第55話
*後日談*
◇◇◇◇◇
あの日、あの出来事が終わった後俺は颯爽と仙台へ舞い戻った。
鮎川さんからのお叱り話と田中さんの引き気味の目とか。
色々と思うところもあったものの学会には間に合い、発表自体も受けは良かった。
このままいけば数年後には完成させられそうで、見に来ていた会社の社長さんからは激励も受け取った。
まぁ、俺は激励の他に忠告と茶化しも受け取ったけども。
『君、成績は悪くないんだから仕事はちゃんとしようね。ま、若者は恋愛絡みでしょうけどねっ』
なんて。
全部筒抜けらしく、結局俺が事情を言わなくても鮎川さんにもバレていて、怒られた後はしっかりと茶化された。
そんなこともあり、顔を真っ赤にしながら北海道へ帰ることになり……
やがて、月曜日の夜八時すぎ。
すっかり暗くなったこの時間帯、俺がいたのは家ではなく――大通公園のあの場所だった。
「ただいまっ」
「五分遅刻です」
ベンチに座ってスマホを見ながら待っている彼女を見つけ、声を発すると、顔をあげて、やや不満げにそう言った。
「仕方ないだろ、雪降ってたんだし」
「それは言い訳です。何か言うことがあるんじゃないんですか?」
より一層顔を顰めて、不満そうに睨みつけてくる。
ちょっと怖いけど、でもそのしかめっ面がなんだか可愛く見えてくるのは俺が彼女のことを好きだからか。
にしても、むすっと頬を膨らませている栗花落は子犬みたいで愛おしい。
「悪かったよ。ごめん。寒い中、待たせちゃって」
「……分かってるじゃないですか、二日も待たせて」
「ん?」
「いえ、なんでもないですっ」
「そうか」
ぼそりと小さな声で呟く彼女。
何を言ったのか、その悪態は俺にもしっかりと聞こえてきて、寂しかったんだなと自覚する。
当初、俺の方は栗花落の家に向かうつもりでいたのだが、
函館からの特急電車に乗っていると「迎えに行きます」と連絡が来て、大通公園で待ち合わせすることになったのもきっとそういう意味が含まれているからなのだろうか。
先に鮎川さんたちと解散し、近くのコンビニでココアを買ったこともミスリードだったかもしれない。
とはいえ。
俺のジャケットの右ポケットで暖められたそれを渡さないのももったいない気がして、手袋を履いた両手にそっと乗っけてみせる。
「これ、寒いだろ」
「あっ。ココア?」
「おう。そこのコンビニで買ってきた」
すると栗花落は少し驚いた表情を浮かべつつ、受け取った。
そして、どこか不思議そうにしながらココアを片手で持ち換え、俺を見つめる。
「先輩って、ココアが好きなんですか?」
「え、どうして?」
「いやだって、だいたいココア買ってきますし」
「だいたい……まぁ、確かにな」
思えば、栗花落に何か渡すときはココアばかりだった気がする。
別に理由はない。
高校生の頃から、冬の寒い季節は温かいココアを見かけたら買ってしまうというか。最近は職場ならコーヒーを飲むことが多いけど、外だとめっきりココアだ。
「甘いもの、好きなんですか?」
「ぼちぼちかな? あ、でも、最近は生クリームがちょっとだめかも」
つい五、六年前なら夢だった生クリーム一本平らげるなんてこともしたりしていたんだけど。
この頃はめっきり、胃が受け付けない。
そんな発言に栗花落はジト――っとした目で呟いた。
「……おじさんですね」
「お、おじさんって……それを言うなら、なぁ?」
「何か言いましたか?」
「い、いや、なんでも」
俺も悪いとは思うんだけど、自分から墓穴を掘ったのはまさしく
にしても俺と栗花落の年齢を考えたら、墓穴とか不機嫌とか関係なく年を取ったみたいで。
今年はもう二十七、二十六の歳で。
時間の流れというのは抗えないし、早いし、あと三年もすれば三十打になってしまうだなんて信じられないというか。
まぁ、母親がもう六十代に入りそうな年齢なんだから当然なんだろうけど。
母親と言えば、俺が函館からこっちへ戻ってくる最中に愛華さんから連絡があった。
内容はただただ感謝だけ。
自分の業を娘に背負わせてしまったことへの後悔や、そんな娘を助けてくれたのがあなたで良かったとか。
親らしいことをできてないわねと栗花落の前では見せないであろう涙を流す震えた声も聞こえてきた。
『いや、愛華さんはそんなこと』
『藻岩くんは優しいのね、ほんと。ことりちゃんが惚れるのも分かるわ』
『ほ、惚れるって……やめてくださいよ』
『っふふ。謙遜も過度だと角が立つわよ?』
『ダジャレ、ですか?』
『どっちもね。あ、でも。これだけは言えるわ』
『—―あの子、もらってあげて』
かと思えば、こんなことも言ってくるし。
勿論、俺だってもらう気は満々だけど、果たしてそれが母親の言うことかと思ったりもした。
愛華さんらしいと言うか、栗花落の母親があんな人で俺は心底よかったと思う。
「先輩っ、美味しいですねココア」
「だな、市販のだけど」
「市販でも美味しいです。先輩が買ってきてくれましたからね」
栗花落は一口飲み込むと頬を赤くしながら、にへらと笑みを溢した。
「百円のココア一本で、安い女なのか?」
「所詮そんなものですよ。私にはブランド品は似合いませんし」
「今時珍しいな、女性ってブランド品に目がないんじゃないのか?」
「うーん……純玲がちょっと高めのバッグ持っていた気がしますけどね。私は機能性とデザインがそこそこなら気にしません」
「家庭的だな」
家庭的、ぜひ嫁に欲しい。
ただ、謙遜しているけど、栗花落に似合わないなんてことはない。
確かに、三澄さんも綺麗だが――やっぱり俺の目には栗花落の方が綺麗に映る。
「……そんなに見つめてなんですか?」
「いや、綺麗だなって」
「っな……ぅ///」
見つめて、思ったことを口ずさむと目の前の顔はもっと真っ赤になり、目を逸らした。
「い、いったいなんですか……」
これだなと感じる。
律儀で、なんでもかんでもお世話してくるような、面倒見のいい女の子。
何年たってもそこだけは変わることなんてなくて、むしろ磨きがかかってより家庭的になっている。
八年前、いや彼女と出会ったのは九年前。
その頃の俺には凡庸に見えた彼女が見違えるように垢ぬけて、でも中身までは変わっていなくて、自信なさげで、謙遜しがちで。
でも、不意に見せる照れた顔が、可愛い微笑みがどうしようもなく胸を刺激してくる。
もう、二度と彩られることがなかったはずの青春が再び現れたみたいで胸をチクリと刺してくる。
そんな刺激が――懐かしさを、これだよと感じさせる。
「っぇ」
手を掴む。
手袋を外し、温かく細く、そして白い手が俺の両手に収まった。
栗花落の目を見ると、彼女は逸らすこともなく恥ずかしそうな驚いた顔を見せる。
「俺、戻るとき言ったよな」
「……ぁ、はい」
本気。
真面目。
冷静。
それを見せると、栗花落は逃げることもなくただ頷いた。
「今までいろんなことがあったと思う」
「……はい」
栗花落と出会った保健室。
体育祭、
文化祭、
花火大会、
一緒に帰ったり、
週末にデートに行ったり、
たまには図書館で勉強会を開き、
楽しかった思い出も、それから始まる悪い思い出も。
受験期に入り、お互いすれ違い、そして別れて。
それから始まったのは栗花落のいない日々。
受験を経て、
大学に入学し、
サークルに行ったり、
後半は研究に没頭したり、
綺麗な先輩に出会ったり、
恋をしようと頑張ったり、
でもできなくて進学して。
就職して、
働いて、
結果もつき始めて――そしたら、再び出会った。
家政婦として掃除してもらったり、
一緒に帰ったり、
電車に乗ったり、
看病してもらったり、
ご飯を食べに行ったり、クリスマスにはお互いを見つめ直した。
伝え合うことの大切さを知り、頼り合うことの大切さを感じた。
「お互いに、忘れたくないことだったり、色々と」
「……はい」
そんな日々から、そして今日。
俺は決意した。
溜めて貯めて、矯めこんだ気持ちを告げる。
伝え合わないと伝わらないから。
頼り合わないと壊れてしまうから。
だから、言う。
「でも、確実なことが一つだけあるんだ」
「はい」
「……栗花落」
「はい」
目を見て、手をもう一度握りしめ。
まっすぐ、想いよ届け、と。
まるで中学生みたいに、
「好きだ」
「っ」
「……栗花落ことりが、好きです」
「っ……はぃ」
「もし、いや――俺とっ…………結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」
言った。
言うだけでも体力の半分を持ってかれたかのような疲労感と脱力感が体を襲う。
あとは、返しを待つだけ。
一秒、二秒、そして十秒。
俺の告白を前に、彼女は頬を真っ赤にしてただ口元を隠し続けていた。
しかし、やがて決意が固まったのか。
姿勢を正して、俺の手を握り返し、こう告げる。
「—―よろ、こんで」
大粒の涙と共に、満面のない笑顔が俺の前に彩られる。
別れたあの場所で始まった。
「……付き合ってください、お父さん」
「お、ちょ、栗花落!」
「えへへへ……せんぱい」
いたずらな笑みもやっぱりかわいかった。
あとがき
というわけで、お疲れさまでした。
第二章、堂々の完結と言うことでここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
カクヨムコンのためにリメイクさせていただきましたが、個人的にも完成度の高い作品に仕上がったと思っています。
ここにきて大変図々しいのは承知ですが、できれば☆評価、そして時間があればコメント付きのレビューをしていただけると嬉しいです‼‼‼‼
第三章も考えてはいますがとことん不定期かもしれません。また、新しい作品もちまちま考えているので何かあれば近況ノートの方でお伝えします。
改めまして、ありがとうございました。
そして、よろしくお願いします。
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