第72話



◇◇◇◇◇◇


 遡ること七年ほど。

 先輩と別れ、そして卒業し、受験期最中の高校三年生の夏ごろ。


「ねぇ、ことり。ご飯食べに行かないの?」

「ん、あぁ、ごめんごめん。今買うからさ」


 今となってはもうあまり会わない、当時仲の良かった友達と学食前の自販機で飲み物を買っていた時のこと。


 私の目に入ったのは――窓の外、中庭の大きな桜の木の下でお弁当をつつく一人の少女だった。


 少女と言っても、同じく高校生で制服のリボンの色からしておそらく一年生の子。


 目鼻立ちはしっかりしていて、若々しく、そして可愛い。当時は考えもしていなかったけど思い返してみれば多分男子からの支持はそれなりにあるであろう――そんな女の子だった。

 当時、垢抜け最中の私と比べてみればよっぽど可愛くて、綺麗で、並んでいたら馬鹿にされちゃう――とはいかないまでも、きっと選ばれるのは彼女の方な感じ。


 とにかく、可愛らしい――先輩目線ではそう映った。


 でもなんで、目に入ったのか。

 それはよく分からないけど、なんとなく異質に見えたからだ。


 あまり友達が多くはない私でも、目立つような場所で一人でお弁当を食べるなんてことはしたことはなかった。


 ただ、その子は堂々と食べていた。

 キリッとした目で、何食わぬ顔で、小柄な体からは見えないほど強そうに。


 結局、その時は声も掛けられなかったけどそのタイミングは思ったよりもすぐに着た。



 


**



 それは翌日の放課後のこと。


 その日の天気は雨だった。

 朝から空模様は良くはなかったが雨が降るものとは思えない。

 そんな雰囲気で、私も少し驚きながらリュックに潜めていた折り畳み傘を取り出して広げる。

 水玉模様のいかにも女の子らしいそれはちょっと恥ずかしさを増大させる。


「ふぅ……」


 思わずため息が出る。

 こうして一人で帰宅する日々。

 特に部活に入っているわけでもなかった私はやっているのは委員会の委員長くらいで、大して残ることもない。

 

 悲しいというか、寂しいというか。

 先輩と別れてからもう二年も経つというのに未だ忘れていない可哀そうな女でもあった。


 そんな思い悩む帰り道で、彼女を見つけた。


 公園の東屋で雨宿りする、彼女が目に入った。

 様子は最悪といった具合で、制服は雨に濡れ、髪もびちょびちょ。その濡れ姿――というのは眩いほどの凛々しさもあり、思わず見とれてしまう。


 ただ、このままにしておけば確実に風邪を引くと断言できるもので咄嗟に動いていた。


「あ、あの――これ使う?」


 差し出したのは無地の白タオル。

 体育の後に軽く汗を拭いたものだけど、そこまで使っていないし、気にしている場合ではないと思い手渡しすると、彼女は何食わぬ顔で受け取り――


「……ん」


 顔をあげ、目と目が合う。

 これまた綺麗な瞳だった。

 不思議そうに、いや、訝しげに、怪しむように、言ってしまえば睨みつけるような攻撃的な――そんな瞳だった。


 ちょっと怖い。

 汗を拭いたものだったから嫌なのかなと思いつつ、タオルを戻そうとすると彼女が反発する。


「あ、えっと……ごめん、一回使っちゃってるから他のを」

「いえ、大丈夫です。これで」

「え」


 すっと引き抜き、そのタオルに顔をがばっと入り込む。

 ずりずりと音を立てながらも顔を拭き、そして濡れている体を拭き、一息ついて私は尋ねることにした。


「え、えっと……それで、君はこんなところで何をしてるの?」

「なんで、どこのだれかとも知らないあなたに言わなくちゃいけないんですか」


 出た答えはまさに拒絶だった。

 そりゃ、まぁそうだろうと頷いた。

 彼女を初めて見たのも昨日。

 彼女からしたら、今日初めて話しただけの相手。


 同じ高校の制服を着ているからと言って話せるものでもない。


 ただ、私にはなぜか――彼女が何か隠しているのではないかと感じられた。

 別に明確な理由があるわけではない。

 私の勘がそう言っているだけ。


 それに、何よりも私も去年はこんな感じで色々と歯向かうような目つきをしていたと思う。


 最愛の先輩を振って、でも捨てきれてない思いがあって。

 女っていうのはすぐに男のことなんか忘れて上書き保存だ――なんていうけど、言ってしまえば上書きできなきゃ意味がない。


 一年が経って、先輩が卒業して、ようやくこうして徐々に前を向ける様になってきたくらいだ。


 でもまだ忘れきれてないし、忘れられる自信毛頭ないけど。


「いや、いいの。別に何もないならさ。でも悩んでいることがあるのなら、同じ高校の先輩として役に立ちたいなって」

「お節介です。あと、あなたに関係ありません」

「じゃあ、何かはあるんだね?」

「……余計な、お世話です」


 先輩にも似たような言葉を言われたことがある。

 そう言えば、出会いも私からのお世話だった。


 でもそんなことは気にせず、私は彼女に近づき続けた。

 その日は家まで送り、次の日にはまた話しかけて、それで一週間が過ぎ、やがて一か月が過ぎ。


 そして、彼女が折れた。


「……私。いじめられているんです」


 そこからの話は衝撃的だった。

 学校でいじめを受けていること、家では何も話せず、先生に言っても何もやってもらえず、だからいっつも一人で行動し、反発するために目を鋭くしていること。


 何もかも救いきれないものだったけど、私は力になろうとした。


 毎日のように一緒にご飯を食べてあげて、一緒に帰ってあげて、挙句一緒の委員会で作業だってして、根本は解決できなかったけどそれでもとにかく彼女の心の濁った部分は少しだけ洗い流すことはできていた。


 そしてやがて私が卒業し、大学へ在籍すると彼女がオープンキャンパスにやってきたり、何度も相談に乗ってあげたりもしていた。


 でも別れは絶対に来るもので、おそらく最後になるであろう瞬間に彼女は打ち明けてきたのだ。


「—―先輩、好きです」


 告白だった。

 私も驚いた。

 慕っている後輩。慕われている先輩。

 

 そんな間柄だと思っていた。

 それは彼女にとっては救いのようで、好意を抱いてしまうものだった。

 

 私は怖かった。

 どうすればいいか分からなかった。

 先輩の時とは違う。女と女の恋愛。

 ストレートな自分にとっては予想外で、想定外で。


 飛び出した答えは。


「……え、えっと、どういうこと?」


 理解はしていた。

 それでも、私の中では動揺が勝っていて、告白に対して最低な返答をしてしまっていた。


 余裕がなかったからなのか。

 それは言い訳にはならない。


 長年、慕っていた後輩だ。

 もっと考えるべきだった。

 

 ただ、時すでに遅く。

 そう言ったときには彼女は走り去っていた。


 最後の台詞。

 何気ないそれが最後になった。


 それまでだった。

 私が就職のためにこっちへ戻ってきてから連絡先も消失し、話もしなくなった。

 きっと、独り立ちしたのだろうと思っていた。


 でも。

 それが今日、先輩の会社に現れ、私の目の前に現れた。


 なぜ、なのか。

 理由は――――最低な私の返答に対して、奇想天外なものだった。


 現れた理由は私がおかしな男と付き合っているとかなんだとかを聞いて、目を覚まさせに来た。


 昔の私に戻ってほしい。

 それで、私ともう一度付き合いましょうと。


 

 ただ、彼女をこうして動かしたのはあの日話しかけてしまった私にも責任があるし、勘違いさせたまま彼女の元を離れた私にも原因がある。

 



 だからこそ、今度は誰にも頼らず私が。




◇◇◇◇◇◇


 そんな長い話を終え、苦笑いを浮かべる。

 先輩は目をパチパチとさせて、驚きながらも感心するように答えた。


「—――ていう感じであしらっちゃって、ははは」

「ははは、じゃないよことりさん。というか、ことり、ひどいな」

「うぐ……す、すみません」

「冗談冗談。でも、驚いたよなそれは。俺も久遠から告白されたらなんていえばいいか分からないもん」

「……それはちょっと話が違う気がしますけどね」

「そうか? でも、驚きだよ。俺以外にこんな恋人候補がいたとは」

「ん、それ、は……ち、ちがいますから」

「まぁそれはそれとして、どうするんだこの子?」

「あ、それは」

「俺が説得――」

「—―いや、これは私が。私がけりをつけます」


 私と彼女の話だ。

 先輩の手を煩わせるわけにはいかない。

 自分のまいた種は自分で。


 そうして、その日のうちはひとまず。

 私の膝の中で寝る彼女をそっと寝かせたままにした。


「それなら、分かったよ」

「はい。何よりも、私がやったことですから。責任は取ります」




 

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