第69話
「……藻岩哉さんという人はいませんか!!」
誰もいない朝の研究室へ響き渡る女性の甲高い尋ね声。
しかも、それが自分自身に向いていたことで俺は驚いて数歩後ろに引き下がってしまっていた。
「え、え?」
彼女が顔を上げるとちょうど視線が重なった。
研究室内の雰囲気を見るなり悟ったのか、ここにいるのは俺一人だけで彼女の目が驚きから疑いへと変わっていく。
「あの、あなたが……藻岩さんですか?」
重い視線。
こんな目で見つめられたりでもすればそっぽでも向いて誰かに行方を委ねたいものだが、誰もいない部屋じゃそうすることもできない。
俺が無言のままでいると彼女がグッと身を寄せるように近づいてきた。
まずい。
これじゃ振り払うこともできない。
流石にそれはまずい。
慌ててさらに一歩退き、迷ったものの首を上下に振ることにした。
「え、っと。一応俺ですけど」
「そ、そうですか。あなたが」
すると、彼女はずっと俺の目を見て、何やら考え込むように喉を鳴らす。
まるで猫のような仕草で、どこか俺を見定めているような気さえもしてきて余計に身構えてしまう。
とはいえ、密室に二人きりでこの状況はやはりまずい。
俺にはことりという彼女がいる。
狼狽えていてはどうすることもできないのだ。
「あの、君は?」
「あ、そ、そうでしたね……すみません。私、先日インターンでこの会社に一ヶ月だけ配属されることになりました。
「南城大学……インターン……え、君が?」
若干コスプレじみたスーツに、小柄な体格。
ことりとは真逆なやや明るめな色のショートカット。
目鼻立ちは整っていて、普通に可愛いと言われる部類に入るそんな女性。
そんな彼女がインターン生。
しかし、思い返してみれば確かにおかしなところがあった。
今朝、久遠が斎藤さんから逃げてきた時「異動」と言って座っていたデスクがあった。
ただ、そのデスク。
今考えてみれば、机の上がまっさらだったのだ。
何も置かれてなく、ポツンとあったのはノートパソコン一台。
それも入社時に貸してもらう性能が高い新品のものではなく、中古で何世代か古いもの。
おかしいなと思って対応をしていたが、それはインターン生を迎えるからだったのか。
とはいえ、副室長の俺に話が来ないとは……鮎川さん忘れてるのかな。
まぁ、あの人すごいのはすごいんだけど大学の授業とか忙しいときなんか割とハチャメチャだし。
何も言わなくても大丈夫だよねっていう暗示か。
それとも、この前の唐突な俺の行動への仕返しか。
とにかく、成長しろって言うことだよな。
「そっか。一応、人事とか総務の人に何か言われたりしたのかな?」
「いえ、特には。ただ研究室に行って色々説明受けてやってみろって感じでしたね」
「なんとも適当だな……」
これもきっと、話が通ってると思ってるからだろうな。
たはは、とため息が零れ出る。
インターン生をやったことはあるが、インターン生に指導したことはない。
一応、後輩の指導は何回かあるけどそれでも勝手が違うことは確かだ。
だからこそ、過去の記憶からこういう時はどうするべきかを探っていくしかない。
まずはおそらく、彼女をよく知るところからだな。
「そう言えば、どうして俺の名前を呼んだんだ?」
「それはその……」
そして、単刀直入にまずどこで俺のフルネームを聞いたのかを尋ねてみた。
おそらく案内では「藻岩」としか書かれていなかったはずだ。きっと彼女なりに何かのサーチはしているのだろう。
しかし、その質問を言った瞬間彼女は口籠った。
さっきまでテキパキと受け答えていたはずだったのに、視線を逸らし、どこかバツが悪そうにしている。
「え、いや、無理にとは言わないんだけど」
あれ、何か地雷でも踏んだのか?
いやそれとも、これはアレなのか……ラブコメアニメ特有の――
なんて邪推していたところで、彼女が一歩前に出て意を決したのか俺の目を見て口を開けた。
「—―――あ、あなたが、栗花落先輩と付き合っているなんて私は認めませんからね!!!!」
一瞬、何を言っているのか俺には理解できなかった。
それ以前に唐突なインターン生が来たという状況で混乱していたからかもしれない。
ただ、この第一研究室。
職場のデスクの前で、持ち込まれた私情に思考が追いつくのは時間を要した。
静まった研究室。
そして、近寄って睨みつけるインターン生に、研究員の俺。
—―ガチャリ。
扉が開き、無言の空間に入ってきた女性研究員から向けられたのは蔑みの視線と
「も、藻岩さん……浮気ですか?」
の一言であった。
「浮気じゃないって!」
「浮気じゃないです!」
◇◇◇◇◇◇◇
時刻は19時半。
唐突なインターン生への説明や案内があったせいか仕事がやや長引いたせいか、定時から時間はかなりすぎていた。
「……うぅ、晩飯。ことりの晩飯が食べたい」
なんて自分のマンションの玄関口の前で呟きつつ、仕事中に来たことりからのメッセージは「今日は仕事が長引くかもなので行けないかもです!」だった。
落胆しつつ、それでももしかしたらいるんじゃないかと期待する自分との葛藤。
アラサーにもなってなんて子供がましいんだとも思いつつ、そうでも思わなくちゃやっていけない悲しさもあり。
トボトボと寒さで若干かじかんだ手をポケットへ入れて鍵を取り出す。
鍵穴に刺して、そして捻り、ドアノブを手前に引く。
—―しかし、その瞬間だった。
捻り、力を入れる寸前。扉が唐突に動き出したのだ。
そして、続けて――
「先輩、おかえりなさい」
「えっ」
思わず声が漏れる。
なぜなら、彼女があり得ない方向から声を掛けてきたのだ。
それも、扉の向こう。
玄関の中からだった。
「なんだか、意外と早く終わっちゃったので来ちゃいました。えへへ……」
揺れる艶のある黒髪ポニーテールに、主張の少ない小さな胸。
ラフな格好と、それを覆い隠す水玉模様のエプロンが様になっていて思わず手がでてしまいそうな彼女。
「こ、ことり……」
零れる笑みがまるで天使のそれのようで、抱きしめずにはいられずにいた。
「ひゃっ」
「ことり!!」
何気ないひと時が幕を開けた瞬間—―――のはずだった。
「は、哉先輩……その……」
「え、どうしたんだよことり? 早く家の中に――――」
「—―あの、後ろにいる彼女は?」
「彼女はってなぁ。何を言っているかと思えば、そんなの当たり前にことりだけじゃないか……え⁉」
慌てて振り返る。
見えてきたのは……まさかの相手だった。
「せ、芹沢⁉」
あとがき
お疲れ様です。
結構更新遅れてしまいすみません!!
それと新作現在更新中です!!
ぜひぜひ読んでみてください!!
↓
「あれ、幼馴染に胸がある?」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665896108874
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