第73話
そして、翌日。
寝起きと俺がいたことでやや荒々しかった芹沢もなんとか宿泊先のホテルに帰し、休日が始まった。
俺がいたことで――なんて言ってはいるものの、実際昨日寝落ちして芹沢とことりが泊ったのはいかにも俺の家だから当たり前なのだが。
色々と聞けば闇が深かった二人のことを考えて甘んじて受け入れることにした。
正直な話、そんな人がインターン生で一緒に仕事をするのもなんだか気分も乗らない。ただ、今回はことりが何とかしてくれると言っていたし、仕事は仕事でそれはそれだ。
なんとかこなしていくしかないだろう。
「哉先輩、食べないんですか?」
つらつらと自問自答している俺に、食卓を挟んで反対側に座ることりは少し心配そうに顔を覗いてきた。
「ん、あぁ。ごめん。考え事」
「そう、ですか……てっきりお気に召さなかったのかと」
「そんなわけないよ。いつもありがとな」
「っ……は、はい」
感謝が不意打ちだったのか、ことりは少しばかり頬を赤らめながら視線を逸らす。
色々とあるが、この可愛さだけは相変わらずだ。
「いただきます」
手を合わせて、しっかりと声に出す。
こうやってしっかりと挨拶するのは面倒なことも多く、一人で食べるときはあまり言ってはいなかったものの、やはり大事なことだ。
俺が挨拶したのを見て、彼女も一緒に手を合わせる。
テーブルの上にはことりが作ってくれた昼食のシーザーサラダとハムチーズのホットサンドが綺麗に並べられていて、喉が鳴る。
まずはサラダを小皿によそって、ドレッシングを上から掛ける。
そして箸で掴んで口の中へ入れるとレタスのシャキシャキ感とコロコロした触感がシーザードレッシングも相まってとても美味しく感じられた。
勿論ホットサンドも言わずもがなで、口に入れると黄金色の食パンがサクサクッと音を立てる。そのあと、中に入っているハムチーズがふわり、とろっと解けるように口の中へ消えていく。
よくテレビの食レポの時に聞く、所謂「外はサクサク中はトロトロ」ってやつだ。
「ん、うまいな」
「ありがとうございますっ」
「まぁ、これくらいおいしいもの作ってくれるのなら、女性でも好きになるわな、そりゃ」
すると、ことりが嬉しそうな顔からちょっとだけ嫌そうに苦い顔をした。
冗談と誉め言葉を混ぜたつもりだったのだがあまりよくはなかったようだ。
「哉先輩、やめてください……そういうのは」
「あ、いや別にいじめてるつもりじゃないんだ。そのただ、美味しかったし、あんなこともあったし、ユーモアを――」
「ジィ――――」
「いや、なんでもないっす、すんません」
ジト目、というよりはどちらかと言うと睨みつけといった感じ。
普通に怖い、やっぱりことりは怒らせると恐ろしい。
「別に私は怒ってはいません。ただその、そんな軽々しく言われるのが嫌だっただけですから」
「そ、そうか。俺も気を遣わずにごめんよ。とにかくご飯はめっちゃおいしいんだ」「ならよかったです……」
ちょっといざこざしてしまったがやはり口に入れると美味しさは格別だった。
バクバクと口に入れていくとあっという間になくなり、俺は手を合わせて「ごちそうさま」と呟く。
「おそまつさまでした」
「美味しかった。ありがとな」
「はい。でもそんなに褒めても何も出てきませんよ」
「見返りなんて求めてないって、とにかく美味しいって伝えたかっただけだよ」
「なら、いいんですけど……」
どこか不服なのかほっぺを膨らませる彼女。
あれ、言われるのが嫌だったんじゃないのだろうか。
疑問に思いつつも、それならばと声に出してみる。
「ほしいのか?」
「そんなわけないです」
「は、初めてだけど……キスしたいな、俺は」
「今⁉ ですか」
唐突すぎるその話。
確かにその通りだったが、したいのは事実。
ことりがいいのであれば、キスくらいなら今すぐにでもしたかった。
実際のところ、まだしたこともないし、ことりもすぐにしてくれるとは思っていないけど。
見返りと言う形でするならば――いけるかもしれないと考えが及んだ、という。
こうやってことりが作ったご飯を堪能した後、ことり自身も堪能する――的な。
っていうか、きもいな俺。
しかし、きもい俺の予想とは裏腹に彼女の反応はまんざらでもなさそうだった。
「……い、いいです」
「やっぱり、だめか」
「違います! いいって、いいよって……ことです!」
「え、ほんと? いいの、しても?」
もう一度尋ねるとことりは頭を上下に振る。
うん、うん。
と承諾の合図。
本当にいいとは思ってはいなかったからか、驚いたが自分で言ってやっぱ無理なんては言えるわけがない。
「じゃ、じゃあ――しても、するぞ」
「—―み、見返りで、ですか?」
「……まさか、本心で」
「っじゃ、じゃあ――」
すると、テーブルの反対側で目を瞑り、くいっと唇を差し出してくる。
初めてのキス。
もう少し先になると思ってはいたがまさか今日来るとは。
芹沢が来て内心焦っていたからなのかどうなのかは定かではないものの。
彼女がこうして乗り気になってくれている。
もはや乗らないわけにはいかない。
このビックウェーブに。
ビックウェーブ先輩もそう言っているだろう。
目のつぶったことりの顔。
整った垢ぬけた美しい女性のそれは、まさに引き込まれるものだった。
こうされるとドキドキしてくるが、意を決する。
「んっ」
「んふっ……んちゅぅ……ぅ」
席を立ち、横から回り込むように彼女の方へ行き、そのまま静かに唇を奪う。
唇がぴたりと触れ合うと彼女の体がぎゅっと強張った。
俺は探るように唇を押し付けながら、空いた手を拳を握っていることりの手にゆっくりと重ね合わせる。
「っぅ……んん」
「っちゅ……ぁぅ」
漏れ出る声。
あたかも、ことをしているかのようで興奮が追い上げてくる。
さすがに、これ以上はやばいなと感じ唇を離して、目を開けた。
「あぁ……うん」
「ぷはぁ」
色っぽい。
舌まで入れるようなものではないものの、やはり彼女のキスはどこか麗らかで妖艶だった。
「大胆、だよな」
このままはやばいとあふれ出そうな気持を抑え込みながら、冗談を呟く。
勿論、真実ではあるがことりは恥ずかしそうに頬を膨らませた。
「お互い様ですっ」
「俺よりも大胆だって。さすがに」
「……すみませんね、え、えっちで」
「誰もそこまで言ってはいないけどな」
「うるさい、です。っ!」
「いだっ!」
照れの一撃が肩に直撃する。
力が強く、真面目にジンジンする。
「お、おい、何するんだ」
「うるさいです。哉先輩……そう言うこと言うのなら、やっぱり私は彼女の彼女に」
「そういうこと言うのかよ! さっきはいじられたくないとか言ってたのに!」
「今は今です」
強情な。
とツッコミを心の中で漏らしながら、手をあげて「お手上げだよ」と呟いた。
「……でもまぁ。ありがと」
「は、はい」
そうして、唐突なライバルの出現とともに、俺たちは一歩また前に進んだ。
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