第68話
◇◇◇◇◇◇
「……おはよーございまーす」
そして、なんだかんだで楽しかった二月末の三連休は終わり、俺達にはいつもの日常が戻ってきた。
お互いの家で目を覚まし、見慣れた天井と眼を合わせ、見慣れた水で顔を洗う。
数日間、懐かしい景色に身を曝したからかこっちでの暮らしが非現実なんじゃないかとさえ思ったくらいだった。
そんな高校生気分からすっかりと抜け出した俺が研究室へやってくるとそこにも見慣れた顔がいた。
「うっすうっす~~久し振りっすね哉さん」
「久し振りって……先週会ったばっかりだろ、久遠」
会社の同期であり、人生の後輩のこの会社で唯一仲のいい同僚だ。最近ではかくかくしかじかでことりの友達、三澄純玲さんとお付き合いをしている男だ。
「ていうか、どうしてここにいるんだよ。お前の研究室こっちじゃないだろ?」
「はははっ。そうっすね」
いつもの久遠から見受けられない余裕がなさそうな表情。
その表情はちょっと痛い部分を突かれたようで俺から離れるように歩き始める。
その感じじゃ、きっと休みの日に何かあったか……それとも斎藤さんにいじめられたかどうか、だ。
「……斎藤さんに、しごかれたか?」
「っ!?」
反応を見るにご明察のようだ。
肩がビクッと震え、さっきまでなんとか保っていた笑みが徐々に固まってなくなっていく。
「図星だな」
「ず、図星ってねぇ。他人事みたいに言って!」
「だって他人事だからなぁ。でもどうせ、斎藤さんに何か怒られることでもしたんじゃないの?」
「…………身に覚えがないっす」
「なんなんだよ、今の間はよ」
身に覚えがないにしては、妙な間が空いた。
それに心なしか久遠の顏が俺からそっぽを向いている。
この状態から察するに久遠がきっと斎藤さんに対して何かデリカシーのないことを言ったのかもしれない。
「それで、何かしたんだろ?」
こういうときはまず、腰を下ろして聞いてみる。
他人事とは言え、斎藤さんは割と孤高の身。彼女関連で何かあったら割と頼られるし、こういうのは入社して二年でだいぶ慣れた。
俺が尋ねると久遠は表情を曇らせる。
どうやら、まだばつが悪いようで言いたくないらしい。
「ま、言わないならいいけどさ。もしも言ってくれるのなら多少は譲歩するのもいとわん」
「んなっ……ほ、ほんと、っすか?」
「まぁな? その代わり、今度何か奢ってもらおうか」
「う、うわ。まじすか、人生の先輩なのに後輩に奢らせようとするんすかクズですね」
「それガチで言ってるなら、助けてやらないぞ?」
「……も、もちろん。冗談っす、たははは」
そうやってビビるなら最初から言わなきゃいいのにと思ってしまうところだが、なんだかんだ確かに後輩っぽいふるまいをしてくるので気にしないでおこう。
「それで、どうなんだ?」
「……い、いやですね。昨日の夕方ぐらいにですね連絡が来たんですよ」
「連絡?」
「はい、丁度今作ってる部品ができそうなんだけど一人じゃ取り出せないから手伝ってほしいと。朝5時に出社しに来いと」
「あぁ、たまにあるな」
こう聞くとちょっとブラック企業っぽく聞こえるかもしれないがもちろん残業代は出るし、その代わりに出勤時間をずらすこともできる。
比較的にその辺の融通が利くため、研究職という職種柄夜遅くなったり、朝早くに来なくちゃいけない時もあるのだ。
「連休の最終日にっすよ? こちとら
「気持ちは分かるけどな。でもしっかり行ったのか?」
「そりゃ行きますよ! 僕だって一端の研究者っすよ……嫌々行きましたよ、十分前までに」
「ほお。それなら良かったじゃん?」
「……んなわけありますか! じゃなきゃ僕、わざわざ第一研の方に逃げたりしてこないっすよ!」
今まで聞くところには特に問題はなかった。
しかし、俺の言葉に過剰に反応する姿からしっかり何かあったらしい。
「じゃあなんなんだよ。なんかやばい事言ったんだろ?」
「やばいことっていうか……別にそういうことは言ってないんですよ? 朝から呼ばれてイライラしたっていうかっすね」
「言ってないのか?」
「ま、まぁ」
「まぁ?」
俺の問いに若干濁すように答える久遠。
バツが悪そうに目を逸らし、呟いた。
「あの人、計算とか僕にやらせるので……言い返してやったんすよ。そんなんだから彼氏の一人もできないんだよって」
「言ってやがるじゃねえか!」
思いっきり言っていた。
しかも、それも斎藤さんが一番嫌がるような、気にしているような言葉を。
「……だ、だって、あの人いくらなんでも僕をこき使いすぎなんですよ!! いるじゃないっすか! 新人の女の子とか、男社員とか!!」
「それはそうかもしんないけど、久遠が直属の部下だからだろ?」
「僕は別になりたくてなってませんけどね」
「そりゃしゃーないな」
実際、俺たちが入社した年は新しく研究室が別れた年の次の年だったからそれまでのベテラン研究員などは少なかった。そのため、鮎川さんや斎藤さんのように優秀な研究員の部下という立ち位置になったのだ。
久遠もあんな感じだけど、これでも比較的に立場は上でもある。それに頭もいいため、斎藤さんはそう言うところを評価している。
ただ、その社員から痛いところ疲れたとすると今もプンプンで……そろそろ。
「だよなぁ」
すると、視線の先。
扉の間のガラスを曇らせるほどプンスカしている斎藤さんが立っていた。
「え、何言ってんすか哉さ――ん」
「いいっすよ、斎藤さん入っても」
「え、ちょ、何言って!」
久遠が止めようと扉の方に走り出すが時すでに遅し。
頭に血が上って顔が引きつっている斎藤さんが俺に言われた通り、そのまま部屋の中に入ってくる。
「へ、へぇ……ここにかくまってもらっていたんだね久遠くぅ~~ん??」
おぉ、怖い。
これはヤバい。
大学の頃にも彼女に結構どぎついこと言ったサークルの先輩がいたが、まさにあの頃と一緒のお怒り具合だ。
こうなった斎藤さんはもう誰の手にも付けられない。
「……お、おはよーございます斎藤ね、姉さん……気分がすぐれないようで?」
「おうおう、久遠。なんだって私に行ったことに対して謝りたいことがあるんだってなぁ?」
おう、謝れ。
なんとかなる。
そう目配せをしたが、久遠はそっぽを向き吐き捨てた。
「うっせぇ! 僕は謝らんぞ!! 独身貴族め!!」
「あ、おい久遠!!」
「んだとぉ~~貴様!!!!!」
そして走り去っていく久遠。
その後ろを鬼よりも怖い形相で走っていく斎藤さん。
うちの会社は今日も又、とても騒がしい。
◇◇◇◇◇◇
「よし、仕事すっか」
そして、あっという間に朝九時。
白衣に袖を通し、そのままクリーンルームへ向かおうとすると扉をノックする人影が目に入った。
「ん、誰だ。こんな時間に」
ドアノブを捻り、顔を合わせる。
すると、そこに立っていたのはかなり背の低めな目鼻立ちの整った女性のようだった。
スーツに身を包み、どこかソワソワとした表情でこちらを見つめてくる。
「な、何か用ですか?」
「あ、あの……」
「はい?」
「……藻岩哉さんという人はいませんか!!」
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