第74話


『っちゅ……ぁぅ』

『んふっ……んちゅぅ……ぅ』

『ぷはぁ』


 脳裏をよぎる昨日の朝の景色。

 うっすらと目を開けていた俺に見えていたのは彼女の恍惚な表情。


 麗らかで、滑らかで、艶やかな薄桃色の唇。

 エメラルドブルーの瞳を隠す白い瞼と、煌びやかに伸びる長い睫毛。

 

 彼女が綺麗なことは分かっていたが、やはりあそこまで近づくとドキドキするくらい魅力的だった。


「……あぁ、いいなぁ」


「……何がいいんすか、哉さん?」

「うぉっ……なんだ、久遠か。びっくりした」

「何がびっくりした~ですか。思いっきり顔に出てましたよ、今の惚気みたいなやつ」

「え、まじで?」

「大マジです。というか、そんな美味しそうなお弁当食べながらそんな顔されたら分かりますよ」

「……そ、そうか」


 今俺たちがいる場所は会社の食堂。


 目の前にはいつも通り、安定の久遠が鎮座していてテーブルの上には昼食のかつ丼定食が置かれていた。


 俺は俺でことりに作ってもらったお弁当を食べていたのだが、どうやら昨日の出来事を思い出していたのがバレていたようだった。


 自重しないと、と言いたいところだが。


 生憎とあの景色は久々すぎて忘れることもできない。昨日の今日で、まるで中学生みたいな話だがすぐに浮かんできてしまう。


 我ながら、突如現れたライバル(?)の登場に焦っているのかもしれない。


 まぁ、こればっかりはライバルと言っていいのか分からないけど。なんなら、さっきまでつきっきりで教えていたわけだし。


「いいこと、あったんすか?」

「う、……ま、まぁな」

「へぇ……ようやくって感じすかね?」

「ようやく、言い方によれば、そうなるかもな?」

「おぉ、おめっとさんですね! したんすね! あれを!」


 分かっているのか、久遠は俺の方を見て満面の笑みを浮かべる。

 俺は少しだけ心配になって聞きなおしてみることにした。


「ちにみに聞くけど、久遠の言うところのあれっていうのはなんなんだ?」

 

 俺よりも経験があり、女性との酸いも甘いも何もかもを知り尽くしている彼から見てみれば達成したものはまさに小さなものだ。

 

 そんな小さなものを請うも大げさに言われるとちょっと恥ずかしい。


「……せ、っく」

「ちょっと待て。話が飛躍しすぎだ」

 

 どうやら、俺の心配と懸念はあっていたらしい。

 すぐさま口を押え、真面目に言い返した。


「そこまで進んでないから、それじゃあその話は終わりで」

「—―いや、聞いてきたのは哉さんの方でしょ、ていうかまさかこの期に及んで”キス”とか言いませんよね?」

「……だから、いいから」

「っぶ、図星」

「笑うなよ!! いいだろ、俺たちのスピードで!」

「いや、あまりにも子供すぎるなと思いましてね……っぷは、すみません」


 肩をぷるぷると震わせながら笑みを溢す姿にちょっとイライラしつつ、確かにそう言う意味では色々と子供なんだよなと納得しつつ。


「にしても、そういう久遠の方は今日はここの飯なのか?」


 そんなわけで話を変えるべく、俺は久遠の目の前のかつ丼定食へ目を向けた。


「というよりも、三澄さんと付き合ってからお弁当作ってもらったりしてるんだっけ?」

「哉さーん。忘れたんすか?」

「ん?」

「逆っすよ逆」

「逆……あぁ、そういえばそうだったな」


 思えば、俺とは違って久遠は家庭力はかなりある方だったか。

 何なら前の彼女と別れた原因が「仕事から帰って料理を作ってたらぐーたらスマホいじってただけ」と言うふうに聞いていた。


 性格がこうだからかすれていたがやっぱり、モテる男なんだよなすることが。

 こういうところはやはり、見習うべきところがあるというか。


「毎回僕が弁当作ってるんですけど今日は面倒でというか、純玲ちゃんなんだか体調悪いらしくて」

「へぇ、大丈夫なのか?」

「まぁ、その……言っちゃあれなんすけど。月一の」

「あぁ。それは仕方ないな」


 これに関しては察してあげるのが一番だった。

 何せ、ことりにもあることだし。


「でも看病とかいいのか?」

「それに関しては俺も言ったんすよ? 重いなら休むし、看病するよって。でもそれ言ったら『こんなので毎月彼氏を休ませたら仕事にならないでしょ』って一蹴されて」

「強いんだな、三澄さん」

「はい、びっくりっす。ただ……そういうところにも惚れますね」


 そう言いながら久遠はニヤリと笑みを浮かべる。

 俺に色々言っていたくせに、自分もじゃねえかとツッコミを入れたくはなったが理由が理由なだけに開いた口を閉じることにした。


 それから数分ほど仕事の愚痴やらなんやらを聞きながら食べ進めていくと、唐突に背中の方から声がかかった。


「あの、藻岩さん」

「は、はい!」


 声を聞いただけで誰だかわかった。

 ついほんの数十分前から話していた声で、誰なのか容易に想像できていた。


「あ、せ、芹沢さん? どうかした?」


 そう、件の女の子。

 所謂、俺に対するライバルというやつだ。


「仕事、もうそろそろ時間なので」

「あ、あぁ、そうだな。すぐに行くよ」

「待ってますからね」

「おぅ」


 不思議な関係性のせいでむしろ俺の方がちっちゃくなっていると目の前の久遠が橋にカツを挟みながら、こう言った。


「—―浮気はいけないっすよ、しかも尻に敷かれて」

「いや、ちげえよ」


 予想できないライバルとの戦いはもうすでに始まっていた。






あとがき

 遅れてすみません…。

 それと、☆700ありがとうございます!!

 









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