第71話



「お、おい。芹沢……」

「はい、なんでしょうか?」

「—―――どうしてお前が、俺の彼女の真横に座ってるんだよ‼‼ ていうかなんでべたべたくっついてんだ‼‼」


 夜中のマンションの一室に俺渾身の声が響き渡る。

 正直、怒号をあげ、声を荒げて言ってやりたい気分ではあったが俺は一端の社会人。そのくらいのことを考える余裕はある。

 大学院生には負けてはいられん。ましては後輩には。


 とはいえ、流石に頭には来ていた。

 同性ではあるものの、ことりは俺の彼女だ。

 キスも経て、残すところはあと一つ――そんな仲にまでなった俺たちを引き裂く原因がそこに堂々と座っていたのだから。


 文字通り。

 べたべた、べたべた。そしてまた、べたべたと。

 まるで、新しいおもちゃに興味津々なお猿さんのように。


 あ、ちなみに変な意味じゃないよ。猿山の方の意味で。

 というか、俺とことりはまだそういう関係になっていないわけで……。


 含めて、怪しからん。


「ま、まぁまぁ、そこまで言わなくてもいいじゃないですか哉先輩。けっこう昔からこうでしたから」

「え、昔からこうなの⁉」


 どこぞの百合ゲーじゃあるまいし。

 例え昔からこうだったとしても引っ掛かるのは否めない。


「いやですね。ほんとに……結構つんつんしてたんですけど、あることがきっかけでべろべろになっちゃって」

「あること?」

「話せば長いんですけどね。楓ちゃんがかなり孤立しててね。私が一緒にご飯食べてあげたり、勉強教えてあげたりしてたんです。それで……あははは」

「ま、まぁ、それはいい事だと思うけど。でも、仕事終わりにこれは納得できんな」

「納得するのは先輩もいわじゃなくて先輩ことりの方ですよ」

「先輩先輩言うな」


 ややこしい。

 確かに芹沢からしてみれば、俺もことりも先輩だけど。

 いや、ていうか俺のこと藻岩さんとか言ってなかったっか?


「それはともかく……どうして芹沢はここに来たんだよ?」


 まずはそこからだ。

 会社に何かを忘れてきたっていうわけでもなさそうだし、何より仕事の連絡用メールアドレスは教えている。直接話さなくちゃいけないほどいけないことなんてそうそうあるわけでもない。


 よほど、切羽詰まっているはずが――彼女の顔と言えば平然も平然だった。

 

「ことり先輩に会うためです」


 いかにも真面目な返答だった。

 俺の目をじっと見つめつつ、右手はそのままことりに触れながら。

 ことりのエメラルドグリーンの煌めくそれとは別に、淡く輝る赤茶色の瞳が「それだけのため」と訴えているのがよく分かった。


 それを踏まえて、声が漏れる。


「は?」

「ことり先輩に会うためですよ」

「え、は? いや、それは聞き取れたんだけど……つまり、どういう?」


 まとまらない。

 ただ、この状況から考えるに二人は知り合いで、感動の再会を経ている。


 だったら。


「インターンをしに来たのもそのためで、話を聞こうと追いかけてきたんです。でもまさか、藻岩さんの家にいるとは思ってはいなかったんですけど……」

「ん……それじゃあ、なんだ。つまり、芹沢は俺とことりが付き合っていることが耳に入って、うちの会社にインターンをしに来たということで……?」

「はい。というよりも、ことり先輩が髪も染めて、チャラくなって、男の家を出入りしていると聞いて……心配で。まぁ、その犯人が藻岩さんだったとは思いませんでしたね」

「ちゃ、チャラくなったって……私は」


 後輩に言われたことを否定しようとことりが横から言うと、芹沢はするりとくっつけていた肩を離して俯く。


「だ、だって――――私の知っていた先輩は……こんな」


 言いかけて、口を噤む。

 悲しそうで、辛そうで、どこかつまらなそうな。

 さすがの俺も雄弁と語る彼女の表情から、それはよく分かった。


「こんな……違います」


 一変し、今度は俺の方へと睨みつける。


「先輩はもっとクールで、カッコよくて、こんな変な男の人といるような人じゃないんです‼‼‼‼」


 決めつけるように。

 俺に言い放つ。


「—―か、かえでちゃん!」

「私は、アドバイスをもらおうと思っていたんです……前の彼氏と別れて、辛くて、どうしたらことり先輩みたいにカッコよくなれるのか、それを!! 知りたかったんです」

「……」


 どうやら、彼女の過去は俺が思っていたよりも重そうに伺えた。




 

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