がピンセットを片手に俺に尋ねていた。目を見開き、そしてジトッとする湿った眼つきで「何ぼーっとしてるんですか」と言わんばかりの表情で見つめ、睨みつけてくる。


 目鼻立ちもしっかりしているし、小柄な割に綺麗だ。

 言うなれば、校庭の隅っこで凛と咲くシロツメクサのような。勿論、誉め言葉だし、後輩に愚痴みたいなことを言う俺ではない。


 無論、ことりの方が綺麗だとは思うけど。


 しかし、目が怖い。

 恨みつらみなのか、それともそう言う目なのか。


 いや、彼女は前者だろう。

 俺はこの土日でことりと一歩進んだと共に、彼女のことを尋ねていた。

 ことりとの関係や、その出会い。


 二人の出会いはそこまでいいものではなかったという。

 ことりが一人でご飯を食べている彼女を見つけて話しかけて、うっとおしがられて。

 でもことりはそんな彼女を放っておけなかった。

 今よりも強く、視線を鋭く、苛烈な顔で一人でいる彼女を気にかけて、そして芹沢が折れたという。


 さすがは俺のことり。俺の彼女。未来のお嫁さんだ!


 なんて誇らしげにしたいが、いい大人としてそういうのはやめておこう。


 とはいえ、その理由は重苦しいものだった。

 理由はいじめ。

 周りは変えようとはしてくれず、良くしてくれる母にはあまり心配させたくない。

 そんな中、ことりが現れた。

 

 そして、芹沢もことりに惹かれていった。

 このご時世そういうこともあるだろうから理解はしているし、俺には気持ちも少しだけ分かる。


 ことりのあの優しさはほれざるを得ない。

 まぁ、当時の俺は半ばそうでもなかったけど。今考えてみればあのお節介も一緒だった。


 優しいものだ。


 ただ、それが故に。


「あの、仕事いつもそんな感じなんですか?」


 この睨み様というわけなのだ。

 

「あ、いやそんなことはないんだけどな。どうやら今日は調子が悪いみたいだ」

「へぇ、そうですか」


 相も変わらず怖い。

 というか、睨みが疑念を帯びてきている。

 ――この人、私が思っていた通りの仕事もできない人間なんじゃないか。


 って思われてる気がしてきた。


「あぁ、っとそれで。ここはピンセットを純水で洗うんだけど」

「こうですか?」

「そうそう。凄いな」

「いえ、別に」


 頬が赤――って照れてるわけないか。

 勘違いだろう。


「それで、ここをこう押してだな」

「はい」

「それが終わったら今度はこっちの装置を使うから電源を消して洗浄する」

「そうなると、こちらも制御はしなくていいんですか?」

「ん、あぁ。そこは自動でやってもらうんだよね。そこのプログラムは別で作ってるんだけど流石にそこまではやらないでいいかな」

「え、いいんですか?」

「あぁ。それともやりたいか? ちょっと長くなるけど」

「これでも、情報系は齧っています。1か月もいるのに、そのくらいはやっておきたいです」


 何よりも、照れでもなんでもなく彼女は物凄く真面目なだけだった。





◇◇◇◇◇◇◇


「ことり先輩!!」

「あ、あの、哉先輩? これはどういう?」

「あ、あぁ……それはその。すまん」









あとがき

 遅れてすみません!!

 

 


 




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