第57話
「んもぉ、ことっちもやることやらないとしっくりこないからねぇ~~」
「しっくりって何よ……」
「女としての喜び的な?」
「……いつの時代の人なの?」
「あはははは~~っそれじゃあ、楽しんでくるわねことっちぃ!」
「あんまりはしゃがないようにね……」
「いっぱいしてくる~~」
一体いつからだろうか。
純玲が嬉しそうに小走りで去っていく後ろ姿を眺め、私はため込んだ息を吐き出した。
「ふぅ……って、私は純玲のお母さんかっ」
そんなありきたりのツッコミを済ませながら、私はふと顔をあげて空を見上げる。
純玲は凄いというか。
どうして、私に対してあそこまで自分の恋愛事情を堂々と話せるのかと少しばかり考えてしまう。
私だってもっと堂々と話せたら、自慢出来たら。
「……っふ」
—―なんて、あの状況で本当のことなんて言えるわけなんてなく。
何もしていない。
というのは真っ赤な大嘘で、あからさまなくらいまでの虚偽で。
でも、その秘密と言うのがどこかこそばゆいというか、ドキドキするというか。
悪いことなんてしていないのに、思いっきりしているように感じられて、胸が高鳴るから。
恥ずかしがる笑みの内に秘める何かを嫌なほど感じながら。
私たちは、あの日—―—―。
「ぁ……くぅ……ぁぁぁっ!」
こんなこと、言わなくてもどうせすぐにバレるというのに。
◇◇◇◇◇
告白の後、涙一杯に溢れさせる栗花落を抱きしめて十分ほど。
つられて滲み、熱くなった目頭をグッと抑えている俺は栗花落の隣、公園のベンチに座ったままだった。
わずかに頬を掠める冬の小風に、道路を通り過ぎては進んでいくタクシーやバスの音。そして、その間から縫うように聞こえてくる人々の喧騒。
大学生のサークルらしきグループ。
高校生カップルが手をつなぎながら帰る姿。
疲れ果てつつも、ビジネスバックをぶら下げて歩く同僚同士っぽいサラリーマン二人。
飲み会帰りのマダムたちや、居酒屋を梯子するおじさんたち。
そして、チャラ目の頭をしたイケイケなお兄さんとお姉さん方。
皆それぞれに物語があり、彼らの声が形作る喧騒は耳に入っては抜けていき。
ただ、俺たちもその一部なんだろうかと不思議に思いを抱きつつ、真横に顔を向ける。
「……な、なんですか?」
すると、栗花落は目元を真っ赤にさせながら俺の方を見つめてきた。
「ううん……なんでも」
「な、え……なんですかもう、困ります……」
俺が何もないと言い放つと彼女は彼女で心配したように身を寄せて見つめてくる。そんな焦っている態度がどうにも可愛らしくて意地悪してみたくなってしまう。
「俺たち、付き合うんだなってさ」
「っぁ……は、はい。そうですよ?」
そう言うと栗花落は「なんでもないって言ったじゃないですか」と顰めた表情を向けてくる。
「栗花落にとっては何人目?」
「うっ……先輩、随分とひどい事聞きますね」
「っふは。すまんすまん。なんか意地悪したくなっちゃって」
「まったく……いじめるなら嫌いになっちゃうかもしれないですよ?」
「それは勘弁っ。悪かったよ」
「反省してくれるのならいいですけど」
嫌そうなことを言っていた割にはそこまで嫌でもなさそうにジト目を浮かべる。
どころか、まんざらでもなさそうだった。
「でも、栗花落は思ったりはしないのか?」
「思うって……そりゃまぁ、思いますけど」
「四人目って思うって?」
「ち、違いますっ! もっと前のですよ……ほんとにもぅ」
「はははっ、冗談冗談」
「だいたい、それを言うなら先輩は何人目でもありません。最初の人です。何もかもが、全部最初ですっ」
「そ、そっか」
と自分がいじめていたつもりだったのだが、栗花落が生々しくそう言ったため俺は視線を逸らしてしまった。
「あれ、先輩?」
「あ、あぁいや、そうだよなって」
「……あれあれ、あんなにバカにしてたのに今度は先輩の方が恥ずかしいんですか?」
「別に馬鹿にしてたわけじゃないって! ていうか、俺はそんな生々しい話はしてないよ」
「……へ、変態だって言ってるんですか⁉」
「いやそこまでは言ってないよ!」
想像力が豊かと言うか、それとも栗花落が言葉通り変態になったのか。
彼女の言うようなことの初めてのことも、かれこれ八年経っていてはどっちなのかよく分からない。
ただ、一つ分かるとすれば。
今の栗花落ことりは凄まじく妖艶で色っぽくて――言葉では言い表せないほどにすごくいいのだろうということだけだ。
想像しただけで涎もの。
こんな、付き合って当日ここまで艶めかしいことを想像している男なんて世界できっと俺一人だろうか。
いや、そんなこともないか。
久遠だったら多分、考えているだろうし。
それに、どこかの大学から出ている論文で呼んだことがある。
男は性欲と恋愛を司る脳の部分が近いから、自ずとどちらも働いてしまうと。
理系として合理的にそうだと正当化しつつも、やめることはできず。意識してしまうと余計に見えてきて、八方ふさがりだった。
思えば、九年前の俺は栗花落に告白を答えてもらったときにどんなことを考えていただろうか。
彼女ができた! とか。
めっちゃやりてぇ だとか。
はたまた、絶対に大切にしてやる とか。
もっと行けば、結婚してみたい とか。
色々と考えたような気もするし、何も考えていなくて、ただただ初めてできた後輩の彼女というものに酔いしれていたような気もする。
でも、そういうくだらないところの考えは一緒だったとしても。
ただ一つ、変わったところがある。
「栗花落」
「な、なんですか?」
空気は一風変わり。
さっきまでのお茶らけた、おふざけチックなものから真面目で、落ち着いた雰囲気へと。
すっかり慣れた街の喧騒の中に、この空間だけはしんとしていた。
「耳が痛いかもしれないけど、言ってもいいか?」
「は、はい」
俺の声音から感じ取ったのか、栗花落も喉を鳴らして真面目に頷いた。
それを見て、俺は俺で息を吐き出し、少し意気込んだ。
「—―栗花落のことは本気で大切にするよ」
「……は、はい」
「前、みたいにはしたくはないし……するつもりもない」
「私も、ですよ」
「そうだな、お互い様だな」
「はい。それに、私だって……もう隠したりはしません」
「俺もな」
お互いに思っていたことを告げる。
今度は間違えないように、今度こそ道を踏み外さないようにと明確な意思を込めて相手に伝える。
すると、栗花落は俺の手を掴んで、優しく握りしめた。
「—―これからは一緒です。ずっと」
ずっと、一緒。
「毛頭、俺もそのつもりだ」
こっちは結婚まで意識しているんだ。
歳も歳と言うのもあるだろうけど、前みたいな気の抜けた気持ちで告白したつもりはない。
彼女との関係はこのまま墓場までもっていくつもりだ。
自信気に言い返すと、栗花落は待ってましたと嬉しそうな笑みを浮かべる。
「はいっ!」
その笑顔はやっぱり可愛らしくて、胸をキューっと締め付けて、敵わないんだなと改めて感じさせられた。
「……栗花落っ」
「えっ、あ、はいっ」
そんな可愛らしい彼女を見つめつつ、目の前に手のひらを差し出した。
すると、何の手なのか意味を察して頷くと彼女はその手に自らの手を重ね合わせた。
温かい。
小さい。
白い。
強く握りしめれば今にも折れてしまいそうなその手を、俺は手のひら一杯で感じ取り、弱めの力で握りしめる。
そして、こちら側に寄せるように引き上げて、栗花落を立ち上がらせる。
「っと」
「……」
普段の距離感よりもいくらか近い。
ベンチを前に二人並んで、ちょうど俺の首元に彼女の頭がやってくる。
「先輩はやっぱり大きいですね」
「平均身長よりも少し小さいくらいだぞ?」
「それでもです。私から見たらちょっとだけ大きいです」
「ちょっとね」
意地悪なのか、本気でそう思っているのか「ちょっと」を付け足して笑いだす。
お互いにやり合って自滅しそうなやり取りを続ける俺たちはやっぱりあの頃と変わってないのかもしれないと思いつつ。
今度は。
今度こそは俺の方から、することに決めた。
「先輩、何で見つめているんですか……さすがに恥ずかしいですよ」
「栗花落—―っ」
そして、思いっきり引き寄せる。
さして離れていなかった体はすぐに密着し、一気に抱き寄せる。
本気を出した力には逆らえられず。
栗花落は驚く間もなく――。
「せんぱぃ――――んん⁉」
「んっ……んぅ、ぅ」
—―口づけをした。
「んぅ……せんぱぁん! んんぅ……はぁん……んむ、ちゅぅ……んっ」
これでもないかというくらいに唇を押し付けて、そしてその中へと這わせていく。
目の前で、動けなくなり硬直させたままつま先立ちをする彼女を、気持ちのままに貪り食べていく。
「んっちゅぅ……はぁむ……んっちゅぅ……」
離したくない、離させない。
ずっと、一緒にいると想いを込めて。
「れぅ……んっぅ」
すると、次第に硬直させていた手が俺の背中へと回り。
驚いて何もしていなかった彼女の唇も思いっきり俺の唇を吸い寄せて。
「っん……っは、っは、はぁ……」
「……はぁ、はぁ」
数十秒間にわたる長いキスは終わりを告げて、今度は一気に抱き寄せる。
強く抱きしめ、抱擁を交わすと彼女は恥ずかしそうに呟いた。
「……先輩、がっつかなくても私はどこにもいきませんよ?」
「っ」
「ぁ……でも、その……ですね」
「?」
溜めて溜めて。
もじもじとしている彼女を見てハッとする。
「っそ、そんなことは俺は……き、気にしなくていいからっ!」
「……え、その……したくないんですか? 私は……そ、の」
すると、栗花落は目をパチパチとさせて気の抜けた質問をしてきた。
「したくないことはないけど……でも、早いっていうかさ?」
「早くないですよっ……別に!」
「ま、まぁ、そうなんだけど」
ぐうの音も出ない。
かれこれ八年。
何せ、前の時には一度だけやっているし。
二十六と二十五の男女でそれは当たり前のことだと言われたらその通りだ。
ただ。
いや、これはその……あくまで俺の問題と言うか。
「……怖いん、ですよね?」
「あっ、え⁉」
「知ってます。私だって、あの日すっごく恥ずかしくて……なのに先輩全然でしたし」
「う……あぁ、すまん。だって、ちょっとトラウマっていうか、さ……」
「意地悪ですね。すみません。でも、そう言うことも含めて二人で一緒に頑張っていきましょう?」
クスッと笑って、それでいて向き直ると優しく呟いた。
「だから今日は、一緒に寝ませんか?」
「あ、あぁ。喜んで」
いつの間にか、立場が逆転して。
そして。
俺たちは今日、一線を越え切らなくともその一線を跨ぐ程度には確かめ合った。
あとがき
ちょっとえっっ――すぎたかもしれませんが、何もしてませんからね二人とも!
チューしただけですよ!
第三章、ぼちぼち上げていきます!
面白いなと感じたらぜひレビューの方よろしくお願いします!
それと☆600ありがとうございます! 感謝です!
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