第52話


 正直な話、あの男の――父親の接触はこれが初めてではなかった。

 大学二年生の頃、大学に入り一度目の彼氏と別れてから一か月後の夏。

 その時に在籍していたサークルの先輩から、連絡が入った。


『なんかさ、栗花落さんの親戚を名乗る人からね。連絡があったんだけどさ、会ってくれないかな?』

 

 その、あからさまなまでにも回りくどいやり方で、私はすぐに誰かか分かった。

 なぜなら、そのやり方は今までもよく見てきたからだ。


 小学校の入学式には当然のように来ないで、母が祝ってくれるだけ。あの頃はそこまでよく分かっていなかったし、父が家にいることは普通ではなかったから周りの親子の方がおかしく見えた。


 それで、学年が過ぎ、何度も行った発表会もようやく漕ぎつけた「見に行く」と言う約束さえも、ただの母からの一言で来れなかったと知らされた。


 行くと約束しても、絶対に来ない。

 来ないどころか、その連絡さえも直接はよこしてはくれない。


 挙句、私が受験期の時にはお祝いという名のお金の入った封筒のみ。

 他の友達の話を聞いたら、そんなことはなく、家族団欒で祝ってもらったと聞く。


 だからもう、その時点でそういう人だと理解していた。

 顔も見たくなくなった。


 そして、見なくなって、連絡をよこしてきたと思えば――言伝だった。


「へ、へぇ……お父さんから連絡来たんだね」

「うん。まぁ、直接じゃなかったけど」


 自分勝手だなと思ってはいた。

 でも、まさか、もう見ることもないと思っていたその人が現れるとも思っていなくて、どうするべきかもわからなくてあの頃は近くにいた気の許せる友達へ話していた。


「でも、ひどいことしたんじゃないの、その人」

「うん。会いたくは……ない」

「気まずいからこうやって来たのかもね」


 まだ私の事情へは深く入り込めていないから、純玲としては頑張って考えてくれていた。

 

 知っている限りの私の考えを尊重しつつ、そして尋ねてくれる。


「……正直、どうしたいと思ってるの?」

「どうしたいも、今更……親でもないって思うくらいだし」

「ほっといてほしい?」

「そう、なるのかな。多分」

「じゃあ、それでいいんじゃない?」

「でも、なんか言ったら……怖いっていうか何されるかどうか」


 手が出るような人ではなかった。

 でも、幼いころの記憶では自分の考えが通らないなら、知らんと白を切るような身勝手な人だったから怖くて。


「でも、言いたいことは言うべきよ」

「そ、そうだよね」


 そうして、純玲に諭されて、その言伝は断った。

 それから何度か話しかけようとすることもあったり、SNSから追っかけようとしたりしてきたりすることがあって、その都度純玲に助けられた。


「まったく、何度言ったら気が済むのよ。きもいわね、あいつ」

「っなんか、純玲もそう言う言い方するようになったのね」

「だって、そりゃそうじゃん! 二年経ってまたくるんだもの……ていうか、今度は大学まで来たし、うちが追い返して正解ねっ」


 徐々に私に協力的に、過保護なくらいに守ってくれた。

 理由が何だったのかはよく分からない。

 その時はただ、成長した私の姿を見たいと考えていたくらいだったけど……再び会って、聞いて驚いたくらいだ。


「—―何が、やり直したいだ」


 絶対にさせない。

 会いたくも話したくもないけど、でも、今のお母さんに会わせることだけはさせたくはない。


「お、お金はいっぱいあるしさ」

「関係ない。ていうか、私仕事だから、行くからねバイバイ」

「待ってって、ことり」

「名前も、呼ばないで、早く帰って。あなたの居場所はもう……ないから」


 そうしていたのに、その日の夜。

 私はうかつにもお見舞いへ行ってしまっていた。


◇◇◇◇◇


 いつものように、受付で待ち、数分後階段を登り母のいる病室へ。

 普段から母とよく話してくれている看護師からは病状も安定していて、二か月も経てば退院できると告げられて、ほっとする。


「あら、ことりちゃん。来てくれたのね」

「うん。だって、母さんの誕生日だし、昨日」


 そう、そして何の冗談か分からないけど。

 このタイミングで母は誕生日を迎えていた。

 あの人が合わられたのも関係あるのだろうか、そう考えたけど、興味もないようでそんなことは一言も発してはなかった。


 だから、こうして私だけがその場に居合わせていた。


「いいのよ。お仕事だってあるんだし。こうやって来てくれたことで感謝よ」

「え、まぁ、うん」


 母は少し勘違いしている。


 昨日、いくつもりだったのに行けなかった理由はまさしくあの人のせい。

 しつこく言われて、追い払うことばかり考えていて、先輩に電話して……結局行けなかったのだ。


 せっかく仕事が終わったのに、あの人がいるせいで何もできない。

 事あるごとに私の家の前を徘徊し、ストーカーみたいだ。


 警察に掛け合うっていう選択肢もあったけど、正直、それで追い払えるとも思えない。何せ、実の父親だと知られてしまえばあっちの一存で近づかれてしまうかもしれない。


 この期に及んで、お母さんに会おうとしているのだから。

 私が、嫌でも、何が何でも二人の間に入る壁にならないといけない。


「でも、なんだか顔色悪いわよ?」


 勘違いしつつも、母は私の表情に気が付いていた。

 ベッドから身を乗り出しながら、横に座る私の頬へ手を伸ばす。

 手が触れると、少しザラザラした年の功を感じさせる肌触りに、暖かい温もりと、弱弱しい細さを感じ取る。


「仕事とか、無理してない?」


 無理はしている。

 もちろん、仕事ではなく、家族に対してだけど。

 でも、やっぱり、例え最近まで後悔していた母でも、あの男を会わせたいとは思えない。


 近くで一番見てきたんだから、身勝手な行動と、ひどいことを。


「ううん、してないよ」


 触れられた手をするりと引きはがし、手を握り締める。

 思いを込め、今度は守ると誓って。


 先輩が元カレから守ってくれたように、母が私の背中を押してくれたように、幼いころに身を使って守ってくれたように。


 返す番だと誓って。



◇◇◇◇◇



 俺はその日の夜。 

 鮎川さんや田中さん、そして知り合いの研究員さんとの飲み会を行かずに、一人足早とホテルへ戻っていた。


 理由は決まっていたわけではないけど、なんとなくぼんやりとしていたものが頭の中にあったからだ。


 昨日の夜の突然の電話。

 栗花落からの話がしたい――と言った理由で掛けられたあの電話。


 声音も、その奥から感じる感情の機微も。

 すべてがすべて分かるわけではなくとも、何かが違っていた。

 怯えるような、縋るような、頼りたくても頼れない――そんな口には出さずとも感じ取れる雰囲気があった。


 内容は大したことじゃなかった。

 ただ、最後に発せられた言葉。


『頑張ってくださいね、頑張るので』


 という言葉が引っ掛かって、忘れられなかった。

 他の発表を聞いている時も、鮎川さんの指示で加筆修正している時も。

 ご飯を食べている時だって、田中さんからの声掛けを何度か無視しまっていたほどにだ。


 邪推、なんじゃないかとも思っている自分がいる。

 ただ、ああいう栗花落を見たのは初めてではない。

 

 最近だってそうだった。

 唐突に再会して、それで顔を合わせるようになって、栗花落はいつも通りのようにしてくれていたけど。いつも、どこか目が遠くだった。

 俺に何かを言おうとして、でも言えなくて……それであの日、崩壊した。


 昔も、そうだ。

 転んで、擦り傷を負っても涙を来られて我慢したり。

 本当は追試験を受けるほど悪い点数取ったのに、教えてもらわなくても大丈夫ですって強がったりするところがある。


 だからこそ、あれは何かのサインじゃないかと思ってしまう。

 

「……栗花落」


 ベッドに転がり、スマホの画面に映った栗花落のラインを眺める。

 電話したところで、今のままでは彼女は強がるだろう。

 

 栗花落とのことで伝えることの大切さを学んだからこそ、理解できる。

 伝えることだけじゃなくて、その気持ちを察しようとすることも大事だと。


 相手のことを、自分の中ばかりで考えても分からない。

 結局、その真意を引き出さないと分からない。


 だって、あの時も。

 栗花落からまさかあそこまでのものが出てくるとは思ってもいなかった。

 あくまで、俺が言おうとしていて、でも状況が変わって、受け止めることにした。


 栗花落がまた、あんな風にはなってほしくはない。

 きっと、今は彼女にとって重要な何かが起こっているんだ。


 元カレ……か。

 いや、その線もあるが、ただ以前俺が仕事帰りに追っ払ったことがある。


 なら、彼女の中で何かあるとするなら……。


「ダメだ、思い浮かばない」


 何も分からない自分が本当に情けない。

 俺に思い付く心当たりと言えば、そのくらい。


 そんなときに、指が画面に触れ、友達画面へと戻る。

 そこに見えた「三澄」と言う文字。


「あっ」


 俺はその文字を押し、俺がいない間の彼女のことをよく知る親友へ電話をかけてみることにした。

 



 


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