第67話




 翌朝、俺は珍しく早い時間に目が覚めた。


 起き上がると一瞬、過去にでもタイムスリップでもしたかと勘違いするほど懐かしい景色だった。


 ただ、すぐに隣で静かに寝息を立てていることりが見えて、何が起きているのかを理解した。


「すぅ……ぅ……」

「まったくなぁ……無防備め」


 安心しきっている彼女の呼吸。

 この寝息も今日が初めてではない。


 一月二十八日に付き合い始めてそれから数週間ほど。


 お互いの家を行き来して泊まったり、寝たりを繰り返していく中でもちろんいろいろなことをした。


 なにせ、寝顔に関してはお互い見ている。

 俺が風邪を引いたときもそうだし、はたまたことりが風邪を引いたときもそう。


 ただ、こうして狭いベッドの上で、いつもは見ない距離感で見てみると変わった感想が生まれてくるというかなんというか。


 つまり、俺が何を言いたいかというとことりはあいも変わらず――


「――かわいいな」


 ということだ。



「すぅ……ぅ……ぅんっ」

「んっ」


 

 かわいいのも事実だし、綺麗なのも言わずもがなだし。

 でもやっぱり一つ言えるのは――甘いキスなんて迷信だったんだな。



 


◇◇◇◇◇◇


 


 なんていうちょっと痛々しい朝の一幕を終えた俺は寝室代わりの物置から出て廊下を歩き、リビングへ向かう。


 すると、一足早く台所に立っていたのは珍しくもえりか姉ちゃんだった。


「おっ」

「あっ」


 背中に大きく高校名が書かれてある着古した部活動ジャージを上下に、その手には小学生の頃から使っている有名アイドルグループのコップ。

 横には牛乳の紙パックが置かれているところからしてどうやら朝の一杯を飲んでいたようだ。


「……おはよ、珍しいな朝から」

「っちっちっち。珍しいわけじゃないんだよなぁ。これがさ」

「珍しくない?」


 そんなわけないと聞き返してみると姉ちゃんの口角はにやりとあがりはじめた。


「実はね、ここ一年。私は早起きしてるのだよっ!」


 えっへん!

 と、小学一年生の女の子が御つかいに行って無事帰ってきた時みたいな立ち様だった。


「そう、なんだ。最近会ってなかったし知らなかったよ」

「ずっとそんな自堕落な私のままだと思われたら心外だね、哉ちゃん」

「心外も去年俺が姉ちゃんの家に行ったら普通に昼過ぎまで寝てたじゃん」

「あ、あれはまだね……別に。さ、最近だし!」

「最近、ねぇ」


 いやはや、どうせ最近同僚か友達が結婚したから焦ってるとかその変だと思うけどな。実際、姉ちゃんは顔は悪くないし、中高はずっとモテてたぐらいだからな。

 毎回俺の友達が来る度、「お前の姉さん可愛くない?」やら色々と言われてたから客観的に見てもそうだとは思う。


 ただ、素行が悪いというか。

 寝坊助で、料理が出来なくてその可愛さを生かせる内面がなかっただけで。


 まあ、あの姉ちゃんがこうして向上心をもっていることは悪いことではないだろう。弟の俺としては安心だ。


「どうだぁ、姉ちゃん凄いだろぉ~~」

「ちょ、くっつきすぎだって……もうっ」


 とはいえ、この度を超したブラコンぶりはなんとかしてほしいけど。


「いいだろ? それとも姉ちゃんが誰かに取られるのが心配かぁ?」

「そんなわけ。むしろ早く取ってくれないかが心配だったよ俺は」

「……うわっ! 最近自分がたまたま綺麗な女の子ゲットしたからって!」

「べ、別に俺はたまたまじゃねえし!! 普通に昔からだし……」

「昔ぃ~~~~? あぁ、なんか言ってたね~~。高校の時に一時期付き合ってた女の子がいるってさ。あんまりうちには来てなかったけど。でもそれじゃあ私にだって遊びに来てた男の子いたと思うんだけどなぁ?」


 その女の子がことりなんだけど。

 言ってないからわかるわけもないか。


 ただ。


「……それは中学生の話でしょうが。それに、生徒会の作業のために家に来たんじゃなかったっけ?」

「……な、なわけ!? ……べべべ、べ、別に、私の友達だし、ていうかその子昔私のことが好きだったとかって言ってたけどなぁ???」


 この期に及んで何年前の話で俺と釣り合おうとしてるんだこのダメ姉は。

 目が泳いでるから自分でも言ってて分かってるだろうに。


「んじゃあ、一応聞いておくけどその男の子は今はどうなってるの? 独身?」


 核心をついてみる。

 すると、さっきからなんとか優勢を保っていたその体が崩れるように、俺から一歩一歩後ずさりをしていく。


「っ……」


 ごくっと生唾を飲み込み、そして俺と目を合わせまいと逃げていこうとする。


「姉ちゃん、どうなんだよ?」


 しかし、逃がさまいと追い打ちを掛けるとどうやら臨界点に達してしまったようで、次の瞬間には声をあげた。


「わああああああああああああああああん!!! 哉ちゃんのバカ、アホ、マヌケ、オタンコナス!!」

「……何言ってんだ。っておい、痛いって!!」


 逃げていた脚が急に舞い戻り、俺の背中をポコポコと弱々しい力で殴り始める。


 俺は図星どころか、姉ちゃんのついてはいけない部分を突っついてしまったらしい。


「知らないくせに、私だって分かってるのに!!」

「っい、痛いって、悪かったって!」


 そして始まる数年ぶり、いや十年近くぶりの姉弟喧嘩――と思いきや。


「……っ二人とも、何してるんですか?」


 廊下の方から声がして覗き込むと、そこにはさっきまで寝息を立てていたことりが不思議そうに……いや、どこかニヤけてそうな顔で尋ねてきた。







◇◇◇◇◇◇




 そして、ことりに見つかった朝の姉弟喧嘩からものの二時間ほど。


 姉ちゃんが昼から仕事が始まるということで車に乗り込み、家を出ようと準備を始める。


 最後にことりが心底心配そうな顔で「男の人できれば紹介しましょうか?」と尋ねていたのは弟ながら恥ずかしかった。


 そんな俺の気持ちも知るわけもない姉ちゃんは縋るように頭を上下に振り、連絡先を交換していた。


「……んと。それじゃあ、これ二人で使ってよ?」

「えっ」


 しかし、みっともない姿をさらけ出したかと思えばまるでそれが嘘だったかのようにことりと俺にいちまいの封筒を手渡した。


「なんだよ、これ?」

「二人へのお土産、プレゼントかな? まぁ私が行ったら見に行ってよ」

「あ、ありがとうございます」

「うん。それじゃあその、またね!」


 そう言って、颯爽と走りだし、手を振って眺めつつ。

 部屋に戻ってそれを開けてみると中に入っていたのは――



「「—―――おんせん……りょこう、けん?」」





 そう。

 その封筒の中に入っていたのは、二月から三月末まで使える温泉旅行のチケットだった。






あとがき

 祝総合70話目!!🎉

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