第64話

◇◇◇◇◇


 そして、週末。

 二月も終わりをつげ、三月も初週を迎えた今日。

 いつも通りの休日二日を使い、俺とことりの二人で実家へと帰省することになった。


「哉先輩、シートベルトつけてくださいっ」

「ん、あぁ。ありがとう」


 最近はあまり使っていなかった俺の愛車の軽ちゃんのエンジンを点けると、まるで主人の帰りを待っていたかの如く電気系統が勢いよく光った。


 まぁ、エンジン付けたら「ぶばばばば!」と音が鳴るなんて、本当に十年以上前のことで今ではもう懐かしく、俺の車はいかにも現代的だった。


 そして俺の隣、助手席には当たり前のようにことりが座っていた。


 結局、この一、二週間で迷走していた俺の名前の呼び方は「哉先輩」に統一され、俺もその名前の呼び方にも慣れてきていた。


 実際、名前で呼んでくれるのは嬉しいけど、結局「先輩」というのも捨てがたかった。だってまぁ、男って後輩の女の子に「せんぱい!」って呼ばれるの好きじゃん?


「先輩?」

「っん、な、なんだ?」

「最後まで入ってませんよ?」


 どうやらシートベルトが最後までささっていなかったらしい。

 にしても、こうして見つめられるのはまだちょっと慣れないけど。


 そんなことりも冷静を装っていたが、緊張は隠しきれていないようでもあった。


「ことり、口紅ほっぺについてる」

「……へぁ⁉ ほ、本当ですか⁉」

「あぁ。なんかコメパンマンみたいになってるって」

「っこ、こめぱ――私の頬に肉がついてるってことですか!」

「そ、そうじゃないよ……」


 考えれば分かるだろうに、とは思ったがそれは言わずに胸の内に仕舞う。


 俺にとってはただの帰省になるものの、ことりにとってはそうともいかない。

 何せ、彼氏の両親に会いに行くのだ。


 もちろん俺だって愛華さんに会うときは色々と考えた。

 ただ、病室だったし、愛華さんだけで状況が色々と違っていた。


 しかし、ことりの場合は実家だ。

 そして、一泊二日でもある。

 初めての顔合わせでありながら、一夜一つ屋根の下で過ごすのだ。


 あまり冷静でいられるわけがない。

 姑と嫁の関係がいいか悪いかもここで決まる。

 息子の立場としては、母さんにはある程度自重してほしいけど。


 あと、姉ちゃんも。


「……大丈夫でしょうか、私」

「ことりは気に入ってもらえると思うぞ」

「本当ですか?」

「嫌われる要素がないしな」

「そ、それは……まぁ。お姉さんには気に入ってもらえそうですけど」


 うぅ、と不安げな声をあげる。

 個人的には嫌われる不安というよりかは、むしろことりがウチの家族を嫌わないかの方が不安だけど。


 とりあえず、ことりがこの様子なら大丈夫だろう。


「んま、とりあえず行くかっ。一応、途中どら焼き屋さん寄ってお土産買うけどいいか?」

「は、はいっ。どら焼き好きなんですか?」

「特に父さんがな」

「そ、それは……いい情報ですっ」


 すると、咄嗟にスマホにメモをしていく彼女。

 その姿を横目に、俺はアクセルを踏みだした。





 ……運転して四十分ほど。

 家につき、玄関へ。

 インターホンを鳴らすと、すぐに二人が扉を開けた。



「藻岩理恵、哉の母です」

「京太郎、哉の父だ」


 二人を前にして、大きく息を吸って吐き出し、満面の可愛らしい笑みを浮かべてこう言った。


「栗花落ことり、哉さんとお付き合いさせていただいています!」





「ん」

「ぁあ」


 一つ言わせてほしい。

 兎にも角にも、俺とことりは最初っからです。

 今日の彼女はちょっとおかしいかもしれないな。



◇◇◇◇◇



 そして、その夜。


「あ、お義母さんっ。それは私が盛り付けますから。えりかさんどのくらいほしいですか?」

「ん~~ちょっとでいいかな」

「はいっ。あの、お義父さんはどうしましょうか?」

「えっと、そうだね、私も少しでいいよ」

「あ、っとことりちゃん? そこの箸とかも取ってくれる?」

「これですか? どうぞっ」

「そうそう。ありがとねぇ~~」


 玄関での出来事で浮かんだ不安もどこに行ったのやら。


 言わずもがな。

 ことりは完全に俺の家に溶け込んでいた。


 挙句の果てにはことりのために腕を振るって作ろうとしていた母さんの料理を、なぜか来客のことりが姉ちゃんを置いて率先して手伝うというカオスな構図まで出来上がってしまっていた。


 姉ちゃんと母さん共に仲良くなってくれるのはいい事だし、もとより姑と嫁の関係が悪くなるとも感じていなかったけど。


 まさか、慣れるのがここまで早いとは思ってもいなかった。


 ほんの数時間。


 そして、父さんまで手玉に取られてるっていうか。


 ことりに話しかけられて鼻の下伸ばしてるし。


「父さん。顔が赤いぞ」

「んぁ、な、ナンノコトカナ?」

「片言になってるし……ていうか、美人に弱すぎだろ」


 見とれてるのが父親だからいいけど、さすがに堂々としていてほしい。

 気持ちも分からないまでもないが、これが他人だったら警戒してるところだ。


 ただ、そんな反応もすべて、俺が思っている以上にことりは美人の証拠でもある。


 嬉しいのか、嬉しくないのか俺もよく分からない心情だ。


「……母さんに睨まれるよ」

「うっ。べ、別に、息子の嫁に見とれるなんて馬鹿な真似するはずがないっ」

「それを口に出しちゃいかんでしょうが」


 余っている力で威厳を見せつけようと口に出すと、もちろんダイニングキッチンから冷ややかな眼差しをこちらに向ける母親の姿が見える。


「っ……」

「……いや、別にな、本当にないからなっ」

「俺に言ってこられても困る」

「うっ」


 昔は怖かった父さんもこうしてやられているところを見ると、感慨深いというかなんというか。


 そんな風にいじめられている父さんを見て、ことりは庇うように間に入ってお茶碗を目の前に置いた。


「まぁまぁ……それに嬉しいですよ。はい、ご飯ですっ、量はちょうどいいですか?」

「ん、あ、あぁっ。優しいな栗花落さんは」


 またもや鼻の下を伸ばし始める。


 さすがのことりの行動からか、母さんはため息混じりにその茶碗の横に夕飯の鮭のムニエルのお皿を置く。


「……ごめんなさいね、この変態親父が」

「変態って、子供の前でやめないか」

「事実でしょうが、ほんとに。ごめんねことりちゃん?」

「はははっ、私は別に大丈夫ですよ? むしろというか、騒がしくて好きです」

「それならいいんだけど……あ、哉ちゃんもお茶とってきてくれない?」

「ん、あぁ」


 いいようにかき回されているというか。

 ただ、ことりの横顔も楽しそうで俺も抱いていた多少の不安は消えていく。


 台所でお茶を容器に移していると、横から姉ちゃんが声を掛けてきた。


「哉ちゃん、私は牛乳で」

「自分でやりなって……」

「いいからいいから。会うの久々なんだしいいでしょ~~?」


 そんな変わってくる家族の中で。

 ぐいぐいと体を寄せてくるラフな格好の姉は昔と全く変わらなかった。


 ほぼ三十代だというのに、家にいる間に見せる姿は俺が小さいときからちっとも変わらずちょっかいを掛けたり、揶揄ってくるとかで電話越しのままだった。


「はいはい……ほら」

「ん、ありがとっん、ん、んっぷはぁ~~」

「もう飲むんかい」


 一気に飲み干して、また入れてと言われて注ぎ始めると思い詰めたかのような声で呟いた。


「……にしても、可愛い彼女だね。哉ちゃんにしてはさ」

「まぁな」

「どうしてあんな彼女できたの? 哉ちゃん可愛いけど、あくまで私から見たらだし、めっきり謎で」

「……はいはい。謎だよ俺もな」


 謎っていうわけでもない。

 ただ、高校生の頃から――なんて説明するのも億劫で言葉を濁す。


「それよりも、姉ちゃんこそじゃないのか? 俺の心配なんかしてないで」

「うぐっ。どうして痛いところついてくるのよ哉ちゃんは!」

「当たり前だろ。この歳にもなってまだ実家暮らしで……お金に困ってるわけじゃないだろ?」

「ま、まぁ?」

「いつまでたっても彼氏なんてできないぞ? 知ってるぞ、友達がみんな結婚して焦ってるって」


 ぐいぐいと攻めていくと姉ちゃんの顔は真っ赤になった。

 すると、今度は胸を張って俺の肩を掴んだ。


「わ、私には、永遠の弟がいるからねっふん!」

「なんの言い返しにもなってねえよ」


 かなり効いているようだ。

 色々といじられるのも嫌だったからやり返したものの、さすがに可愛そうになり手をどける。


 しかし、そんな風に真っ赤な顔を浮かべながらも姉ちゃんは呟いた。


「大切にしなよ、ことりちゃん」

「っ……」


 まるで、昔の出来事をあたかも知っているような素振りで顔を向けるも小走りでことりの方へ向かっていた。


「ことりちゃーん。哉ちゃんがいじめてくるんだけど~~ねぇ~~!」

「え、あっ、ちょっと!」



 そうして、帰省一日目の夜が始まったのだった。





あとがき

 お久しぶりです。

 関係ないですが大学卒業致しました。

 

 


 


 

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